ニューヨークに思いを馳せる。
江國香織のエッセイに「旅ドロップ」という作品がある。
旅にまつわるエピソードを集めたエッセイだ。
その中に、「ナッシュヴィルのアイスクリーム」という話がある。
テネシー州のナッシュヴィルにあるアイスクリーム屋を著者が訪れた時、たくさんのフレーバーに感動して、「こんなアイスクリームは初めて見る」と店員さんに伝えた所、英語が上手く伝わらず、「アイスクリーム自体、初めて見た人」だと思われる。
説明して、一応誤解は解けたものの、店員さんは、自分自身が一度だけニューヨークへ行った際に感じた興奮と孤独の経験を踏まえ、生まれた場所を離れる不安や困難はよく分かる、と話してくれる。
生まれた場所を離れる不安。
日本人の私からすれば、ニューヨーク、というかアメリカ自体が壮大なスケールの中にあり、テネシー州という(恐らくは)田舎からニューヨークに行く事の不安など、考えた事がなかった。
アメリカ人なら誰だって、ホームレスや前科者でない限り、堂々とニューヨークを歩けるじゃないかと。
外国人がニューヨークに対して恐縮するのは当然だけど、アメリカ人がそんな事感じるはずはないではないかと。
でも考えてみれば、アメリカ人であっても、田舎からニューヨークへ行く事に不安を感じるのは当たり前の事なのだ。
日本人だって、地方から上京するのは緊張する。それを、「外国から東京へ来る訳じゃないんだから」と言われたって、それはそうだろうけど、不安が消える事はない。
国によって違う事は沢山あるけれど、どんな国にいたって変わらない事もある。
同年代に、アメリカ人の友人がいる。彼女は東京へ来て4年くらい。
いつかはアメリカに帰るかも…。でも故郷は田舎で、日本語を活かせる仕事はない。だけど、ニューヨークのような街に行くつもりはない…。
少し前に、そんな話をしていた。
異国の大都会、東京で、一応は上手く暮らせているというのに、ニューヨークへは行かれないと言う彼女の事が、何だか少し不思議に感じたのを覚えている。
それにしても、「どこに住むか」と言うのは、誰にとっても、大きな問題だ。
戦争や紛争等々で、入国が許されない地域や、VISAを取って長期滞在する事が難しい地域も沢山ある。
でも、それを除いても、物理的に住む事が可能な場所というのは世界中にあって、一体何を理由に人は、住む場所を決めたらいいのか、と思う。
こんな事なら、海外旅行や移住など、気軽には出来なかった時代の方が、案外生きやすかったかもしれない。
今日、もう何度目かになるハローワークへ、失業の認定に行って来た。
もう慣れたもので、書類もさっさと記入して提出し、あまり混んでいない時間だったので、直ぐに名前を呼ばれてスタッフの所へ向かった。
立ったまま、お決まりの確認事項を聞いて帰ろうとすると、「お客さん、次回の認定日が最終日です。」そう言われた。
来月の認定が最終日。
という事は、その日を最後に、失業保険は出ない。
そう言えば先日、今住んでいる家の更新について、お知らせが来た。
更新するのであれば1ヶ月前、つまり来年1月下旬までに、書類を提出しなければならない。
総合すると、早く就職を決めなければ、東京に住み続ける事が出来ない。
悔しいな、と思う。
私は優秀ではないけれど、東京で普通に働いて生きていくことさえ出来ないのかと、自信がなくなる。
私が尊敬する明石家さんまさんは、「落ち込むっていうのは、自意識過剰な人がする事」って言ってたけれど、私はそんなに自意識過剰だっただろうか。
情けないやら、惨めやら。
でも私には、東京に住み続ける事の他にも叶えたい事がある。
それは、「用事でニューヨークへ行く事」。
旅行客としてではなく、出張でも何でもいい。
「私はニューヨークに特別興味は無いし、はしゃいだりしないんだけど、でも用事があって来ました」という顔で、街を歩きたいのだ。