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カンタ著「靄靄」を読んで。
ついに2024年12月3日、カンタくんのエッセイ「靄靄(あいあい)」が発売されましたね!
私はサイン会のもの、純粋に特典がもう一つほしくて買ったものの2冊を予約していたのですが、書店に並んでいるのが嬉しくてもう一冊読む用に買いました!
AmazonでKindleバージョンも売っているので興味のある方はぜひお買い求めください。
今回のこれは「とりあえず初めて手に取った、読んだ時の感情を残しておきたい!」という気持ちで書いていますのでネタバレあり、個人的な話ありで進みます。
なにせだらだらとまとまりなく書いていますので、苦手な方はご無理なさらずにお願いします。
初めにやったこと
まず、まぁカバー裏は見ましたね。
カンタくんはカバー裏にも潜ませていて欲しい人なので絶対に何かあると確信していました。
めくってみると案の定。
個人的には表紙側の「カンタ」と「お猿さん」の被る感じが「内なる猿」みたいでとても好きでした。
カンタくんって大人しそうで一見「普通の子」なのに「おもしろ」に全振りできちゃうヤバさがあって。
そういうところがまた好きなので、この「内なる猿」はそんなカンタくんを表現しているようでなんだか勝手な満足感がありました。
裏の方の猿の圧もいいですね。
お猿さんになった瞬間のカンタくんのハートの強さが大好きなので、この圧も心地よかったですね。
ちなみに私は表紙の感じもすごく好きで。
元々強い色ってそんなに得意じゃないというのもあるのですが、懐かしさを感じる淡く温かな少し粗さがある感じ、良かったです。
そっと撫でたくなる愛しさを感じました。
「靄靄」の解説
ここにこれ入れてくるのおしゃれだなぁ。
私、辞書の書き方って無機質だけど面白くて好きなんですよね。
たまに「え、こんな例文?」って思うのがあったりして、実はけっこう面白い読み物だと思っていたりします。
なので、ここでこの書き方入れてくるの面白いなぁと。
辞書という視点以外にも例えばアイキャッチのようなパンッと世界観を区切るようであり、推理小説の登場人物欄を読むようなこれから何が始まるんだろうというワクワク感もあり、とても良かった。
内容で言えば、②の意味ってあんまり知らなかったなぁ。
けっこう辛いこととか苦しいことを隠さずに言葉にしたシーンも多いのかなと思っていたのでこっそり安心しました。
③が付け加えられているのもいいですねぇ。
こういうところの小技と興味の引き方、カンタくんだなぁ。
掴みが大切とよく言われる小論文、うまそうだなぁと思いながら見ていました。
目次
目次、定型になっていないタイトルが並んでいてとても嬉しい気持ちになりました。
型にはめたものじゃなく、カンタくんが書きたいものを書いているんだなぁと感じたんですよね。
元々気になっていた「相方ってなんだ」はもちろん、タイトルとしていいな、と思ったのはこちら。
「レモン」(梶井基次郎リスペクト?)
「脳みそが限界だ」(カンタくんの声が聞こえた)
「会社が崩壊しそうになったアレ」(笑える予感)
「はじめてwwwをつけた日」(いい話をしてそう)
「大房先生」(泣ける予感)
「留守番電話との闘争」(これまた笑える予感)
目次でもワクワクさせてくれるのさすがですね。
とりあえず本編を読み始める前に、ご協力いただいた皆さんのお名前に手を合わせました。
皆様、本当にありがとうございます。
靄靄
いや、第一章から泣いたんですが。
この涙を分析してみると、カンタくんの苦しかったことを思って苦しくなった涙と、届けてくれた言葉が心に染み込んできたからこその涙と、半々くらい、ですかね。
私が繊細さんかは分からないけれど、「人に嫌われたくない」「人に必要とされたい」という気持ちは幼い頃からずっと持ち続けているので共感するところも多かったからかもしれません。
(どんな人生を歩みたいか考える練習で自分の葬儀で何と言われたいか訊かれて「いないよりマシだった、と言われたい」と答え、社会人になってからは先輩に「「嫌われる勇気」読んだほうがいいよ」と言われ続けてきた人生です。)
そして「あなた」という言葉がとても新鮮でしたね。
カンタくんはいい意味でファンを特別扱いしたくない人だから「みんな」を意識して向き合ってくれていると思っていて。
(逆に今のトミーは「あなた」と一人ひとりに対して向き合っているように感じる。)
そんなカンタくんが「あなた」と呼びかけている。
鳥肌が立ちました。
特別な本なんだなと嫌でも伝わってくる。
凄い。
そして、そんなカンタくんの思いを受け取りたいな、と思いました。
カンタくんが振り返るどれも苦しかったと思うんだけど、間違ったと言い出せなかった時、それはもう苦しかっただろうなぁとなんだか一緒に胸が詰まったような感覚になりました。
個人的には「周りに優しくあること」「穏便に済ますこと」は別に間違ってはいないのかなと思っていて。
その代わり「自分という存在も忘れずに尊重すること」が大事なのかな、なんて思いました。
私、優しくされると泣いてしまうタイプなんですが、カンタくんの「大丈夫」に涙が本当にぽろりとこぼれ落ちました。
この「大丈夫」に救われる人、きっとたくさんいるんじゃないかな。
なんて優しくて強い「大丈夫」なんだろうか。
経験の重みがそうさせるのかな。
人を救える「大丈夫」が言える人って強い人だと思うんです。
カンタくん、凄いなぁ。
そんなグレーじゃなく「あわい」という言葉を使うカンタくんの柔らかく混じり合った色をみていきたいなと思いました。
最後に添えられた
「丁寧に読んで欲しい」
「雑に読んで欲しい」
なんて素敵な表現だろう。
大好きだなぁ。
カンタくんの気持ちをできるだけ丁寧に受け取るよ。
そしてふと疲れた時に手を伸ばしてくすっと笑わせてもらうよ。
ありがとう。
クリエイター
私にとって、水溜りボンドは「インフルエンサー」というより「クリエイター」なんだよな、とまず思いました。
会社でも通勤往復でも意図せず涙が出てくるような今であれば鬱と診断されただろう状態で1日も欠勤せず働いていた私。
感情は動かさないほうが楽になっていたから言うなれば凪の状態で固まっていて。
