涙の行方、行く河の流れ
中秋の満月の夜、空を見上げて月を眺める事はせずに、ベッドに寝そべって天井を見つめていたら、急に涙が溢れてきた。
とめどなく流れては、頬を斜めに伝い、耳の穴の中まで入って来た。
耳の中が気持ち悪くなって横向きに体勢を変えたら、今度は頬を伝った涙が、そのまま枕に染みていった。
たまに、訳もなく、涙が出る時がある。
それは苦悩の表れである事は確かだけど、決してネガティブな意味だけでなく、今の自分の苦しさ、未熟さを素直に受け止められる時間でもある。
最近妙に、空回りしていた気がする。
早く何かを変えなきゃと焦って、でもどうする事も出来ずに、目の前のやるべき事に半ば目を背けながら過ごしてきた。
自分がやるべきことは、やっぱりここにはない。だけど、ここから次のコマに進む矢印が見当たらない。
今日の涙は、そんな迷える自分を、少し受け止める事が出来た。
考えても考えても、何も思い付かない事だってある。
やってもやっても、なかなかしっくりこない事もある。
数々の名発明も、ノーベル賞級の大発見も、一夜で何かを思いついた訳ではなく、実は地味な日常の積み重ねの先にあるように、自分がやりたい事に辿り着く事もまた、近道はない。
ちょっとずつ行き先を変えていったり、道を増やしたりして経験を積み重ねながら、自分という人間が形成されていく。
そう、木のように。
「ああでもない、こうでもない」と試行錯誤しながら枝分かれを繰り返す。
ある時振り返ると、前の自分より幹の太い木になっている。
大丈夫。
私の木も、着実に大きくなってきている。未だに自分がやるべき事が分からなくても、確実に先へは進んでいる。
"チャンスは、準備された心にのみ降り立つ。"
日常の一つ一つを大切にしながら過ごしていたら、きっと、この点とあの点、更には遠くのあの点も、一直線に繋がる日が来る。今は分からなくても。
"ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず"
今は流れに身を任せよう。
昨日の流れから今日の流れ、そして明日へ続く流れ。
今日は今日の川が流れる。
明日は明日の川が流れる。