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琴平日記② 「住む」って何だろう。


こちら、前回の記事の続編になります。

https://note.com/kali_/n/na47289f63e32

琴平に来て、深く考えた事があります。

それは、「住む」って何だろう、ということ。

今回の旅で、他所から琴平に移住した方の話を何人も聞きました。
移住者の数だけ物語はありますが、びっくりしたのは、意外にも、「琴平が大好きで移住した。」という人が少ないこと。

自分のやりたい事を考えた時、それを叶えられる場所が偶々琴平だったり、結婚を機に、琴平に住む事になったり。

一見、人は、生まれる場所以外は選べるように思われます。
子供の頃は無理ですが、高校を卒業すれば、その気になれば、国内でも海外でも、どこにでも住めるものかもしれません。

けれど、どこかに住むという行為は、その場所が好きだからとか、そこに住みたいからとか、そういう理由以上の、導きのようなものがあるように、感じてなりません。

わたしは、今年の4月から、生まれてから26年間住み続けた地元を離れ、新しい土地で暮らします。

わたしは、今住んでいる場所が大好きです。
良いところも、悪いところもあるけれど、ここより好きな場所はないと、自信を持って言えます。

だったら、ここに住み続ければ良いのに、わたしは、離れることを決意しました。

何故でしょう。

何故なんでしょう。

それは、簡単に言えば、自分にとって、ここを離れるべきだという声が、聞こえたから。
そうとしか、表しようがありません。

琴平への移住者の方々ももしかして、内なる声が、どこかから聞こえたのでしょうか。

琴平の移住者の方々が印象的だったのは、偶々住む事になった街の為に、全力を尽くしているということ。
終のすみかではないかもしれない街の将来を、一生懸命考え、行動し、盛り上げる。
それが、わざとらしくなく、とても自然体だから不思議だ。

何故そんなに一生懸命になれるのか、今回はそこまで聞けなかったけれど、きっと、「人」なのだと思います。

自分がたまたま住んだ街に、素敵な仲間がいて、その仲間と共に、より良い未来を目指す。

それは、現代のわたしたちが忘れてしまった、とても自然な人間の営みなのなもしれません。

逆に言うと、「人」さえいれば、人はどこででも、人間らしく生きられるのではないでしょうか。

思えば、わたしが琴平への旅に参加することを決めたのは、「TABIPPO」がオススメするから。「TABIPPO」が、いや、「TABIPPO」で働く人々が、わたしは多分、大好きなんです。
今回も、初めて出会ったTABIPPOの運営スタッフさんがいましたが、本当に皆、魅力的でした。

そんな魅力的な人達がオススメするなら、行ってみよう。
最初の動機は、こんな単純なものでした。

どこに住むのも、どこへ旅するのも、大事なのは人との関係だと、教えてくれたのは、琴平でした。

改めて、琴平で迎えてくれた皆様、TABIPPOの皆さん、一緒にツアーに参加した皆さん、ありがとうございます。

これからも、皆さんとのご縁が続いていきますように…。

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