少なくとも自分の感情の動きに鈍感になっていたと思う。
日々に必死で自分のために何かをするのも億劫だった時に私は水溜りボンドに助けられました。
水溜りボンドは私の感情に柔らかい波を立ててくれた。
だから私はほっと息をつくことが出来て、今ここで笑えていると思っています。
だから、私は水溜りボンドが正しくカンタくんの言う「クリエイター」だと思っている。
でも。
多分カンタくんは私のような「ものづくりをしない人」の言葉でそれを実感するのは難しかったんじゃないかなと思う。
それは悪い意味じゃなくて。
それこそ「作品を認められているか」に近い感覚なのかな、と。
アート展の時にあのアートを「アートを愛する人」に買ってほしいと思ったような、そういう感覚なのかも、と勝手に思った。
そして、「消費されている感覚がある」と言っていたカンタくんを思い出した。
多分、「ものづくりをする人」にしか分からないものがあって。
そこの共鳴でしか埋められない穴もあると思うのだ。
だからこそ、カンタくんには我々ではなく師匠の言葉が必要だったんだと思う。
それがカンタくんの「ものづくり」を肯定することだったんだと思う。
師匠さん、本当にありがとうございます。
私たちはあなたのおかげでたくさんの水溜りボンドに出会えたのだと思います。
そして、石井さんにいじられても「オワコンじゃない!」と反論できるカンタくんはこの章を書くことで改めて「胸を張る」ということを意識するようになったのかな、なんて思ったりしたのだ。
(ちなみにそんな石井さんとのプロレスラジオはおちら。面白かったのでぜひ。)
昔はこんなにはっきりと言わなかったよね。
石井さんはイジリなので置いておいて、そんなこと言ってくる人の心が本当に寂しいのだと思うけど、それに言い返さないカンタくんは辛い気持ちを中に溜めているんじゃないかなと思ったりしたこともある。
そんなカンタくんが言葉にできるほど自分の中でこう「自信を持とう」と思えるようになったんだなと思うと胸が熱くなった。
ここまでにカンタくんが過ごしてきた時間を想像した。
言葉で表現することを意識してくれるようになったなと変化を感じていたけど、ここも凄く大きな変化、いや進化だなと思ったのでした。
煙草
これは動画で話してくれているところも多かったですね。
このカンタくんの自分を破壊する感じ、実はちょっと気持ちがわかったりします。
私の中では自意識過剰に思っていたなと振り返る部分ですが、例えばコンタクト。例えばピアス。例えば煙草。
「らしくない」と思われることが怖くて「色気づいてる」みたいに思われることが恥ずかしくてチャレンジしなかったことがたくさんあるな、と。
この辺、カンタくんに凄い共感します。
この中で結果チャレンジしたのはコンタクトなんですが、やってみると「何も感じない」のも凄くよくわかります。
(コンタクトをやってみた結果、乾燥が凄いから結婚式みたいなイベントとか気が向いた時のおでかけくらいにしか使わないです。)
でもやってみてから、知ってから自分の気持ちを見直すことはとても大切なことなんだなと思っていて。
私にそれを教えてくれたのは水溜りボンドです。
「YouTuberって若者が好きなことだけやっている」
そんなイメージを壊して「死ぬ気で面白いことをやってる」そう教えてくれたのが水溜りボンドだから。
水溜りボンドを知ってYouTubeの奥深さも「エンタメを作る人」のことも知りました。
水溜りボンドかいなかったら、私はYouTubeに触れない人生だったんだろうなと思います。
こんなに人生を豊かにしてくれている水溜りボンドに出会ったからこそ、やってみる、知ってみるはとても大切だなと思うのです。
ありがとう、水溜りボンド。
人って何歳でも成長出来ると言う言葉はこういう経験と学びから来てる言葉なのだろうなと思います。
ちなみにこの章ではカンタ君の好きな漫画やキャラクターの名前がたくさん出ていて凄く身近な感覚になりました。
YouTuberを始めた理由
田淵くん、勝手に好感を持っているので話が出ていてにこにこしてしまいました。
カンタくん、田淵くんのこと好きなんだなぁ。
変で面白くて面倒で信頼してる、そんな関係性のように感じました。
(硬いおにぎりを持たされて田淵くんの結婚式に行くカンタくんが爆誕したANN0、たまらなく好きです。)
ちなみにこのキングオブコントの予選の話も前に何処かでしてくれていたように記憶していて。
カンタくんの同じレースをしないってやり方はなかなかできるものではないなと思う。
みんなと同じレースを走れば頑張り方はある程度分かる。
努力の方向が分かっていれば頑張りがいもある。
でも、その分差別化をはかるのは難しい。
それでも頑張り方も方向もわからない道に飛び出す恐怖に比べれば、と同じレースに並ぶ人はたくさんいると思う。
それでもカンタくんはそれを決断した。
豪胆だと思うし、それだけの覚悟があったんだろうな。
凄まじさを感じた。
そして、夏休みのような寂しさ(この表現がとても好きだった)を感じていたこの人を「この先も」とYouTubeに進ませた相方の存在を思って、なんだかとても愛しい気持ちになったのでした。
サークルに6個入って全部やめた話
ソトッキーソトッキーの話、私大好きなんです。
カンタくんの尋常ならざる一面が垣間見える感じがたまらないんです。
カンタくん、真面目に堅実にヤバい奴だな、と。
そして巨大ユニオンを諦めてまで彼を魅了した「笑い」とは凄いものだな、と。
今でこそ飲み会も楽しんでる様子が見えるカンタくんだけれど、この当時のカンタくんはおそらくそれほど飲み会が好きではなかっただろうと思う。
そしてそんなに知らない人の中にいることが好きなタイプではなかったに違いない。
その人が見せた異常な行動力。
目的に対する行動力が今も変わらずエグい。
そして決断力よ。
カンタくんが凄まじく詰まったエピソードだな、なんて思ってしまう。
ちなみに、個人的に「(無視してください。)」の一文がとても好きでした。
SNSエネルギーヴァンパイア
これに関しては私はあまり当てはまらない(ひとつもチェックがつかなかった)のですが、当時のカンタくんを思って胸が痛くなりました。
