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「年末カンちゃんケンちゃん特番放送」について

2023年最後の放送になる特番放送。
最長のこの放送にカンタの休み時間の好きなところがたくさんつまっているようだった。

11月からまだ2ヶ月なのにこの満足感。
間違いなく「カンタの休み時間」は私の2023年後半を彩ってくれたコンテンツのひとつである。
1年間(2ヶ月間)ありがとう。
来年の放送&公開収録も楽しみにしているのでどうぞよろしく。


まだ聴かれていない方はぜひ聴いてから読んで欲しい。


サナギみたいな時期からの脱皮

「サナギみたいな時期が来ちゃう」
カンタくんの言葉に心当たりがあった。
年を取ればとるほど、そして大変な時期が長いほど己を守るためなのか己の価値観が固まる(所謂頭が固くなる)ことは往々にしてあると思う。
カンタくんにもそんな感覚があり、そして今年脱皮した感覚を持っていると言う。
脱皮。
確かに。
ファンから見てもカンタくんは今年30歳に向けてたくさん己の価値観を壊す作業をしていたように思う。
タバコを吸ってみたり、パチンコを打ってみたり、個人チャンネルのやり方を変えてみたり、たくさんの人と会って様々なものを吸収してみたり、Voicyを始めてみたり。
それは本当に凄いなと思う反面、「なんで30歳の新ステージでやらないの?やることなくなっちゃうよ?」とこっそり思ったりしていたのだ。
しかし、このVoicyと水溜りボンド年末恒例ホンネ旅を見てその疑問が今回氷解した。
そうか。
まだまだ出来るという悔しさと自己効力感の中で、30歳に一段高い位置へと進むため、今年に脱皮をしておかなければならなかったのか。
その成長できる柔らかい段階でたくさんの新しい刺激を吸収しておきたかったのか。

この人は凄いな。
常に成長の先を見ながら進んでいる。
感動してしまった。

そして、そんなカンタくんが年末に世界の大きさを感じにNYに行くこと。
それはきっと思っている以上に大きな大きな結果に繋がっていくのだろうなと感じたのだ。

カンタくんの視線の先

「海外の人に届けるためにやっているじゃなく日本の人に楽しんでもらいつつ海外の人にも面白さが届けばいい」
カンタくんは今年そんな意味のことを何度も口にしていた。
これまで水溜りボンドは「水溜りボンドを見たことがない人に見て欲しい」と頑張っていた時期もあった。
そこでうまく行かない点もあったのだろう。
思い悩んでいる雰囲気を感じることもあった。
だが、そんな中で徐々に「水溜りボンドを楽しんでくれる人と一緒に楽しめるものを」と方向性を変えて進んでいくようになったのだ。
その方向性での進化の結果が今年の水溜りボンドのように思う。
「ふたりが楽しい、面白いものを視聴者と楽しむために」
そう感じる企画ばかりの一年であった。
そして、ふたりはきっとそこに手応えを感じてくれたのだと思う。

そんな経験が今年のカンタの大冒険のスタンスに繋がり、大躍進を引き寄せたのではないだろうか。

犬の散歩中、出会った犬が可愛かったからと言って自分の犬に「待っててね」と言って出会った犬と遊んでいたら。
きっと少し自分の犬との関係は変わってしまうし、出会った犬と自分の犬は仲良くなれないかもしれない。 
でも、自分の犬と遊んでいる時に「楽しそう」と寄ってきた犬を自分の子と一緒に「遊ぶ?」と誘い入れてあげられたら。
きっと自分の犬との関係も保て、自分の犬と出会った犬の関係性も結んでいける。
なんとなくそんな感覚なのかな?なんて思ったりしたのだ。
そして、今その位置あるカンタくんの感覚がとても好きだなと思う。

胸を張って好きと言うこと

添乗員さんのに手紙を渡してもらったという話。
声をかけるのではなく後で確認できる手紙にされた配慮や熱意が伝わる渡し方だったということを聴いてとても嬉しくなった。
しかも、担当ではなかったかもしれないのに周りが教えてくれて書いてくれたのかもしれない?とな。
なんて素敵なエピソードなのだろうか。

私は隠れオタクだ。
様々な経緯があって、人から負の感情を向けられることに強い苦手意識があるため昔からオタクな側面はあまり周りに見せず生きてきた。
(オタクは隠れて生きる時代の人間なのだ)
Twitterだって水溜りボンドにハマるまではほとんど見る専門だった。
でも最近、信頼できる周りの人たちに少しずつ「水溜りボンドってYouTuberさんが好きなんだよね」と言えるようになってきた。
(推しっぷりはもちろん言わない。間違いなく引かれる。)

