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【開け、奈良~一句から始まる奈良めぐり~】第三句  天香具山

俳人としても活躍する編集者で文筆家の倉橋みどりが贈るショートエッセイ。奈良で詠まれた一句、奈良を詠んだ一句から、奈良の歴史へ人へと思いをめぐらせます。


初めて大和三山を見たときは少し戸惑った。たしか大神神社にお参りしたとき、大美和の社展望台から眺めたのが最初だった気がする。畝傍山、耳成山、そして天香具山。ぽこ、ぽこ、ぽこと低い山が3つ。まるでそこに置き忘れられているように思えた。

天香具山のもつとも滴れる   鷹羽狩行(1930/昭和5年~)


最近出会った一句で、季語は変則的な使われ方をしているが、「山滴る」(夏)。春の「山笑ふ」、秋の「山粧ふ」冬の「山眠る」と合わせ、初心者向けの俳句講座で、「覚えておきたい季語4点セット」などとよく紹介する。どれも山を擬人化していて、北宋の画家郭熙の四季の山を賞する漢詩から生まれた季語だ。ちなみに「山滴る」が出てくる一節は「夏山青翠として滴るが如し」。この言葉を知ると、夏の山は濃い緑、薄い緑がきらきらと輝き、どこかしっとりと濡れているように見えてくる。
さて、この句の意味は難しくない。というよりも、一読しただけでは、あっさりし過ぎてどこがいいのかさっぱりわからないのではないか。
でも、書かれていないことを読み取ることが俳句の醍醐味である。
まず、「もつとも」とあるのは比べているからで、この場合は耳成山、畝傍山と比べているのは間違いない。大和三山といえば、『万葉集』の中大兄皇子の一首を思い出す。

香具山は 畝火ををしと 耳梨と 相あらそひき 神代より かくにあるらし 古昔(いにしへ)も 然にあれこそ うつせみも嬬(つま)を あらそふらしき                          巻1・13

いくつか説はあるが、手元のテキストでは、香具山が女性、畝火山と耳梨山が男性として訳されていて、私もこの説がしっくりくる。ひとりの女性をめぐり、ふたりの男性が争うことは神代からよくあることなのだとこの歌が言う通り、『万葉集』をひもとくだけでも、葛飾の真間の手児奈、葦原の菟原処女、櫻児の例がみつかる。ふたりの男性から求愛され、「どちらも選べない…」と死を選び、それゆえに伝説になった3人の乙女に比べ、「最近、ウネビ君に惹かれてるの。もう私たち、終わりにしない?」とお付き合いしているミミナシ君にはっきりと告げるカグヤマ嬢は実にかっこいい。「妻争いの歌」などとよく言われるが、この歌で恋の主導権を握っているのは明らかにカグヤマ嬢。もめたのは男同士ではなく、心変わりしたカグヤマ嬢と別れたくないと駄々をこねたミミナシ君のはずだ。
山の姿だけ比べれば、天香具山は「ぺしゃんこ」という言葉がぴったりで、分が悪い。でも、その姿も、かつては高天原にあり、そこから落ちてきたのだという伝説を知ると、途端に神々しく思えてくる。「ほかの二山とひっくるめて大和三山とか言われるけど、名前の前に天がつくのは私だけ。枕詞は“天降(あも)りつく”だし。ともかく私が別格なのをお忘れなく」とでも言いだしそうなカグヤマ嬢も、鷹羽狩行氏の一句は気に入ってくれるような気がする。
 「もつとも滴る」は最上級の褒め言葉だ。みずみずしく、豊かな生命力を感じさせる。水、命とくれば、天香具山のふもとにある畝尾都多本神社、別名泣沢神社のことも頭をかすめる。
 さらに、この句は定型の五七五ではなく八四五になっていて、読む側はかすかな違和感と同時にざっくばらんな印象を受けるはずだ。お世辞ではない、心からの賛辞なのだということが、リズムでも表現されている一句なのである。


※万葉集の歌の表記は講談社文庫版『万葉集全訳註原文付』に拠る。
※天香具山の表記について、「天香久山」とする場合もあるが、本稿では「天香具山」に統一した。


倉橋みどりさんの連載エッセイです。今後も続きます。
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