写真を好きに撮れない、はさすがに想像して辛くなってしまって。
私は写真を撮らないけれど「この景色好きだな」と自分の安心する何かを捉えられなくなってしまう日々は辛いよね。
社畜と言っていい日々を過ごす中でふと「星が出てるってことは晴れてたんだな、今日」と気づいた瞬間のふと我を取り戻す感じを思い出した。
私は昔からオリオン座が好きで。
深夜にタクシーを待っている間、オリオン座を探す時はどこか社会人の自分ではない何かだったように思う。
そんな瞬間がなかったカンタくんを思うと胸が痛くて。
一度ページを閉じた。
自分軸という話についてはとても耳が痛かったですね。
私は小学校の文集で将来の夢を書いた時、友人に「獣医さんって書こう!」と誘われて獣医と書いた人間なのだ。(結果私だけが獣医学部に進学することになる。)
自分のなりたいものがなかった、ということもあるけれど「あの子は被ってほしくないんだろうな」とか「ないと書いたら心配されるんだろうな」とか周りの反応を見て、自分がどうするべきか考えていた記憶がある。
SNSエネヴァンも同様に、周りの「気持ち」が「文字」や「再生数」という形で見えるからこそ、その価値観を配慮したくなったり、いつの間にか引きずられてしまうものなんだろうなぁ。
私はたまに書くこのnoteを「評価されたい」という思いで書いていないので読まれている数字を見て落ち込んだりはしないが「なんでこれだけこんなに読まれてるの?」と疑問になったりすることはある。
(本当になんで「「裏が表になっていく世界がやってきました」について」があんなに見られているのかは謎。)
これが「評価」という視点も加わった数字だったら、毎日ジリジリとすり減らされる辛さなんだろうなぁと想像した。
みんな自分の心の中に好きなもので埋め尽くした「自分の城」を持てるといいなぁ。
成功するYouTuber3つの法則
カンタくんのめんどくささ(いい意味で)がよく出ている「濁音とン」の法則の話から始まっていて、それがとても良かった。
ちなみに私も名前は平々凡々なので、カンタくんのパンチが欲しい気持ちはよくわかる。
(同じ苗字の友達は苗字を変えたくて結婚したがっていました。)
YouTuberの法則は特に2番目と3番目がそうだなと感心しましたね。
確かにバスケだなぁ。
バレーでもいいのに、バスケだなぁ。
テンポの良さという意味では野球、サッカーよりYouTuber向けなのなんとなく分かるけど。
バレーでもいいのになぁ。
なんでなんでしょうね。
そして、以前も書いている通り「関係性」がとても好きな私は「兄弟」に惹かれる気持ち、少しわかります。
ただ、実際の兄弟よりもさらに家族のような水溜りボンドが大好きなんですよね。
それはきっとカンタくんの言葉を借りるなら「信頼」というものなのかもしれません。
私、コブクロと水溜りボンドについてはその人柄や関係性から見える姿を「信頼」している自覚があります。
だからこんなにどっぷり沼につかれるわけですね。
そう思わせてもらえることは本当に幸せだなと思いました。
レモン
これ、タイトルから気になっていました。
爆弾に見立てられることもあるレモン。
それで何の話をしたいのかな、と。
破壊の話か?と思いました。
そうしたらラスト・サムライの話になっていました。
まさに箸休め的な感覚で読めましたね。
このわけわかんなさ、凄くいいな。
そして、カンタくんのラスト・サムライへの思い、想像以上に強いな。
残ってるものを「遠慮の塊」と言ってきた人生でしたが、強い心で食す人に尊敬を込めて今後はラスト・サムライと読んでいきたいと思います。
ちなみに私も二次会の出席率が異常に低いタイプで。
1次会でパワーを使い果たすタイプなんです。
(人と話すってパワーいるよね。気を遣うし。)
そんな私はカンタくんが朝まで飲める仲間ができてほしいような、そのままでいてほしいような、微妙な気持ちでいます(笑)
辛かったYouTubeを始めた頃
ここまでの中で一番宇宙を見るような気持ちになった章。
何を言っているんだか自分でも分かりません、
すいません。
ただ、私はその頃の水溜りボンドをタイムリーに見ていないし、その頃のArksメンバーも知らないけれど、遠いその時に思いを馳せる、という感覚になったのです。
人に歴史あり、だよなぁ。
毎日必死だったカンタくん、それに応えるようにお金を振り込んでくれた鎌田さん、(おそらく本人にとっては当たり前に)カンタくんと進むそこに人生をかけたトミー、カンタくんに応じるように共に歩き始めてくれた拓朗くん。
今のカンタくんは大事な人を手放さない努力をしてきたからこそ得られたものなのかな、なんて思ったりしました。
繊細さんなカンタくん。
そんなカンタくんが手放さないために一歩踏み込めるって凄いことだなと思う。
そして、そこまでさせてくれる人がそばにいることはきっと今後も大きな支えになる。
そんなことを思った章でした。
家族
元々佐藤家は素敵な家族だなと思っているわけですが、それはカンタくんが家族に「尊敬」の気持ちを持っているからだなと改めて思った章でした。
いい大学に通わせてもらっていることを当然とせず、きちんと自分の口から伝えたカンタくん、なんて素晴らしい息子さんなのか。
鼻水が凍っていたミミの話も愛しかったですね。
佐藤家は「一般的な日本家庭」とは違うかもしれないけれど、知っていて言い出さなかったお父様がそれでも動画を見てくれていたところとか、「やめなさい」じゃなく「趣味じゃないのか」と訊くところとか、お父様もカンタくんという末っ子を自分の思い通りにしようという考えではなく現実を見て自分で決めさせようとされている方なのかなと思えて素敵な方だなと思います。
それって実はなかなか出来ないことなのではないかな、と。
うちは比較的厳しかったこともありますが、兄が音楽(トロンボーン)を本格的にやりたいと言った時、徹底的に否定していました。
妹の前で叱ることはあまりなかったのでこっそり言い争っているのを見ていたのですが、それが一般的だろうなと漠然と思っていました。
でも、カンタくんのお父様は違う。
安全な道を勧めるのも愛だし、逆に好きな道に進ませるのは厳しさかもしれません。
それでもその厳しさとその厳しさを選べる強さをお持ちのお父様、かっこいいなと思います。