それはふたりの頑張りもあるものの、何より自分の問題だったりする。
クリエイター側の皆さんは「胸を張って好きだと言ってもらえるようになりたい」と口にしてくれる。
しかしオタク側としては
「ふたりに恥じないファンでいたい」
そんな気持ちと今の自分を比べてしり込みしてしまうこともあるのだ。
私はそんな人間だが、カンタくんやトミー、周りのボン人さんのおかげで少しずつ自分を変えられるようになってきた。
だからこそ少しずつ彼らのことを彼らを知らない人の前で口にすることが出来る今が自分の変化としてもとても嬉しい。
来年は更に口にする機会を増やしていきたいとと決意を新たにした。

「カンちゃんケンちゃん」という普通の二人が応援されて変な人生になっている

Voicyの楽しみ方は人それぞれだと思う。
ものづくりの刺激になっている人もいるだろうし、カンちゃんケンちゃんを知る手段にしている人もいるだろうし、私のように自分の中の言葉を固めるきっかけとなっている人もいるだろう。
だが、随所に散りばめられる「普通でちょっとおかしいカンちゃんケンちゃん」は皆が平等に楽しめる部分なのではないだろうか。
カンタくんは「カンちゃんケンちゃんという普通の二人が応援されて変な人生になってる」を凄く大切にしなきゃいけない、と口にしていた。
出来るだけ「素」で、距離感近くコミュニケーションを取る場としてVoicyを大切にしているカンタくんらしい言葉だと思った。
深く様々な見方を教えてくれる二人。
しかし、そんな二人が遠くにいたら、伝わる意味や内容が少しずつ形を変えてしまうのではないだろうか。
だからこそのこの距離感。
そして「普通だけど変」という取っつきやすさと魅力。
まるで「会いに行けるアイドル」みたいだ。
この距離感が私にとってもとても心地よい。
年内最後の放送、NYで
「タクシー代ちょっと多めに取られると思うのよ」
「ちょっと思ってます」
という会話をする二人。
変だなぁ。

これからもそんな普通だけど変な二人の放送を楽しみにしている私がいるのだ。

Voicyチームについて

「Voicyチーム」なんて胸踊る言葉だ!!
心からワクワクした。

私が尊敬しているアズギョプサルさんに「才能ある」とカンタくんが言ってくれたことがまず凄く凄く嬉しかった。
しかも「気づいてきた」という言葉。
それはカンタくんの日常の中にあった存在がその才能を発揮してきた、ということなのではないかと思って。
それって本当に凄いことだと改めて感動した。
それと同時にやっぱりカンタくんは今のカンタくんの場所も我々から地続きに思っているんだなと伝わってきて、それも含めて嬉しかった。

そして、「他にも才能ある人たちがいる」というケンちゃんの言葉。
私たちのコメントから才能や感性など「応援」以外のものを受けとりながらいいねを押してくれているんだなと嬉しくなった。
私は他でも書いたが隠れ野心家なケンちゃんが好きなので、その視点でみんなのコメントを見てるのか!と思わずニヤリとしてしまった。

さらに極めつけは「みんなで生み出せる可能性あるぞ、なんか。」というカンタくんの言葉。
カンちゃんケンちゃんに加え、リスナーのみんなでVoicyチームが作られていくのを想像し、ワクワクが沸き上がってきた。
言うなれば文化祭のような。
みんなで楽しいお祭りに向けてああでもない、こうでもない、と言いながら前進する感じ。
それが何か形になったら心から楽しいんだろうなと先に心が踊ってしまった。
現実的に可能かどうかは置いておいて。
思わず公開収録の時はななにーのように企画案持ち寄ったり出来ないかなぁと想像して、ワクワクしている。
二人がリスナーに才能を感じているように、私も皆さんの才能をなんとなく感じているのかもしれない。
だって二人がリスナーと協力して何かしようとした時、何も生まれない未来が想像できない。

もしかしたら、それはふたりのスタンスによるものなのかもしれない。
ちらりと口にしていた「劣等感を感じる必要ない」という言葉からは、彼らの優しさが伝わってくると同時に「才能が開花するかもしれない」と話していたように「己を過小評価して小さく留めるな」というメッセージが伝わってきたように感じた。
萎縮せず自分の思うように楽しむ。
私たちそれぞれのその先にある「何か」を二人も楽しみにしてくれているのかな?なんて思った。
(なので、私もこのnoteをTwitterでこっそり宣伝してみようと思う。)

公開収録の名前、「文化祭」にしないかなぁ。

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