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アイシナモロール(シナモンの別世界線の姿)が『シナモンと安田顕のゆるドキ☆クッキング』で示してくれる、発展性ご自愛マインド

アイシナと安田顕のゆるドキ、短編アニメいいですよね。良い…
って話をしたいのですが  その前に

アイシナモロール(アイシナ)とは?


という方の為に 簡単に言うと、サンリオの人気キャラクター
シナモロール(シナモン)別世界線の姿 です。

もしあの日、カフェ・シナモンのお姉さんと出会っていなかったら…?もう一つの世界で暮らす、ちょっぴり大人なシナモンです。とある都市に降り立ち、いろいろあったのちに自立したシナモン。この世界で出会った甘えんぼうな友だち“ミルク”と一緒にのんびりと暮らしています。人の目より、自分の目。ほんとうに大切なことだけを大事にしています。みんなに羨ましがられるキラキラした毎日じゃなくても、お昼寝したり、遊んだり、試行錯誤したり…。「ちゃんとしなきゃ」と思っていたけど、ちょっと肩の力が抜けているくらいがちょうどいいのかも?
『I.CINNAMOROLL | サンリオ』公式サイトの「CONCEPT」より引用


もう少し初心者向けの情報が知りたいという方は 春とヒコーキ(コンビ芸人)のバキ童チャンネルで取り上げられているので、そちらを見るといいかもしれません。

先に言っておきますが、アイシナは「ひとり暮らしガチ勢」的であり、最近の漫画に増えてきた「限界」みたいなノリは一切ありません。
ひとりぼっちで、苦しくて、つらくて、こんな嫌な思いをしながら、でもなんとか息はしてる……みたいな要素はないです。

アイシナは「ご自愛」のマインドを持って生きているので、むしろ自分を蔑ろにするようなことは全然ないし、かと言って他者を蔑ろにするようなこともしません。アイシナは、物理的にも精神的にも「余裕」を持ち合わせているキャラクターだと思っています。



私は幼い頃シナモンの商品を母親から買い与えられてたような、自分から欲しいと言ったのかも定かではないが一応ちょっと持っていたなぁぐらいの距離感でしたが、現Xで2023年に始まった番組『ゆるドキ☆クッキング』が話題になっているのを見かけてからは、毎週必ずチェックするようになりました。アイシナと安田さんの微笑ましいやりとりも魅力的。

滅多に料理をしない料理番組『シナモンと安田顕のゆるドキ☆クッキング』


冒頭ナレーション「空の上からやってきたシナモン。いろいろあった彼が辿り着いたのは、安田顕のいるキッチンスタジオだった」

  なんで?

アイシナ「空を飛ぶのやめたんだ。地に足つけて生きたくて」

大きさが電子レンジぐらいっぽいアイシナが、キッチンの上で足を「ふみっ」とする所もかわいい





ゆるドキ 第49話、よかったね!


私はゆるどき49話の話をしたくてしょうがないからこのnote記事を書き始めたんだよ! 早く本題に入らせろ!という事で本題に移ります。移るぞー!

 ゆるドキ第49話、私が求める『ゆるドキ』でよかった!

「作ってみたら甘くなり過ぎたので ジャム1杯でもいいですか?」というお便りが番組に届く。安田さんは「お好みで」という言葉が抜けてしまったことを謝罪をするが、そこに疑問を向けるアイシナ。

安田さんが決してお便りを送った人に対して「融通が利かない」などのネガティブ発言をすることなく、「お好みで」という言葉の必要性をアイシナに説明をし、アイシナは「じゃあ安田さんのお詫びは大事なことだったんだ」と納得する。
さらにアイシナはアイシナで、ジャムに拘らず既にアレンジもしたという柔軟さ。そのアレンジが微妙な結果でも「失敗も楽しかったからOKだよ」と言える。柔軟で「余裕」がある。

最近は2人の「仲の良さ」が目立っているように感じていた。
仲いいこと自体はもちろん良い。それが「楽しさ」に繋がるし、仲が良ければ「盛り上がり」やすくなる。地獄の空気は生身の人間と実家だけで充分だ
しかし、とはいえ。それがメインになってしまうと物足りなく感じてしまうのが正直なところ。 私は全く甘党じゃなくて甘いクリームに塗れたケーキが全然好きではないのと似たようなもんだと思う。「仲の良さ」=「甘味」。

ほんのり甘いチーズスフレとか、スイートポテトとか、たまに食べるあんころ餅、牛乳のコク が 無いバニラアイス……アイスなら特にサーティワンのレモンシャーベット。さっぱり爽やかな甘さが良い。
そういう食い物の好みと同じで、甘いだけは速攻で飽きてしまう。私は。正直それでは面白いと感じることもない。だから「仲がいい『だけ』の芸人」なんてそもそも見向きされないだろって思(唐突な転換文句)

今回(49話)のように、ゆるドキは
何か問題となる事が発生する
→ 問題を受けとめる(一旦)
→ そうなの? 本当に? それでいいの? 疑問を向け、問題提起する
→ こういう事なんだ。こうするとよりベターだと思うよ。こうすればいいんじゃないかな。
などなど考え、納得し、より良い方へと導き、問題を解決する 

みたいな流れになる回が割とあり、

今回は「アイシナと安田さん」と「視聴者」にとって "より良くなること" を考えて、提示した。ルールを守ろうとすることは悪くないと肯定もしてくれている。穏やかに温かく、アイシナの「ご自愛」マインドをいい形で示してくれる。これだ ゆるドキの良さは…(ろくろを回しながら)

仲いいだけだったら正直それは自分からすると退屈だけど(もちろんそれだけで飯いけるくらいの人が居たっていい)、ゆるく見せながらも「『より良くなること・自分達にできるこ』を考えてみよう。やってみよう」という、ご自愛マインドを下敷きにした「発展性」があるというか。

49話だって、思考停止で「面倒でバカな視聴者に合わせて『お好みで』とわざわざ一言付け加えなきゃいけないんだ」ってなる方が "普通" になってしまうと思う。仮に自分が安田さんの立場で、自分自身うっかりでそういうお便りが直接来たら、人間は感情の動物だからまあそういうウンザリする気持ちも湧くとは思う。人間は感情の動物だから。

でも、シナモンと安田顕のゆるドキ☆クッキングは断じてそうはならない、志の高さ。それも深刻にならない。肩肘張ってない。あくまで「ご自愛」が根底にある。それが良い。好き。ありがとう
(ゆるドキが持つ「志の高さ」というのは所謂よくもわるくも使われる「意識の高さ」なんて概念じゃなくて、もっと中身ある言葉で言い換えたいんだけども、私の頭からは出てこないので困る)

ゆるドキはこれをたったの2分という短さでやってくれるのも最高だ。
ものすごく短い尺の中にぎゅっと詰め込まれた、確かな満足感。

最近はアイシナ単独の短編アニメ見てる方がいいなという気持ちになってしまっていたけど、短編アニメでは「ひとり暮らし」を満喫する。ゆるドキでは「社会」の中に 生きている存在 でもある事を示す。この両輪が大事なんだと気づかされた。
完全にひとりで生きているなら、そんなちょっとした「一言」なんて知るかボケカス馬鹿しねで終わってしまうが(そこまで行くとそいつが最悪なだだけだろ…)、アイシナはお料理番組をやっている。自分ひとりではない社会の中で生きてるけど、うまく折り合いをつけてみようという「ご自愛」。


アイシナが「ひとり暮らし」をとことん豊かに生きている、2分短編アニメも "豊か" で素敵だから、さくっと見てみてください

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