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【開け、奈良~一句から始まる奈良めぐり~】第八句 青水無月

俳人としても活躍する編集者で文筆家の倉橋みどりが贈るショートエッセイ。奈良で詠まれた一句、奈良を詠んだ一句から、奈良の歴史へ人へと思いをめぐらせます。

第八句)
青水無月の道
 
 今年の梅雨はよく降る。
 この原稿を書いている7月18日も朝から雨。出かけるのが億劫になったが、午後からはからりと晴れた。こんな日の愉しみは、たっぷりと雨を含んだ緑の木々が、きらりきらりと輝く様子を見られることだ。
 
はじめての道も青水無月の奈良  
 皆吉爽雨(1902年/明治35年~1983年/昭和58年) 
 
この句を思い出し、今日の午後はまさしく「青水無月の奈良」だったなぁ、とうれしくなった。
「水無月」とは旧暦六月の異称。今の暦でいうと7月ごろとなる。「水無月」などの月の異称を季語として使うときには、今の暦ではなく必ず旧暦に合わせるというのが、どんな「歳時記」にも書かれている「俳人にとっての常識」だ。
「水無月」だけでも夏の季語となるのだが、この句では「青」をつけた「青水無月」という言葉が選ばれている。
ここでいう「青」とは「緑」のこと。古来、日本ではさまざまな色を「赤」「白」「黒」、そして「青」の4種類に大別したという。このなかでもっとも守備範囲が広いのが「青」で、「赤」「白」「黒」に当てはまらない色をひっくるめて「青」と呼んだ。だから、青色は「漠色」なのだとする説があり、興味は尽きない。日本の風景の中にあふれている「緑」のものを「青」と呼び習わしている例は、青信号、青田、青蛙、青林檎…とけっこう多い。そういえば、東西南北をそれぞれ司るという四神のうちの青龍も、緑色のからだで描かれることがある。だから、この句で水無月といわず、わざわざ青水無月としたのは、水無月の、木々などの緑の美しさをより強調したかったからだと思う。
それにしても、青という字と水という字が加わるだけで、なんと涼やかな一句になることか。
そして、この句はリズムにも工夫がある。「はじめての」五音、「道も」三音、「青水無月の」七音ときて、「奈良」二音で着地している。足せばちゃんと十七音になっているし、出だしは定型のリズムなのだが、残りは「句またがり」と呼ばれる、ややぎくしゃくとしたリズムとなっている。
 このぎくしゃくとした感じから、「はじめての道」を好奇心いっぱいに、実に気持ち良さそうに歩いている作者の姿が見えてくる。「道も」の「も」の一文字が担う役割も案外大
きくて、作者にとってはじめてのこの道も、何度も来たことのある道もすべてが美しい緑の水無月を迎えていることへの感嘆が伝わってくる。
 この句が生まれたとき、作者は奈良のどこを歩いていたのだろうか。その答えにつながるようなヒントはこの句の中にはない。だから、読者は、自分の好きな奈良の青水無月の道を思い描けばよい。
雨上がり、見慣れた道が驚くほど美しく見えることがある。
今日の私が歩いた、きたまちから若草山に向かって歩く道もそうだった。木下闇の下水門橋を渡るころ、梅雨明けを待ちきれない蝉が一斉に鳴き始めた。作者の爽雨も、夏の奈良で、こんなふうに蝉の声に立ち止まり、勢いよく湧き上がっていく白い雲を眺めていたような気がする。
梅雨明けが、待ち遠しい。

以上

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