私は幕張で手を振っていらっしゃるお父様を拝見したのですが、本当に嬉しそうにされていてこちらまで嬉しくなったのを覚えています。
愛に溢れた素敵なお父様だなぁ。
愛犬のミミとの別れ
カンタくんのミミへの愛情を感じてクスッと笑えた。
そして涙が出ました。
かつて私の実家にも同じように保護犬(青森の橋の下に捨てられているのを親戚が見つけた)がいて。
小学生から社会人1年目までずっとそばで生きてくれました。
小さい頃は犬に乗りたくてこっそり試してみてはおすわりされてうまくいかない、なんてこともありました。
私は双子なのですが、双子だからこそお互いに言えないことも理不尽に感じても家の中では見せられないこともありました。
そんな時は玄関の飼い犬のところに行って、ぎゅーと抱きしめているだけの時間があって。
涙している私のそばにいてくれるだけの時間もありました。
そんな存在が弱っていくのは辛いよね。
とても寂しいと思う。
苦しいと思う。
しかも介護期間が長ければ長いほどその姿を見続ける辛さが待っている。
本当にカンタくんのお母様は凄いな。
それだけお母様にとっても大切な存在だったんだろうな。
それに応えるように20年生きたミミは偉いね。
頑張ったね。
優しい子だ。
きっと今でも佐藤家を見守ってくれているのでは、なんて思ってしまう。
(カンタくんのお母様がANN0の時にミミが起こしてくれた、とおっしゃっていたエピソードが忘れられない。)
そして、そんなミミを失った苦しみを見せたくなかったカンタくん。
大切な思い出なんだもんね。
消費されたり切り売りするものにはしたくなかったんだろうな。
でも、こうしてミミという大きな存在がいてくれたことをカンタくんが表現したいと思ってくれたこと、とても嬉しいなと思います。
ミミ、ありがとう。
幸せに過ごしていてね。
脳みそが限界だ
率直にタイトルを見て何の話だろうかと思いました。
忘れ物の話か。
水溜りボンド、本当によく忘れ物をしますよね。
ファンの目線としては本当に脳の容量がいっぱいいっぱいなんだろうなと思っています。
(もちろんエンタメとして笑っていい時は心から笑っている。)
そして、個人的にはいっぱいいっぱいと同時にカンタくんは自分の興味に正直なんだろうなとも思っています。
私から見るカンタくんは集中型のイメージなんですよね。
幼いカンタくんが空に気を取られてしまっていたり、ブラジルで動画のことに集中していたり。
それは一つの才能なんだろうなと思います。
ものづくりをする人にとってそういう集中力は実は欠かせないものなのでは、と思っているのでやむなし。
「神は全てを与えない」ということなのかな、と。
ちょいちょい文句入れてきたりエピソードが長めだったり、カンタくんとしては悩ましい章なのが伝わってきましたが、個人的には楽しい章でした。
ごめんね、カンタくん。
最後の落とし物の話が急に出てくるのもカンタくんだったなぁ。
お写真
色合いといいざらつき感といい、懐かしさを呼び起こす感じがとても好きでした。
これがカンタくんの生まれ育った場所の景色か、と感慨深い気持ちです。
カンタくんの表情もすごく素敵なんだけど、この写真の空間の空いている感じがすごく私には響きました。
台車を運んでるのコミカルでかわいかったです。
片足上げてるのも愛らしい!
スーパーナチュラル
凄くいいバランスで面倒くささ(褒めてる)と心が現実にぎゅっと引き戻されるような文章が交互に来て、感情が忙しい章でした。
Voicyで度々登場し、ケンちゃんが言う時は大体半笑いになる「スーパーナチュラル」
もちろん知っているものの、そこに続くアルファベットに「あ、これ面倒なやつだ!」と思いましたね。
その瞬間にくるこちらの動きを想定したような「しっかり読んでついてきてね。」
そしてそこに続くドキッとする言葉。
ページを捲った先にあるウザいまとめ。(褒めてる)
無理矢理な「NS」(絶対にその略し方じゃないはず)
胸が苦しくなる昔の話。
(私は変な人なので、カンタくんが選びやっていたことだったとしても1視聴者として申し訳ない気持ちに勝手になってしまうのだ。面倒な性格。)
そして、私も鬱状態みたいになってしまったことがあったからここが、とても胸に来た。
![](https://assets.st-note.com/img/1733832973-bZs6uGMpegDhYt0zOdaHQIw2.jpg?width=1200)
毎年多面観察で「利他精神」「自己犠牲」という言葉を書かれる私。
「身を粉にしないで働く覚悟」
果たして私にはあるだろうか。
結論はまた一足飛びでカンタくんだなぁ。
毎日投稿をやめた理由
ここ、とても胸が苦しくなりました。
水溜りボンド、そしてカンタくんにとって大きすぎる変化である「毎日投稿終了」
それは私にとっても未だ心の何処かにひっかかっている出来事です。
それは寂しさだったり、フィナーレの美しさに対する感動や感謝だったり。
でもそれだけじゃなく続けてほしいと思ってしまったことに対する負い目もあります。
だから読み出すのに少し勇気が必要でした。
この章は「理想の生活」という言葉から始まっていた。
「矛盾がピークに来ていた時期」というところで心がザラッとして、「毎日投稿をやめるべきでないことは、日本で一番わかっていた。」で泣きそうになってしまった。
カンタくんが噛み締めているようにも、叫んでいるようにも感じた。
そして拓朗くんに言えなかったほどその現実に抗いたかったカンタくんを思った。
その思いを分け合ったおそらく唯一であるトミーのことを思った。
ここ数年のカンタくんは発言がなかったことになることがある(悪い意味じゃないです。)
金曜日のゲーム生配信も「カ曜日」も今は「そんなことも言ってましたね!」レベル。
でも、Voicyは週に3回続けてくれているし、基本的に水溜りボンドの動画も週に3回動画をあげてくれる。
この「なかったことになる」は取捨選択がしっかりしているなと感じるようになった、ということなのだ。
これを読んで、その謎が解けた気がした。
そして「依存関係になりたくない」という言葉にどこか後ろめたさを感じた。
私は依存して勝手にふたりを縛ろうとしていないだろうか。
自信がない。
