仕事も男もない女。
高校生の時、何の授業だったか、「ライフプランを考えよう」みたいな時間があった。
真面目に考えるならとてもいい授業だったのかもしれないが、日本の高校生というのは、授業で本気の自分の夢を語るようなことはしない学生が殆どなので、まぁ、無駄な時間と言ってもいい。
授業の内容は単純で、何歳になったら何をする、みたいな事を書き連ねていくだけ。結婚や仕事、子供の事…。高校生なりに、思いつくがままに書いていく。
「結婚」
35歳。
そう記入した。
ちょっと遅いかとも思ったけど、充分に仕事して遊んで、35歳になったら、独身に対する未練もなく、「そろそろ結婚してもいいかな」と思えるような気がした。
「遅っ!」
私の机の脇を通った友達が、私の結婚予想年齢を見て、ツッコミを入れた。
やっぱり、ちょっと遅いか。でも、まぁいいや。私は仕事も頑張るだろうし、慎重派だからじっくり考えて相手を選びたい。
私の母親が結婚した年齢は、30歳。当時にしては、少し遅かったかもしれない。それなら、私も少し遅めの35歳で、ちょうどいい気がする。
あれから10年が経った。
かろうじて手に入れた学歴を活かす事のない職場を転々とし、お金も、仕事に対するやりがいもないまま、27歳になった。
気づけば、私の結婚予想年齢までの期間は、高校生から今の私までの期間より、短くなってしまった。
それでも、私の結婚予想年齢は、今の時代と照らし合わせると、現実的なものではあるようだった。30歳が近づいても、30歳を過ぎても、結婚していない人は、周りに多い。
ドラマや映画でも、結婚適齢期が近づいた、または過ぎた女性を描くドラマが増えている。
大抵は、バリバリ仕事をしていて、仕事が恋人で、結婚や恋愛に多少興味はあるけれど、自分には向いていないと諦めかけている。
そこへ救世主が現れて…というのが大方のあらすじ。
でも、こういうドラマ、リアルな現実を描いているようで、そうではない。
ドラマだから当たり前だろと思うかもしれないけど、私が言いたいのは、救世主が現れる部分の事ではない。
ドラマなら、奇跡的な出会いがあるのは当然だ。そうでないと面白くないし、何の展開もない。
私がリアルでないと感じるのは、「前提条件」のことだ。
「バリバリ仕事をしていて、仕事が恋人」
ちょっと広めの家に1人で住んで、服も好きなように買えて、ちょっといい食事、ちょっといい旅行に出かける金もある。
ドラマに描くヒロインはそんなだけど、リアルな独身女はそうではない。
家は1K。20㎡前後。築30年前後。
キッチンは狭く、料理する気など起きないが、毎回外食したり、ウーバーイーツしたりするお金はないので、自炊メイン。
インスタで見つけた時短料理を参考に、他人には見せられない、名もなき料理を作り続ける。コンビニで、大好きなエビスビールを買おうとした時、隣のアサヒビールの値段との差を見て、伸ばしかけた手が止まる。
服は、ファストファッションを上手く組み合わせて、高見えを目指す。
たまに、デパートのセール商品。高いものと言えば、ちょいハイブランドの、ミニ財布が限界。
「恋愛なんてどうでもいい」と言いながら、出来る限り綺麗に見えるよう、貯金を気にしながら、ネイルと美容室に通う。ホットペーパーbeautyのクーポンを使って。まだ、どこかに素敵な出会いがあるかもしれないと思いながら。
「私は仕事が出来る女ではない」と分かっていながら、与えられる仕事は真面目にこなし、それに対して上司が少し褒めてくれることに喜ぶ。アイデアも出ないければ行動力もないけれど、「自分も少しは仕事が出来る人間なのかも」と錯覚する。
そうやってくすぶり続け、仕事も恋愛も、中途半端な女。
どんどん保守的になって、与えられる仕事をこなすだけの毎日を続け、肌は衰え、仕事人としても、恋愛や結婚の相手としても、市場価値が下がり、ただの魅力のない女になり下がっていく。
ドラマの主人公が言う「私には仕事しかない」なんて、仕事があるだけで充分じゃないか。
多くの女性は、仕事もなければ、男もいない。
これが現実だ。リアルだ。
こじらせ女は、仕事にも恋愛にも夢ばかり抱いて、現実には何も変わらない女。思った以上に闇の世界だ。
その上で、何だったら自分にも出来そうなのか。何をやってたら、せめて楽しいと思えるのか。何をやったら、ちょっとだけでも他人に感謝されるのか。くだらない世間体とも、ただの夢物語とも切り離して、リアルな自分の感覚を突き詰めて考える必要がある。
こじらせ女の人生は、「自分の人生は、バリキャリからも、金持ち美人奥様からも遠い」と自覚できた時から、スタートするのかもしれない。