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【開け、奈良~一句から始まる奈良めぐり~】 第九句 阿修羅の瞳

俳人としても活躍する編集者で文筆家の倉橋みどりが贈るショートエッセイ。奈良で詠まれた一句、奈良を詠んだ一句から、奈良の歴史へ人へと思いをめぐらせます。


瞳涼し阿修羅少女か少年か  津田清子(1920/大正9年~2015/平成27年)

 この句は1985年(昭和60年)に詠まれた。この句と同じ問いを抱えている人は多いのではないか。私もそうだ。少女なのか少年なのか。泣いているのか怒っているのか。そして、阿修羅さんの前に立つたびに、答えは変わる。
 最初に国宝館を訪れたのはいつのことだったか。まだ古い建物で、阿修羅さんは、ガラスケースの中におられた。晴れている日も、なんだか館内は湿ったようなにおいがして、少年が、泣き出しそうになるのを堪えている顔に見えた。
長年、国宝館の館長をつとめておられた小西正文先生が「ケースの中の掃除するときなんかにね、阿修羅さんを動かすと、知らない方から電話がかかってくる。今日、阿修羅様を動かしたでしょ?って。どうしてわかるのか不思議なんだけど」と教えてくださったことがある。
 2009年(平成31年)、東京国立博物館と九州国立博物館で「興福寺創建1300年記念 国宝阿修羅展」が行われ、阿修羅さんは長い旅をされた。私が山口に帰省していたとき、ちょうど九州国立博物館に来ておられた。テレビで繰り返し展覧会のコマーシャルが流れ、どうしても足を運ばなくては済まないような気持ちになり、福岡へ向かった。
開館前から長い列ができていて、ようやく阿修羅さんの前にたどりつくと、今度は警備員の「立ち止まらないでください、ゆっくりと進んでください」という声がした。人の波が、その声に合わせ、まるで行進するように、阿修羅さんのまわりを一周した。そのときは、少し恥じらいながら、それでいて、主演女優が舞台に立っているような華やさに包まれていた。
 奈良に戻ってこられ、リニューアルした国宝館で阿修羅さんにお会いしたときには、計算され尽くしたライティングのためか、どこか達観したような、ほっとしておられるような雰囲気で、そして、後ろの壁に映る影がなんとも美しく、いつまでもここに立っていたくなった。
 さて、この句の作者の津田清子さんは、奈良市学園前に住み、私の敬愛する橋本多佳子の愛弟子であった。生前に何度かインタビューをさせていただいたこともある。師の多佳子を見送ったあとも研鑽を積み、俳人にとって、最高の栄誉といってよい蛇笏賞も得た。私がお会いしたときは、すでに80代にさしかかっておられた。化粧っ気は一切なく、髪の毛はひっつめ、長年教師をしていた人らしい、どこかいかめしい雰囲気が漂っていた。だが、多佳子の話になると、途端に子どものようなあどけない眼差しに変わった。「多佳子先生は今も特別です。厳しかったけど、美しくて。あんな人には後にも先にも会ったことがありません」。
この句を読むと、津田さんも何度となく、阿修羅さんに会いに行かれたことがよくわかる。おそらく阿修羅さんの姿に、多佳子の面影を重ね、いろいろなことを問いかけながら。
少女か少年か、この表情は愁いなのか、憤りなのか、どこを見ているのか……。何度お会いしても、この問いの答えは見つからず、涼しい眼差しと私たちの視線とが交わることも決してない。阿修羅さんの眼差しは、「もっぱら自分に向けられている」(『もっと知りたい 興福寺の仏たち』金子啓明著)のだから。
私たちもまた、阿修羅さんの前で、自分自身のこころをひたすら深く見つめるよりほかないのだろう。
また、あの涼しい瞳に会いに行きたくなった。

以上


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