未だに毎日投稿に心が残っている私は、未だにふたりに依存しようとしていないか。
それがふたりを追い詰めるのでは、とたまに不安に思う。
推し活って難しいですね。
私の生活にはもう切り離せないくらい水溜りボンドが食い込んでいて。
どの距離感が正解なのか。
いつも探っています。
ふたりの求めていない言葉を発することに抵抗があるし、時には伝え方を間違えたかなと思うこともある。
今一度、ふたりにとって良い距離感を考えなければいけないなと省みました。
(ちなみに隣のお家の猫ちゃん、カンタくんがX(旧Twitter)で出してくれていたときから気になる存在だったのですが、それはカンタくんが猫ちゃんをとても印象的な存在に思っていたからなのかもな、とも思いました。)
そして、「昔のぼくにとって理想的な生活をしていた」という言葉に救われ、スライムのような生活を求める今のカンタくんの言葉にどこか安心した気持ちになったのでした。
6年の毎日投稿をやめて起きた変化
まず浮かんだ感想。
「カンタくん、ブランドのコンセプトやデザイナーさんの意図を考えて服を選んでいるの?私よりよっぽとおしゃれなんですが!!」
でした。
「かわいいなんていらない」と大学の頃から言っていたカンタくん。
私には忘れられない光景があって。
水溜りボンドふたりの好きなところをファンに聞いてランキング形式で発表したイベントがありまして。
その時、「面白い」が入っていないとがっかりしていたふたり(1位は確かコンビ愛的なものだったと記憶しています)。
言わせてもらえば「面白い」は大前提だから書かなかったのですが、ふたりは「面白い」という水溜りボンドのど真ん中を答えてほしかったんだろうなと思います。
それに対して面白いYouTuberはたくさんいる中でも「水溜りボンドじゃなきゃいけない理由」をファンは答えたのだと思います。
そのすれ違いに可哀想になったのですが。
あの頃は「こう見てほしい」「こう理解してほしい」の幅が今より狭かったように思います。
それはきっとプライドでもあり、彼らの支えだったのでしょうね。
それが今や薄サングラスをかけられるようになるなんて。
感慨深いものです。
ちなみに私も休み=サボりと感じていた時期があったので「誰も頼んでないよ。」がクリティカルヒットしました。
はい。すいません。
でも、「せっかく生まれてきたのだから」にはまだ共感できませんでした。
ごめんね、カンタくん(笑)
急遽差し替えになった章。
Voicyでも言っていた噂の章ですね!
差し替えの章を一番後ろではなく真ん中に入れるなんて尖ってるなぁ、カンタくんだなぁと思っていたら都合上だったんですね。失礼。
個人的にカンタくんが100円を1万人からもらう仕事を選ぶの、とてもらしいなと思いました。
カンタくんは正しく周りの人に「幸」を与えてきた人なのだろうなと思っています。
Voicyで話していた私の大好きなカンタくんの幼少期の話があります。
「師匠」の話。
この話を思っても、カンタくんはみんなが幸せな気持ちになれる環境を作ってきた一員なんだろうと思っていて。
だからたくさんの人が集まり、カンタくんとカンタ君のやることを愛する「今」があるんだと思う。
君のそれ、凄いことだよ。
こちらこそ君を応援する今に繫がった私の人生、悪くないかもと少しだけ思えるようになりました。
こちらこそこれからもまだまだ頑張りますのでどうぞよろしくお願いします、という気持ちです。
飛行機のガチャガチャ
こちらも感覚的には箸休め章でした。
これわかるなぁ。
あの閉塞感が急に高まる感じ、なんか嫌だよね。
みんなが立つからなのか圧迫感が急に増す気がするんだよな。
ちなみに私も仕事で時間が、とかでない限りのんびり待つ派です。
カンタくんにグッドラックしてもらったご家族、凄く気持ち救われただろうな。
沖縄を楽しめてるといいな。
自分に余裕がない時って往々にしてあるけど、カンタくんのように旅行に行けなかったお子さんたちに思いを馳せるような、そんな気持ちをもっていたいものですね。
自分が嫌い
カンタくんだなぁ。
私はカンタくんに比べれば一般的な程度で名前を覚えられるし、周りに釣られる形ならぬるっと呼び始められるタイプです。
でも、じゃあ下の名前をずーっと呼んでいる人が何人いるかと考えると、、、実は片手で足りるかもしれない。
そして、その人たちは確かに心をまるっと話せるくらい信頼している。(私は隠れオタクなのでこの推し活を知っている人がそもそもそのあたりのメンバーしかいない。)
ん?私、実はカンタくんと同じなのか??
信頼度がパーセンテージで上がっていくのも間が空くと信頼が下がるのも分かってしまう。
間が空いた時に信頼が下がるの、気まずさからかと思っていたけど確かに相手が変わってるかもしれないと思っているからなのかもしれない。
目から鱗の気持ちです。
カンタくんのことを愛すべき面倒くさい人だと思って今まで笑ってきたのになぁ。
実は私も同じなのかもしれない。
でもそうやって呼ばれる名前は幸せだなと思います。
実は熱い漢なのも、素敵だと思いますよ。
会社が崩壊しそうになったアレ
とりあえず。
Arksメンバーがひたすらに愛しいです(笑)
仲良しだなぁ。
友達と仕事をするってどんな感じなのか私にはわからないところもあるけれど、Arksがいい会社なんだろうなということは不安になる暇もなく伝わってきます。
カンタくんはもちろん、ケンちゃんもたくろー社長もMr.関も黒ちゃんもみんないい人なの伝わってくるもんなぁ。
そんな皆さんがスマブラに狂わされてるの、かわいい。
スマブラ、カンタくんやひっしー、いっせいくんがハマっていたのは知っていたし、雄叫びをあげているカンタくんも見ていたけれど。
そんなことになっていたのか(笑)
(ちなみにひっしーやいっせいくんとスマブラをやっているのはこちら。)
確かに大人のやるゲームって無情だよな。
特にArksなんて「ものづくり」に情熱を向けられる人たちだからきっとみんな熱入っちゃうんだろうな。
そりゃストップかかるわ。
封印しなきゃいけないほどの空気になってきちゃった皆さんがあまりに男の子かつみんなで寄せ書きをして封印しているのが微笑ましすぎて(笑)
Arksこれからも推していきます!!
