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わたしの人生は、どんな旅だろう。
ここ最近、「旅のエッセイ」なるものを、好んで読んでいる。
村上春樹さんのアメリカ滞在記のような長い旅のものもあれば、数日間の国内旅行記もある。
今読んでいるのは、益田ミリさんの「47都道府県 女ひとりで行ってみよう」。
益田さんのエッセイは、旅に対して変に期待したり、意気込んだりするのではなく、気持ちの浮き沈みに任せて、何とな〜く、進んでいく感じが心地よい。
毎晩寝る前に、少しずつ読み進めたくなるような本だ。
逆に、沢木耕太郎の深夜特急なんかは、面白いけれど、毎日読むのにはちょっとスリリング過ぎて気持ちが落ち着かない。
そうやって、色んな人の旅の様子を垣間見ながら、ふと、わたしの旅は、客観的に見て、どのように映るのだろう、と考える。
何を食べようかと店の前でウロウロしたり、かと思えばちょっと高いものを直感で買ってみたり。
わたしの今までの旅は、身の危険を感じるような体験は殆どないけれど、滑稽なことはたくさんあった。
そしてわたしの人生と同様、人にだけは、いつも恵まれた。
旅は、人生の縮図。
だから旅の中に、自分が求めている何かがあるはずだと、人は感じるのだろうか。
わたしは、一度も願った事なんかないはずなのに、ずっと旅行に関係する仕事をしている。
大学3年の就活時、第一希望はマスコミで、数えたくないほどたくさんの会社を受けたのに全くご縁がなく、受かったのは旅行会社だった。
昨年転職活動をしている時、出版社を中心に受験した。わたしが興味があったのは文芸とか学術的な本で、それも校正のような保守的な仕事が向いていると思っていたのに、ご縁があったのは旅行ガイドブックをメインに作っている会社だった。そこでなぜか今、編集の仕事をやっている。
望んだものは、手に入らないのだろうか。
望めば望むほど、自分から遠ざかるのだろうか。
反対に、特に望んでないにも関わらず、いつもご縁があるものもある。
恋愛をはじめとする人間関係もそうかもしれない。
「この人に好かれたい」と思っても、その人には好かれず、自分の思考から欠落していた誰かから、好かれることがある。
貴方じゃない。
わたしは旅に、何度もそう語りかけている。
わたしは旅が好きだけれど、別に1番の趣味ではないし、旅に関わる仕事がしたいと思ったことなんかない。旅に人生を変えられた覚えもないと。
だけど、もしわたしが、潜在的な意識のどこかで旅を求めているんだとしたら、それはもうどうすることも出来ないのかもしれない。
本当は、旅に関わる仕事より、自分にはもっとやりたい事、やるべき事ががあるはずなんだと言い聞かせながら、今日も旅のエッセイを読んで眠りに就く。