隠れ家

とある患者の「脳脊髄液減少症」闘病記

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とある患者の「脳脊髄液減少症」闘病記

最近の記事

ベンゾジアゼピンの悲劇④

続き。 脳脊髄液減少症が悪化して、寝たきりになってから、毎日決まった量を飲むようになる。 ランドセン。 1日量にしてたった1錠、0.5ミリグラム。 正直言って、寝たきりになったこともあって精神状態も良くなかった。そういった不安を紛らわすためにも、「気休め」程度にこの薬を服用するようになったのもある。 正直なところ、この量では少なすぎて効果があるかないかわからないほどの量で、 いわば、「薬が効いているのか効いていないのかわからない程度」の気休めに飲んでいた。 寝たき

    • ベンゾジアゼピンの悲劇③

      続き。 私の場合、「脳脊髄液減少症」と診断がつくまで、およそ半年ドクターショッピングをした。 半年経ってやっと、診断がつき治療に臨めることとなる。 「これで治療すれば元に戻れるんだ!」と思うととても嬉しく思った。 治ったら今までできなかったことをたくさんしようと思った。 ところが、この治療が悲劇を巻き起こす。 簡単に言ってしまえば、 検査治療とともに大失敗された。 医療事故。医療過誤。 少しの間だったら起き上がれていた、働けていたのに、治療後は検査で余計に髄液

      • 吐き出せる場所がない。話せる人もいない。

        脳脊髄液減少症に倒れてから早4年、元は治ると思っていた病気がこんなに長引くとは思っていなかった。 今私が最も悩んでいることの1つが、 「辛い思いを話せる場所がない、吐き出せる場所がない」ことである。 あまりにも苦しい思いや辛い思いをため込みすぎてきた。カウンセリングを受けようと何度も思ったが、金銭的なもので諦めたり、対面カウンセリングは寝たきりであるため、行くことが難しい。 そんな理由で、完全に社会から見放されてきた。 これがもし、他の病気であれば、よく知られているメジャ

        • ベンゾジアゼピンの悲劇②

          前回のブログの続き それから、首や肩の筋肉のこわばりが強い時、痙攣発作が起きたときにランドセンを服用するようになる。 初期の導入量は1回0.5ミリグラム、であったが、この薬の主な作用に、 1、筋弛緩作用 2、不安作用 があるため、服用後にものすごい眠気に襲われた。 そのため医師にお願いして、0.5ミリグラム錠の4分の1の量を1回量としてあくまでも 「症状が起きたとき」(←ポイント) に服用するようになった。 元はそれで効果があったし、それでよかった。 しかし悲劇が訪れ

          ベンゾジアゼピンの悲劇①

          突然しゃべれなくなった私ですが、なぜしゃべれなくなったかについて、1番考えられること 「ベンゾジアゼピンの離脱症状」について述べていきたい。 ベンゾジアゼピンを初めて服用するようになったのは、脳脊髄液減少症を発症した初期の頃、つまりは4年前にさかのぼる。 4年前、交通事故で私は脳脊髄液減少症を発症し、初期の症状にミオクローヌスと言って全身の痙攣発作が起きるようになった。 その時、救急で入院することになった病院の医師が処方した薬が「ランドセン」と言うベンゾジアゼピン系の薬で

          ベンゾジアゼピンの悲劇①

          『隠れ家』このブログタイトルの由来

          私の尊敬する作家で、世界で最も有名な作家のうちの1人、 アンネフランクの『アンネの日記』から構想を得てブログのタイトルにしました。 アンネの日記は、アンネが国家社会主義ドイツ労働者党によるユダヤ人狩りのホロコーストを避けるために、隠れ家に潜んだ、生活を描いた日記。 アンネは、日記をキティと名づけ、まるで友達に語りかけるように日々の出来事を記し始める。 しかしアンネの姉に出頭命令が届いたことから、一家は会社の隠し部屋に潜伏することになった。 そんなつらい現実をアンネはユーモ

          『隠れ家』このブログタイトルの由来

          喋れなくなった!!!

          史上最悪なことが起きた。 数日前から私は「言葉」を失った。 夜中からおかしくなり、ろれつが回らないことに気づく。喋ろうと思っても自分の思っていることをうまく言葉で伝えることができないことに気づく。 具体的には、「頭で考えていることが言葉に出そうとしてもうまく音声として伝えることができない、いわゆる『構音障害(こうおんしょうがい)」と言う状況にある。 なぜこうなってしまったか、可能性として考えられることについてはまたいつかのブログで紹介したい。 このしゃべれない状況が

          喋れなくなった!!!