(いつか誰が寄せ書きで封印しようと言い始めたのか教えてほしい。)
人生初パチ
煙草とはまた別の章になったんだな、というのが始めたの感想でした。
人生初、という意味では同じだけどどうだろう、と。
初めましてのパチンコ、動画でも言っていたけれど劇的だったんだなぁ。
臨場感あふれる文章をありがとう。
あの一人でわたわたする感じ、私もすごく同じことをしそうで笑ってしまった。
トミーも言っていたけれど、右打ちダメなの怖すぎて私はますますパチンコから気持ちが遠のきました(笑)
でもカンタくんみたいに脳汁出まくるくらい当たるならやってみたいかもしれない。
ロレックスも確かにずっと怖いって言ってたよね。
怖がりすぎていて思わず笑っちゃったもんなぁ。
童話「青い鳥」で教えてくれる幸せの概念をパチンコやロレックスで感じるカンタくん、身近でいいと思います(笑)
リトルサムライ在中
カンタくんの部活エピソードはくすっとしてしまったけど、こんなふうに「可哀想」で終わらず「かわいそおもろい」にしてくれているのはリトルサムライのおかげだったのか!という気持ちになりました。
そしてカンタくんのなんだか妙に昭和を感じる頑固さはここから来ているところもあるのかな、なんて思いながら読んでいました。
武道とは心を鍛えること、と言ったりしますよね。
この「心」はもしかしたら折れない心なのかもしれないし、柔軟に受け流す心なのかもしれない。
カンタくんがこれまでの経験で鍛えてきた心とは芯の強さと冷静さなのかもしれないな、なんて思いました。
私にとって感情とは「振り回されると疲れるもの」でもあります。
その振り回される分のパワーを他に使うパワーとして切り替えられるカンタくん、素晴らしい人だなと思います。
自分をよく制御し、良い方にハンドリングできているんだな、と。
尊敬します。
カンタくんの前向きさって「誰かと比べる」じゃないところが素敵だなと思います。
だから周りが惹きつけられる気がする。
もちろん比較することもあるだろうしそれが悪いことではないけれど、反射で「成功」を欲しがるのではない感じが好きです。
「あの人も成功して、自分も成功すればいいはず」
ほんとそうだよ。
みんなが成功すればそれがいいよね。
ふと今までだったらカンタくんを「優しい人」と表現したくなった気がするところ、今はそれが「当たり前の人」なのだと思いました。
これがここまで読み進めてきた「靄靄」の力なのかとハッとした瞬間でした。
ちなみに「運が良かった」の中に「大学時代に相方のトミーと、お笑いコンビになれたことも、」という一言があって勝手に幸せな気持ちになりました。
ありがとう。
再びの写真
とここで出てくる猿。
猿のインパクト、強すぎんかね?(笑)
おもちゃ屋さんの前で盗塁決めそうなんですけど。
この急に笑わせてくる感じ、カンタくんだなぁ。
昔、目立ちたい気持ちを隠していた少年が街中で猿になっている今。
なんて愉快な「今」にたどり着いたんだろうね。
そしておもちゃのまつもとさんの机に座るカンタくん。
なんていうか、「お兄さん」だったなぁ。
このギャップもまた良かったですね。
SNSに顔なんか出すな
イラストがまず大好きです。
あの方々を彷彿とさせるイラストが!
カンタくんは元々SNSとかやらないタイプと書いていますが私もそうでした。
Twitter(現X)もインスタもTikTokも推し活をしていなければ使わなかったなぁ。
mixiもフェイスブックも登録しない人生を生きています。
「え、周りの人に見せたい何かなんてないですけど?」「みんな何をそんなに伝えたいんだ?」という思考で謎でした。
なのでTwitterを使い始めた時、「攻撃されることもあるんだろうな」とうっすら思ったし、YouTubeのコメント欄も書くのが怖かった。
「顔出しをする」って本当に怖かっただろうなぁと思います。
と、そこで来る己とは違う「ずっと平凡な日常を壊してみたかったのだ。」というカンタくんの言葉。
一気に胸が熱くなった。
一旗揚げようとしたカンタくん。
彼は夢を描いたわけじゃなく、野心を持って行動したんだよな。
どこまでも「綺麗事」じゃなく「現実」を読ませてもらっている、見せてもらっている気持ちになりました。
充電がなくなってしまいそうという終わり方。
これまで読んでいた章の終わりで一番好きかもしれません。
熱い心の中からすっと現実に戻ってくる感じ、うまいな、と単純に感じました。
はじめてwwwをつけた日
カンタくんは何度も死に生まれているのかもしれない、なんて思いました。
破壊と創造がテーマと以前言っていたような記憶がありますが、まさにそうなんだな、と。
己の価値観にしがみついて満足せず、「どうしてそうなのか」と自分と向き合い、他の価値観をも受け入れてきたからこそたくさんの人を楽しませることが出来るのだろうし、だからこそカンタくんの軸はブレないのかもしれない。
私も(笑)を使うことにも抵抗があり、wwwを使うことはさらに抵抗がありました。
単純に美しくないなと感じていたんですよね。
てんびん座の変な美意識かもしれないし、親の教育の結果かもしれません。
でも私はぬるっとYouTubeに触れる中で使い始めました。
流されたのが半分、周りに感情を伝える端的な手段だなと思ったのが半分。
(今は抵抗なく使いすぎているかもしれません。)
でもカンタくんはどんな己になるか、という観点で取捨選択したんだなぁ。
芸人への気持ちを捨てきれなかったところ、とても愛しいと思う。
そして覚悟を決めたカンタくんの強さをかっこいいと思う。
私は最近あまり見ていないけど、お笑いが好きな方だったと思う。
NHKのオンエアバトル、笑う犬の生活、めちゃイケ。
兄姉とたくさん見た。
M-1グランプリもずっと見ていた。
なんなら新宿ルミネの劇場を観に行ったこともある。
だからこそ、芸人さんとYouTuberさんに求めるものとは違うなと思ったりする。
