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River Breeze vol.2

ポプラは、風と友達の優しい木にちがいない


私が生まれ育った町には、全長100m程のポプラ並木の通りがあった。
他にもケヤキやクスノキ、プラタナスやヤナギなど街路樹が植えられた通りがいくつもあったのだが、私はポプラの通りがいちばん好きだった。
そのポプラはイタリアンポプラで、空高く聳え立つ樹形はとても大陸的な感じがした。
少年の私は、ポプラの通りを歩きながら、まだ見ぬ遠い異国の風景を夢想するのが好きだった。

春、ポプラは花の時期を終えると、ふんわりとした綿毛を作り種子をつける。
それを風にのせて遠くまで飛ばすのだ。
アメリカではコットンウッドと呼ばれるように、その季節、通りは白い綿毛で埋めつくされる。

夏休みになると、しばしば昆虫観察(採集)に出かけた。
早朝にはセミの羽化をよく見ることができた。大木のポプラはセミ達のお気に入りなのだ。
夜は、通りの街灯に集まるコガネムシなどの甲虫類を採集した。
時々、クワガタやカブトムシもやってきて、うれしい夜もあった。
主役から脇役、成虫から幼虫まで様々な虫達が、ポプラの恩恵を受け生きていた。
ポプラの通りは、昆虫好きの私にもうってつけの場所だったのである。

紅葉の季節、通りは見事なまでの黄金色に染まる。
夏の喧騒が去った並木道は、冬に備えちょっと一休みしている。
高く青い空、流れゆく白い雲、風に吹かれる黄金色の葉。
秋のひと日、その三位一体をぼんやりと見ているのが好きだった。

ポプラの木の仲間は、葉が風を受けるとパタパタとさやめき互いに触れ合って音を出す。
ポプラの学名であるPopulusは「震える」という意味だそうだ。
北米大陸ではアスペン、日本だとヤマナラシの木が仲間である。

ザザ~、パタパタパタ。

一陣の風が並木や森を吹き抜けると、あたかもそこに何かがいるような大きな声(音)が聞こえる。
なるほど、ヤマナラシは漢字だと「山鳴らし」と書くのもうなずける。
一人で森を歩いていたりすると、正直ちょっと怖い時もある。
でも、私はその音が風の声に聞こえてならない。
ポプラの葉をして、風が何かを語りかけているような気がするのだ。


君が涙の時には 僕はポプラの枝になる

1994「空と君のあいだに」中島みゆき

昔大ヒットしたTVドラマの主題歌として書かれたこの曲。
歌詞はドラマストーリーに即し、主人公とその愛犬をモチーフにしている。
多くの人は、サビ部分に気持ちが入っていくかもしれないけれど、ポプラ好きの私は最初のこのフレーズがグッと刺さってしまったのだ。

―ポプラの枝になる

ん~スバラシイ!北海道出身の彼女だからこそのリリック。
ポプラの木がとても身近であるのももちろんだが、流石みゆきネエサンっ、風とポプラの関係性をよくご存じ!と思えてならない。
彼女自身も、風にさやめくポプラの葉音に、辛いことや悲しいことをかき消してもらったことがあったのかも?なぁんて思ってみたりした。
きっと彼女もポプラの木が好きなのだろう。

今年も、梓川での漁期が幕をあけた。
梓川の川岸には、大木から小さな若木まで、様々なポプラの木が自生している。
新緑の頃になると、ポプラは白い綿毛を風にのせ、いっせいに飛ばす。
川面を無数のコットンパフが漂い流れていくさまは、とても優雅で美しい。
釣りをしながら川岸を行くと、時々それは見事な一本に出会う時がある。
そんな時、私は立ちどまりそっとポプラに触れてみる。そして、葉音を通し聞こえくる風の声に耳を傾ける。

―ポプラは、風と友達のやさしい木にちがいない

遠いあの日に感じたこの想いは、今も変わることなく、私の心の中にたしかにあるのだった。

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この内容は2016年に拙ブログのカテゴリー「モノ物語り」にUPしたものから抜粋し、改めて加筆・修正し投稿致しました。

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