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積極的分離理論に触れて

この記事は、深夜にXにポストした内容と同じ内容になっています。

よく深夜に思考したものを、ポストすることが思って多いのですが、noteにもまとめておこうと思います。



人もどき されど生となりて


今日、積極的分離理論に出会えて良かった。これまで何も知らずに生きてきて、幾度となく、死んだ方がマシだという地獄を味わって、それでも、ひたすらに自分と向き合って、他者と向き合って、社会や世の中と向き合ってきて良かった。
今心からそう思えるのは、レベル5まできたからだ。


学生時代のレベル2〜3までは本当にしんどかった。しんどいって言葉では表せないくらい。楽になる日はまず来ないんだけど、レベル4になったらそれまでよりは生きやすくなったのは事実。レベル5までくると、周りと見える世界が明らかに違うんだろうなぁ。

やろうと思ってできるものではないし、安易に取り組んでみることはおすすめしないけど、私のように知らずに、もがきながら、苦しみながらも、それでも生きている人たちが救われたと思える日がくるといいな。

いつか自分に殺されそうと思いながら、生きていた日々を。地獄のような毎日も、腑に落ちて、腹落ちして、ステージが上がると、無駄ではなかったと思えるから。
まぁ、レベルが上がれば、また新たな苦悩が生まれるけど、それも乗り越えていける力を宿している。

積極的分離理論は、それこそ人生をかけて昇っていくもの。数十年かかるでしょう。ギフテッドだったからこそ、陥ってしまうのでしょうけど、そもそもの脳の仕組みが違うから、カウンセリングに行っても意味がないと感じていたわけだ。

発作や意識消失は今にして思えば、血液の問題だったんだろうけど、当時はストレスかなと思ってカウンセリングに行ったけど、先生に話しても、いやいや前提として何でそうなるの?みんなそうだよ?って言われても、え?何?って感じで。

それは異常だよと言われても、私からしたらテストの正解とされる回答をする方が人としてどうなの?相手にそれを言って何になるの?とか。違う病院にも行ったけど、あぁこれはどの先生に話しても理解されないって思ってから、カウンセリングも行かなくなった。

おそらく、有識者や理解がある人に出逢えていたら、今の自分にはなっていなかったかも。自分の道は自分で切り拓くって、どんなに辛くても、苦しくても、意識が飛びそうになりながらも、日記に書き殴って、どこまでも自分と向き合ってきたからだね。

人間がもっと脳を使えるようになったら、可能性が広がるのかもしれないけど、まず知覚できなければ、実行しようがないからなぁ。そもそも、何も違和感を感じていないのに、疑問を抱くことはないでしょう。

だからこそ、この感覚を共有できる、この苦悩を苦悩だと認識して、少しでも分かり合えると感じると大きな喜びとなる。それは生きる力が湧いてくるほど、他では得ることができないもの。

そう思うと、私は普通じゃなくて良かったんだ。異常者で良かったんだ。
だって、あらゆるものの基準や規定が定められた世界で、同じように苦しみ、悩みながら生きている人の苦悩を知覚することができる。寄り添えるかもしれないから。

そう思うと、まだ見ぬ、あなたに逢いたくなった。目を見て、手を触れて、話がしたい。

たぶん、そのために、私はこの形で生まれてきたと思うから。

何かこの曲を思い出した。


自分で自分を引きずり上げてきたのは、感覚として合ってたんだね。そうやって、レベル5まで這い上がってきたんだ。


HAPPYの後に聴くと、きゅっとなるね。

戦う相手は明確だったかなぁ。常に自分との戦いだった。人と接する度、社会や世の中に触れる度、嫌ってほど、嫌な自分や見たくない自分を自覚するから。
破壊と再生と創造の繰り返し。そういった意味で、クリシュナムルティの自我の終焉が自分の中の真理に一番近いと思ったんだ。

感覚や本能、直感で選び取って生きてきた道は、今では正解だったと思える。
人生ってそういうものなんだろうね。

自分を貪り尽くした後に辿り着く境地。
正しく深淵なり。

自分を余すことなく喰らい尽くして、糧として生きていく。そんな生き物かもね。

とても人とは呼べない。
人もどき。されど生。



あとがき


昨日、積極的分離理論と出会って、これまでの人生を振り返り、過去の記憶を呼び覚まし、当時の日記を読み返し、腑に落ちて、腹落ちしました。

自分が何者かを、より深く理解しました。

私は知的好奇心が旺盛な子どもで、何でも兄が先にやるのが羨ましくて、就学前にひらがなを書いていました。

小学生の頃から、兄の教科書を借りて、常に2年先の勉強をしていました。高校は兄とは違うのですが、高校までの内容は教科書を読めば事足りるから、学校でわざわざ先生に教わる意味が分かりませんでした。

