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カリフォルニアに来て思うこと(3)
ご訪問いただきありがとうございます.
Twitterで英語についてよく話題になっていますね.
わたしもそんなに英語が得意とかできるほうではありませんが,感じるところを記します.
わたしは勘も大事だと思いますけどね😐大はずれして恥をかいてそれで論理的なことも覚えていく😐論理にばかり囚われていてはコミュニケーション取る機会を逸します😐勘を頼りにまずしゃべる😐これ大事ではないですか?🤔
— saika3rd_J (@saika3rdKzS) December 6, 2019
東北、津軽生まれの言葉のコンプレックス
なまりは大きなコンプレックスです.特に私の母国語である津軽弁は強烈です.現役で受験したとき,京都のうどん屋さんで,
『きつねうどんください』
が通じなかったのが,すごいトラウマになっています.
なので,浪人して再受験するときに東京で道を尋ねる際に,路地に入って標準語で練習してから表通りに出て人のよさそうな奥様に
『XX駅にはいくにはどちらでしょうか?』と尋ねましたが,
奥様に『え?』と聞き返されて,
すっかり津軽弁に戻ってしまい,赤っ恥を書いた経験が忘れられません.
なので,標準語で話すことには大きな抵抗がありました.しかし,標準語(らしく)話すことはわたしにとって居心地よく過ごすための必須スキルだったのです.その感覚はカリフォルニアで仕事をする際に英語を話すことととてもよく似ています.
このような生まれ育ちの経験から,
津軽弁→標準語→英語
はごく自然にわたしに生じた挑戦でした.
たとえば,日本では関西の人たち
こういうと,津軽弁をいまでも用いている人は,不快に思われるかもしれません.
でも,わたしは自分の言葉を愛していますし,恥とも思っていません.こちら(カリフォルニア)に来てからも,自分のなまりがどれくらい強烈なのかを示すために,
『わたしたちはいま空港に行くところです』(標準語)
"WE ARE GOING TO THE AIRPORT"(怪しい英語)
『おわんど空港さいぐどごだじゃ』(津軽弁)
をたとえに紹介すると,みなさん大層喜びます.
うらやましいのは関西の方々です.彼らは生活に支障をきたしませんので,多くの方が,そのまま自分の言葉を,つかわはります(怪しい関西弁)
自分たちの言葉に誇りを持っていることを尊敬しますし,ある意味,とてもうらやましいです.
そしてカリフォルニアで思うこと
カリフォルニアでは当然英語が会話に必要です.でも,ベイエリアにはいろんな国の出身の方々がいらっしゃいますので,英語も様々です.地名,道路の名称などにはスペインの影響が多くみられます.
そして,彼らが日本人が想像するところのNATIVEな英語を使っているかというと全くそんなことはないのです.
仕事上はむしろ簡単です.言葉の意味が明確に定義されているのでそれを覚えれば,つまり,仕事の内容を理解してきちんとこなせれば英語はそんなに大きな障害にならないと感じます.
むしろ近所のスーパーに行った際に,レジのお兄さんやお姉さんとの会話のほうがよほど難しいです.
日本のスーパーのレジで,
『調子はどう? (How are you doing today?)』とか
『お目当ては全部買えた?(Have you found everything you need?)』
とか聞きますか?
聞きませんよね.
これをこちらのスーパーで最初に聞かれたときわたしは,
『なんでそんなこと聞くんだよ』とか
『何かもう一回りせねばならないのか』
などと思ったものです.
これは,いわば慣習でして"THANK YOU!"でOKなのです.
同時に感じるのは,いわゆる,もともとアメリカの方ではない人たち,の自己主張の強さです.
極端な話,『びた一文損したくない!』という強烈な自我の元,自分がこうだと思い込むと,徹底的に追求します.その際,英語の文法だとか,慣習とか一切お構いなしに猛烈に自国なまりの英語で,がーっとしゃべり続けます.
最初は辟易していましたが,最近は慣れました.ここで生きていくために必要なのは
『仕事を得るためのスキルとそれを活用する最低限の術』
それに尽きるようです.そして,わたしもその考え方に,あくまでも一部ですが,いいとこどりで,共感しています.英語もこのコンセプトの一つの手段,道具です.
おわりに
最初に引用したTwitterにあるように,英語についてあれこれ論じられているようですが,ポイントはあくまでもコミュニケーションの手段なのですから,それを完全にNATIVEのように学ばないと海外ではやっていけない,というのことだけではないように思います.もちろん人それぞれだどる道も異なるわけですし,一概にこれ,という万能解はないのですが,英語はあくまでも手段,わたしにとって標準語を学ばねば,仕事も含め居心地が悪い,だからあらたなコミュニケーション手段としてXX語を学ぶ,その程度です.
とはいえ,体系的な学習を全く否定するものではありません.わたしもそこそこ勉強はしました.
でも,ある程度できたら実地で試す,挑戦する,
これも大事ではないでしょうか?
何かができていないと次に進めない,
という日本人特有のまじめさが,いまの日本の閉塞感を生んでいませんか?
こちらに来てそのことを強く思い,わたし個人としてはこちらのほうがへたくそな英語でも生きていくうえで居心地がよいので次のステップを模索しています.
今日も読んでいただきありがとうございます.
今後ともよろしくお願いいたします.