その瞬間にすべてを注ぎ込んで笑わせるという真剣勝負の芸人さんもすごいと思うし、どんな「面白さ」を追求するのか自分で決めて人々の生活の中に潤いをもたらすYouTuberさんもすごいと思う。
私は、カンタくんがYouTuberという道を選んでくれたことに心から感謝している。
そうでなかったら、きっと出会えなかった。
私はどちらかというと人生の中で辛い方に入る時に水溜りボンドに出会った。
もし水溜りボンドが「お笑い」をやり続けていたら、そのパワーなら負けてしまっていたかもしれない。
でも、水溜りボンドはYouTubeで私たちに「面白さ」を送ってくれていて、その「面白さ」の中にあるふたり特有の温かさが私を救った。
YouTuberになってくれてありがとう。
YouTuberとして一歩踏み出した日のカンタくんに心から感謝を贈りたいと思ったのでした。
大房先生
泣いてしまった。
普通に号泣です。
カフェで読んでいたのに。
ありきたりすぎる言葉だけど、カンタくん、大房先生のこと、大好きだったんだなぁ。
大房先生もカンタくんのことを大切に思っていてくれたんだろうな。
少し聴いたことのある話であったはずなのに、アスタジオで電気を消してVJの練習にも付き合ってもらったというエピソードで映像が思い浮かんで。
その瞬間、たまらない気持ちになった。
カンタくんに「つべこべ」言ってくれる人がいたことが嬉しかった。
大房先生、カンタくんのこと可愛くて仕方なかっただろうなぁ。
でも、きっとカンタくんが「なにくそ!」で頑張れる人だから認めたんだろうし、そんな人だから言葉じゃなく行動でその気持ちを伝えてくださったのではないかな、なんて思った。
きっと大房先生がお家でカンタくんの話をされる時、温かい瞳をされていたのではないかと、そんなことを想像しながら読み終えた章でした。
寝ていたら、世紀の大発見をした話
これ、トークライブで少し話していたような気がするのですが、カンタくんの変なところがでていて、とても好きでした(言い方)。
カンタくんの好奇心、その好奇心の向かう先が好きだなと定期的に思う瞬間がありまして、まさにこれがそうでした。
私は一応理系なのでこういう検証系、ワクワクするタイプなんですよね。
コミカルかつわかりやすく進んでいく検証がたまらないです。
最後、成功したところ含めて正しくエッセイだなぁ、と感じた一章でした。
楽しかった。
ぼくにも嫌いな人はいる
タイトルを見て「そりゃそうだ、」とまず思いましたね。
私も不機嫌を周りに出すことは幼い己をさらけ出すようなことだと思っていて、恥ずかしいことだと思っているタイプです。
支店立ち上げで1年過ごしたメンバーからもらった寄せ書きには「天使の様」と形容されていて(それを見た仲のいい同僚が爆笑していた)、部下の子からも「しろさんはいつも笑顔ですよね。怒ることないんですか?」と言われる。
それに対して「私の機嫌も体調も、周りの人に関係ないからね。」といつも返すのですが。
ところがどっこい、家だと途端に姉と些細なことで喧嘩をする。
ゴミ捨てをどっちがするか、スプーンを最後に使って放置していたのはどっちか、で喧嘩をする。
まぁそんな話はいいですね。
この章、カンタくんが嫌だと思うことを形にしてくれたことがとても嬉しかった。
カンタくんは己のことなら行動で見返すタイプだと思っているから他者がいる時に行動に出るのはすごくわかるなぁ。
そして、「言えるようになってきた」というのもなんとなくVoicyを聴いていて、感じることが出来るような気がする。
前述の取捨選択、じゃないけれどカンタくんの中で様々な面でメリハリをつけることが出来ているんだなぁって思うよ。
それはこれまでの「伝わったという経験」と「伝えられたという自信」から来るものなのかなぁなんて思いながら読んでいました。
カンタくんの大好きな人たち。
そんな人たちが水溜りボンドを支え、大きくしてくれたんだろうなと思います。
そして、水溜りボンドのふたりはまさにこういう人たちだよなぁ、と。
ふたりとも芸能人のYouTube参入にも凄くフラットな目線だし、例えばアート展のように、料理系ショートへの参入のように、新しい場所のチャレンジについて凄く相手を尊重して入っていく。
これって苦い思い出がありつつ、なんだと思いますがそれを己の姿勢に反映できるって素晴らしいことだと思います。
私はけっこう人の好き嫌いが激しいタイプですし、レッテル貼ってしまうとなかなか取れないタイプです。
でも、水溜りボンドのふたりを通して見ることでレッテルを剥がせた人たちが何人もいます。
それはそういうスタンスのふたりの見る目を信じているからです。
(全部が全部信じるわけじゃないですが。許せないことがあったら絶対に許せないタイプなので。)
誰かを否定することではなく尊重していくことで自分たちを表現していく。
「信頼」ってこういう姿勢からも得られるものなんだよなと思います。
そして、そんな水溜りボンドを誇らしく思います。
内緒でもらった100円玉
カンタ少年、なんて愛しいのでしょうか!
大人目線で見て、微笑ましくて笑ってしまった。
100円くれる美容院。
なんだか懐かしくて愛しい光景だなぁ。
素敵ですね。
あの温かなおもちゃやさんのある地域の景色だなと思いました。
そんなカンタくんがさらに「大人」になったんだなぁ。
だらしない自分を嫌いであっても自制出来ない私のような人間が多い中で凄いな、君は。
私は恥ずかしくなるくらい単純に「今」だけみてるなと反省しました。
そして、管理できるようになった今のカンタくんだからこそイヤホンを定期的に無くすのも、忘れ物をしてしまうのも、さらなるエンタメになってるなぁとしみじみ思いながら読んでいたのでした。
留守番電話との闘争
相方の「本当には思っていません」リスペクトなのか、移ってしまったのか、と思わせる始まりが大好きでした。
この話も水溜りボンドふたりでプリプリしていましたが、やっぱり愉快!
大好き!!