田舎の進学校でしたが、全員が大学に進学するわけではなく、家業を継いだり、就職する人もいました。大学に行きたくても、金銭的な理由で進学を諦める人もいました。

大学に行くのではなく、行かせてもらう。
そのために、親を説得する。
私の田舎では、そういう人も沢山いました。

女が進学することに偏見を持っている人も多かったです。「女は行っても短大や専門、4年制の大学に行って何になるの?」って。

小学生の頃から、あまり周りと馴染めず、先生の話すことにも、対応にも不信感を抱いていました。中学2年生の頃から体調を崩すことが増えて、学校を休むことが多くなりました。

高校生になっても、やっぱり退屈で。
2年生の頃は、始業式の翌日から一週間休んだり、休んでいる間に席替えがあって、自分の席が分からないこともありましたね。

出席日数が足りなくなるギリギリまで学校を休んで、バイトばかりしていました。2学期の終わり、担任との面談で、「このままだと出席日数が足りなくて、進級できなくなるから、3学期は休まずに出席しろ」と言われました。

先生も私の扱いに困っていましたし、疎まれていました。他の生徒のやる気を削ぐなと言われました。

私からしたら、周りとの違いに疑問を抱く日々。
「放課後も勉強して、塾にも通ってるのに何で分からないの?何でできないの?教科書読めば分かるでしょ?」って。口には出さないけど。

仲が良い友人は数人居ましたが、進学組からは快くは思われていませんでした。妬み嫉み。私を毛嫌いしている人もいました。私は学校を休んでばかりで、バイトしていて、勉強していないのに、自分よりも成績が良いから気に食わないと。

苦手な科目は体育くらいで、文系科目も理系科目もどちらも得意でした。同じ授業料で学べるものが多い方が得だから、2年生で理系コース、3年生で国立理系コースに進みました。

でも、進学する気はなくて、高校を卒業したら、就職するか、バイトしてお金を貯めて、専門学校に行こうと思っていました。だから、進学組の気に障らないように、テストは満点を取らないように調整していました。

振り返ってみると、ギフテッドの特徴が沢山当てはまりますね。数学の公式をアレンジして解いて、先生にも怒られてました。

公式を変えた方が2回計算する手間が省けるし、覚えやすいから良いのにって。でも、解答が合っていても、解法が間違っていたらバツにされる。

学校は好きではなかったけど、世の中のルールを学んだり、集団生活での学びがあったので、学校に行ってよかったなと思います。

良い経験ではないものも多いけど、むしろ、それが必要な経験でした。自分と他の人との違いを知り、すべての人と良好な人間関係を築いていくことは難しいこと。それを知ることができて良かった。

高2~高3は家庭環境も最悪で、早朝4時まで家族会議に付き合わされたり、体調も悪い日が増えて、バイトで疲れて、授業中に寝てしまうことも多くなっていました。先生に教科書でたたかれて、起こされたこともありました。今にして思えば、余計に周囲はイラつきますよね。

バイトをしていたのは、自分の生活費を稼ぐためと社会勉強。外の世界を知るため。ど田舎だったので、狭い世界でした。

狭い世界で 退屈で 窮屈で

何処かへ行きたくて

何処にも行けなくて


興味が持てるものも

部活とか打ち込めるものもなくて

ふらふら生きてました

高校生の時に初めてライブハウスに行ってから、音楽が生きがいになりました。ライブハウスが居場所になってました。

進学するつもりはなかったのですが、母の借金と父の浮気で両親が泥沼離婚をして、父から手に職をつけて稼げ、一家の大黒柱となって稼げと言われて、大学へ進学することになりました。

最初は防衛大に行こうと思い、自衛隊の基地の事務所に願書をもらいにいきました。受験の日に高熱を出して吐いてしまい、結局、受験することはできませんでした。

私が興味がある分野や学びたいものは、父にことごとく否定されました。
だから、父に認めてもらえる分野で興味を持てるものを探して、応用化学科を選択しました。

大学の授業は楽しかったです。高校生までの授業と違って、好きなものを選択したり、学ぶことができる楽しさを知りました。金銭的な余裕は無かったので、奨学金を借りて、アルバイトをして生活をしていました。

今、「Life is a series of one day」シリーズで更新している日記は、私が大学生の頃に書いたものです。日記の内容からも、知らずに『積極的分離理論』をやっていたのだと思います。


自分が「ギフテッドだったのかも」と思うようになったのは、去年の秋頃からですかね。去年から色々なことがあって、考えることも多くなって。
自分はやっぱり普通じゃないのもかもと思うようになりました。

それまでは、自分はただ記憶力が高いだけだと思ってました。それに、否定することも怖かったんだと思います。

普通ではない。ギフテッドでもない。
「じゃあ、私は何者なの?」って。

そういう人は世の中にも多いんじゃないでしょうか。ギフテッドやタレンティッドは、凄い才能を持っている人だから、「あなたは違うよ」と、そう言われるのが怖い。

自分より凄い人も、優れた人もたくさんいる。
自分は凡人だ。天才なんかじゃない。
天才って言葉で定義づけしないで、と。

でも、今は『積極的分離理論』に触れて、自分が何者が分かった。普通でなくても、ギフテッドでなくても構わない。

わたしはわたし

私も私

すべからく「私」


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