海からビルに変わっただけ。
去年の6月から今年の3月までの10ヶ月間、母校の大学で、教授の秘書をしていた。
大学はとても辺鄙な場所にあって、家から大学まで通う電車からは、海が見えた。
電車の扉が開き、いつも手前側の空席を見つけて座る。街中へ行くのとは逆方向なので、座れないということはないけれど、みんな海を見たいのか、手前側の席に座る人が多かった気がする。
私は、この電車から見える海を、毎日眺めた。晴れの日、曇りの日、雨の日。
毎日大抵、同じ時間帯の電車に乗っていたので、帰る時は、季節の移ろいを感じながら海を眺めた。陽が長くなり、ちょうど夕陽が沈む頃の眩しい海。冬になるにつれ、日に日に暗くなる海。段々と砂浜と海の境目が分からなくなる様子を、目を凝らして見つめた。
全く飽きることがなかった。
それどころか、手前の席に座れなかったり、本に夢中になっていて、海を見損なった時、とても残念に思った。
今、電車の窓から見えるのは、ビルの波だ。何の特徴もなく、駅がいくつ過ぎても、ただただ同じようなマンションが立ち並ぶ。
手前に座ろうが奥側に座ろうが、大して変わらない。
自分が西に向かっているのか東に向かっているのか、分からなくなるくらいだ。
東京は、とても刺激的で、それと同時に全く退屈な場所なのかもしれない。
東京に来て4ヶ月。
地元の風景で最も思い出されるのは、上京前に1人で住んでいた部屋。住んでいたのは1年と9ヶ月。
東京に来る事がなければ、もう少し長く住んでいただろう。部屋も、周辺環境も、結構気に入っていた。
普通の賃貸マンションだったから、これから余程の偶然が重ならない限り、あの部屋を見ることは叶わないだろう。
あの部屋の間取り、家具の配置、カーテンの色。
今はまだ、それらが鮮明に思い出される。
鮮明に思い出されるのに、何故か、もう数年前の出来事のような気がする。
8月を迎えた。夏真っ盛り。
今年の秒針は、私にとってはとても遅い。もう秋のような気分なのに。
それでも時が経てば、きっとこの日々も、あっという間に思い出になるのだ。
今見ている景色のどれかが、きっと、未来の私の回想録の中に登場する。しつこい暑さも、明日にはすぐに涼しい風に変わるのだろう。
だから、今を追いかけよう。
今しか作れない思い出に目を向けよう。
今見ている景色に、「もういいや」と感じる日が来るまで。