留守番電話との賭けに負け続けるカンタくんのあの嫌そうな顔が想像できて笑いが止まりません。
サブスクに入っちゃうの、天才でしょ。
これはまさに「急がば回れ」を体現しているエピソードでしたね(笑)
そんなカンタくんが好きだよ。
ちなみに私は#だと思ったのでメインメニューに戻ることになりましたね、はい。
親父と寿司
素敵な親子関係だなぁ。
「佐藤家の息子から離れてまでやりたい面白いことなどない。」
私には想像できない帰属意識だ。
それだけご両親やおにいさん、おねえさんを尊敬しているんだなぁ。
佐藤家はバラバラな時間も多いお家だったのだと思う。
前にご両親が子供は綿毛のようなもの、と言っていたと聴いた気がするけれど、その根は間違いなく「佐藤家」なんだなと感じた。
家族として、ここまで根を生やして人生を生きてくれているってどんな感覚なんだろうか。
とても新鮮で強烈な印象だった。
「根」が揺らがないから水溜りボンドはYouTubeのNHKと言われたのか、と頭を殴られた気持ちにもなりました。
そして、そんなお父様の「しらん」という言葉。
自分の人生に責任を持っている人の言葉だなと思った。
そして、息子を1人の人間として見ている人の言葉だなと思った。
実は私はいい大人がなにかした時に親が出てくる風潮に疑問を覚えている。
いや、二世タレントだったとしてももう成人もしたいい大人じゃん、と。
もちろんこれまでの関係性はわからないけれど、何より自分で責任をもたせてやれよ、と思ってしまう。
だから、そのカンタくんのお父様の姿勢が素敵だなと思ったし、カンタくんがお父様を理想の大人として尊敬している理由が私の中に一つ「納得」という形で収まったのだった。
そりゃこんなに素敵な息子さんが育つわけだ。
相方ってなんだ
一番読みたかった章と言っても過言ではありません。
「唯一無二の存在です!」
例えばそんな言葉にしてしまえば周りを納得させられるかもしれないそんな「相方」という存在。
それに対して明確に言葉にできないカンタくんの言葉が、何とも言葉にできない感情の高まりとなって私に訪れました。
とりあえず泣いた。
こちらもカフェで号泣した。
(ティッシュがなくなって慌てた。)
私が彼らを好きになった理由におそらく「ふたりにしか通じない何か」があったように思う。
青春の中で通過する刹那的な「何か」。
苦しさを感じるようなふたりだけの「何か」。
あさのあつこさんの「The MANZAI」という本に感じるような、ふたりにしか通じないような閉塞感のような。
それがもしかしたら、カンタ君の言う1ピースのよつなものなのだろうか。
ふたりの心のなかには水溜りボンドがあると前に言っていたけれど、お互いの存在が外的要因の届かない居場所になっているということなのだろうか。
そんなふうに思って胸が一杯になった。
それってきっと辛くて苦しい時に己を守る何かになるのではないだろうか、なんてことも思った。
今振り返って本当に探していた形がこれなのでは、と思えているって凄まじい。
2人の人生で欠かせない「いつもの感じ」
トミーが生配信でどんなにぐぬぐぬしていても、カンタくんといると心から嬉しそうに笑っている。
そんな笑顔を見るととても安心するし、愛しいと思う。
これからもずっと「水溜りボンド」がふたりを守ってくれたらいいと思う。
最近の個人チャンネルで無理しないという形を選んでいると伝えてくれていたが、その決断の根底がこの話の中に詰まっているように思って、喉が詰まった。
ニューヨークの風
Voicyを思い出しながら読んだ。
トミーにも「行けばいい」と言われてイジられながら行っていたニューヨークの年越し。
「関係性は義務的なものじゃない」という言葉と「自分がここにいたいと思っているのか」という言葉に衝撃を受けた。
そんなに大きな枠で考えながらニューヨークに行ったのか。
もしかしてトミーはそんなカンタくんに気づいていたのかな。
カンタくんがカンタくんらしく生きていくために、伝説の一夜は必要だったんだなぁ。
ドラマみたいな出来事だなとVoicyで聴きながら思っていたけれど、カンタくんの中で私が思うよりずっとずっと意味のある年越しだったんだなとこの章を読んで感じた。
カンタくんの伝説の一夜、リアルタイムで録ってくれているVoicyもあるので興味のある方はぜひ聴いてほしい。
最後のオチも最高だったなぁ。
煙草で心に火はついたが、ピアスで風穴は開かなかった
なんていうか、カンタくんはしなやかな強さを手に入れたんだなと思いました。
最終章がこれなの、素晴らしいな。
「ただの自分を愛してあげられるようになってきた」
なんて素敵な言葉だろうか。
それは経験と自信、なのかなと思う。
自己肯定すること。
それはきっと「自分らしく生きる」ということの第一歩で。
そこにしっかり地に足をつけて立っているカンタくんを感じた。
「ピュアであること」の考え方も素敵だ。
自己開示をして認め合うこと、それが分かり合うこと。
それを重ねた重さがその人の重みになる。
その重さから逃げてしまった時、ずっとどこか不安な根を下ろせない軽さになってしまうのかもしれないな。
自分の心が想像を超えてくることを迎え入れに行くカンタくん、眩しくて仕方がありません。
「嫌われることを恐れないことが自分らしくいることなのかも」という言葉。
ずっと反抗して読んでこなかった「嫌われる勇気」を読んでみようかなという気持ちになりましたね。
予想がつかない自分を楽しんでいる今のカンタくんはどこにでも行けるし何でもできるんだろうなと思いました。
なんて爽やかな終わり。
最高の読了感!!
終わりに。
何より「お疲れ様でした!」とまず伝えたいです。
自分と向き合うことはそれはもう大変だったでしょう。
ただでさえ忙しくしている片鱗を見ていた身としては本当にその努力に感動しかありません。
素敵な本をありがとう。
今のカンタくんが、十二分に詰まっているんだろうなと思わせる重厚感でした。
戦略を捨てるという考え。
そして自分らしく生きること。
でもそれはたくさんの経験を経て魅力的な人間であるからこそ持てた手段。
そんな今のカンタくんを応援できることが幸せだし、頭をのぞかせてもらったことに感謝しかありません。
そして、何より「本を読むことって自分と向き合うことなのかも」と久しぶりに思い出した気がしました。
本を読む、誰かの考えを知るって楽しいね。
思い出させてくれてありがとう。
カンタくんに1mmでもいい方向にいったよ、と言える行動力を見せたいなと思いました。
そして最後に。
ふーごんと一緒にいる子は誰〜?
凄い可愛い子がいて、気になってたまりません!
今度は画面の向こうで会えるのを楽しみにしていますね!!
追記:巻末のノートについては特典ノートとともに頭をパンパンにしながら丁寧に読みたいと思います!!