「国家権力の恐ろしさ」を考える
アドラー心理学を分かりやすく解説した大ベストセラー本、「嫌われる勇気」と続編「幸せになる勇気」。
こちらの本の中では、一切のトラウマを否定し、どんな人であっても、過去にどんな経験をしようとも、今この瞬間から人は変わる事が出来ると説く。
色んな捉え方があると思うが、わたしはこの考え方に概ね賛成だ。
時代のせい、親のせいにする人は、どこにいて何をしていても、何かの、誰かのせいにする。人生を変えたいなら、まず自分が変わるしかない。
だけど、極端な時代の流れにある場合でも、それは適用されるだろうか。
最近読んだ本で、面白かった本が2冊ある。
1作目は、有吉佐和子さんの小説、「鬼怒川」。
明治から昭和にかけて生き抜いた、1人の女性の生涯を描く。
主人公の夫、弟、息子は、それぞれ、軍に召集されて戦地に赴き、3人とも生きて帰って来るが、それからと言うもの、呆けたようになり、働かず、ただぼーっとして日々を過ごすようになる。
2作目は、フランス人画家ファビエンヌ・ヴェルディエのエッセイ「静かなる旅人」。
1980年代、文化大革命の直後の中国へ赴き、大学初の外国人留学生として、四川美術学院で数年間勉強する。その後、文化担当官として、北京にも赴任する。
大混乱期にある中国で、彼女が出会った文人(だけでなく民間人も)は、過酷な時代に翻弄され、半狂人のようにして過ごしている人も少なくなかった。
残酷な死に対して、日々向き合っていなければいけない、そして明日生き延びられるかもわからない、そんな日々を、国の方策で人生のある一定期間過ごさねばならなかった人々に、「過去など関係ない」と正面きって言えるだろうか。
戦争を経験した人にも、文化大革命を経験した人にも、その経験は暗い影を落とし、その後の人生に、消えない傷として残り続ける。
国家権力の怖さは、ここにある。
現代に生きる私たちだって、政府に不満はある。増税されれば、家計は厳しくなる。
だけど、政府によって、人生全てを狂わされ、その後も癒えない傷を残されたと感じる人は、そんなに多くはないだろう。
でも戦争は、文化大革命は、確実に人の人生を狂わせた。
本来、そんな事は、あってはならないのだ。
政府が、国が、1人の人生の中に、ここまで入り込む事など許されない。それが、仮に良い事であっても。
世界に溢れる戦争や紛争、虐殺の類の悲惨な歴史は全て、多くの命を失っただけでなく、生き延びた人の人生を狂わせた。
アドラー心理学のように、過去に囚われず生きる事が出来るのは、平和の産物かもしれない。