奈良の文楽~奈良をキーワードにさぐる文楽の魅力~
奈良が好きな人はもちろん、奈良に暮らす人にもっと知ってもらえたら…と思うものに「文楽」がある。
この春、国立文楽劇場で上演されるはずだった「義経千本桜」。ほかにも「妹背山女庭訓」「壺阪山霊験記」「二月堂良弁杉」など、奈良が舞台になっている演目は多い。実は、私が文楽が好きになったのは3年前のこと。中将姫が出てくる「鶊山姫捨松(ひばりやまひめすてまつ)」がきっかけだった。
中将姫が熱心に写経した「称讃浄土経」について学ぶ講座を企画したところ、参加者のおひとりが「秋からちょうど国立文楽劇場で、中将姫の物語をやりますよ」と教えてくださった。
私にとって、久しぶりの文楽。高揚感と、途中で眠くなったらどうしよう…という不安も少し。それが、いざ始まると、大体のストーリーが呑み込めているためだろうか、ぐいぐい、ぐぐぐいーーっと引き込まれてしまった。
義太夫に導かれるように人形が生き生きと動く、三味線がその場その場を盛り上げる音を奏でる…。三人の遣い手が一体の人形を動かしている、と頭でわかっているのに、泣いたり笑ったりする人形たちの脈の音が聞こえてくるような気がした。あっという間に終演となった。
「へえ、文楽って、こんなにおもしろかったんや」。それなのに、数えるほどしか舞台を見た経験がない。まるで大きな宿題を思い出したような気分で、帰りの電車で次の公演に行く日を決め、何人かの知人を文楽に誘った。「文楽は観に行ったことがないけど」という返事が多かったのは意外なほどだったけれど。それでも一緒に行った知人たちはみな、「文楽って、おもしろかったわ」とちょっと不思議そうな顔になった。
文楽は、大人になってから観るほうがいいのかもしれない。
「二月堂良弁杉」、「壺阪山霊験記」…と次々に観た。歌舞伎で同じ演目を見たときとはまた違うおもしろさがあった。
文楽って、そもそもどんなものなんだろう?
そして、なぜこれほど奈良が舞台になっている演目が多いのか?
観劇ができない今だからこそ、このふたつの疑問の答えを私なりに探してみたいと思った。いったいどこから攻めればよいものか……。私が存じ上げているなかで一番「文楽な人」にまずは聞いてみよう。それは間違いなく、三味線の鶴澤清介さんだ。清介さんの奥様が、最初に出てくる「講座の参加者」で、私を文楽に誘ってくれた張本人である。そのご縁で、清介さんにもごあいさつをさせてもらい、実は奈良にお招きする講座も企画していた。残念ながらその5月末に予定していた講座も延期となったが。
思い切ってお願いしてみると、清介さんは「どんな話でもしますよ」と張りのある声で、文楽の奥深い魅力について語り始めた。
一段目「文楽は、おもしろい」
~三味線の鶴澤清介さん・出会いから初舞台まで~
文楽っておもしろいでしょ。僕自身がずっと、かれこれ50年近く、そう思って舞台に立ってきました。文楽って聞いただけで、辛気くさいとか、まどろっこしいんちゃうん?って言う人があるけれど、一回観てから言うてって思います。文楽って、けっこうテンポええし。文楽の三味線は、言うたら「ロック」そのものやし…(笑)。
演目も、三大名作って言われる「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」「仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)」「義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)」の他に、近松さん(近松門左衛門)がお書きになった世話物の「曽根崎心中(そねざきしんじゅう)」とか「女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)」とか、よく上演されるものだけでも相当の数がある。
結局、人間の建前しか描かれてない作品は、途中で廃れてしまったんやと思いますねん。江戸時代から令和の今までざっと300年も伝わってきた演目は、どこかに人間の本音が見えるもんだけ。だから、どれをとっても、どっかにおもしろさがあるやないかな。
なんでこんなダメなやつが…って思う登場人物、文楽では仰山おります。「油殺女地獄」の与兵衛とか、なんでそこでそないなんねんって。でも、よく考えてみたら、ほんとの世界にもダメな人間っておりますやん。舞台で見てる分には、ここでちょっとこらえたら、こんな見栄を張らなんだったら…って思うんやけど、ほんとの人生だって、うまいこといかへんことの方が多いですもん。
どこから見ても完璧な登場人物なんて、文楽ではめったに出てきません。そこが、誰が観てもつい文楽に引き込まれてしまう理由なんかもしれません。
さて、まずは、僕がなんで文楽の三味線弾くようになったんか、お話しときます。
大阪のごくふつうの共働きの家で育って、親類縁者にも古典芸能に関係している人がおったわけじゃない。まあ、強いていえば、3歳上の姉が宝塚(歌劇)が好きで、小さいころからよう舞台に付き合わされてました。
いつごろからか噺家になりたいと思うようになって、中学の頃から、岩波の古典文学大系の「文楽浄瑠璃集」というのを読んでみたら、これが、けっこうおもしろい。注釈もあるから意味もようわかるし。当時は近松全集の豆本も本屋で安う売ってたんでそれを買ってきたりして、浄瑠璃に興味を持ったんは、活字からでした。
それから、ラジオで八世竹本綱太夫師匠の義太夫を聞いたんです。びっくりしました。それまで活字で見てたことが耳から入ってきたわけやから、何言うてはるかもようわかるし、何より節がつくとこんなに生き生きと情景が見えてきて、おもしろいなあ…と感激して。で、親に言うたんです、「義太夫を習いたい」って。「しゃあないな、高校受験に合格したらな」と約束取り付けて、晴れて高校入学と同時に、豊澤住造師匠という方につきました。ところが、習い始めてすぐ盲腸になって。
お医者さんから「腹に力を入れる義太夫はしばらくやったらあかん」と止められました。僕、師匠からは義太夫だけでなく三味線も習ってたので、「三味線もだめですか」と確認したら、お医者さんは、まさかこんな激しい「ロックな三味線」とは思いもよらず、「三味線ぐらいならかまへん」と。これが、僕が三味線のほうに進む分かれ道になりました。
三味線もやり出したらおもしろくて、夢中になりました。親は大学だけは行ってくれというんで進学はしたけど、どうにもこのまま大学を出て勤め人になるのはなあ……という思いが高じて。1973(昭和48)年、20歳のときに二代目鶴澤道八師匠に入門しました。
このとき、ちょっと出来過ぎた話もあって。
母親が僕の将来を心配して、飛び込みで占いしてもらった。そしたら、その占い師さんに「女性やったら芸妓さんにさせたらええのになあ。この子は三味線やらせたら成功するで」って言われたそうで……。
大阪ではしばらく三味線の新人がおらなくて、僕は入門した翌年のお正月にはもう初舞台を踏みました。演目は「桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)」の道行の段でした。
写真説明
文楽三味線 鶴澤清介(つるさわ・せいすけ)さん
撮影 石井均
(二段目につづく)
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