見出し画像

楽しい地獄で生きる人

2023年2月19日、第58回理学療法士国家試験を終えた。
この日のために3年間学校に通い、苦しい日もあったがなんとかやってのけた。
帰宅すると、3年間肩に乗っていた地味に重い鎖が降りたような開放感があった。終わった。頑張った。えらかった。偉かった。

最後の春休み、受験勉強で我慢してきたことたち、いっぱいするぞの気持ち。

国試の翌日は、自己採点のために学校に行き、教室にワックスをかけ、点数を聞き、余裕で合格圏内、まあそうですよね、と一安心。
夕方からカネコアヤノのライブがあるため、4時間くらい時間があった。
お昼ご飯を食べて、ブックオフに行こう。ずっと本が読みたかった。

金がない。今年は受験勉強、実習実習、受験勉強でバイトがなかなかできなかった。
やろうと思えば働けたけど、ただでさえ終わっている精神が働くことによって更に終わってしまうと本業に支障が出るので控えた。

印税をいれられなくて申し訳ない、と思いながら110円の古本コーナーを見る。情けない。

本が読みたいと言ってもフィクションを読む気にもなれなかった。
少し前は本は分厚ければ分厚いほどいいと思っていたが、どうやらそうじゃないことにようやく気付いたらしい。分厚い本を読んで得られた8割は達成感だった。(それも嫌いじゃないけど)

なのでエッセイを読もうと思った。エッセイというものを知ったのも最近。
正月に好きな人にフラれたときに私が書いたものはエッセイだったのか、とエッセイの存在を初めて認識した。
色んな人の生き方を知りたいと思っていた私は、エッセイが1番手っ取り早く人生を知れることに気づいた。

なんとなく面白そうな題名の本を手に取り中をパラパラとみるのを繰り返す。楽しい。楽しすぎる。ここに楽しさを感じられるのは心の余裕がある今だけだと噛み締めた。

星野源の本も何冊か並べられていた。
1冊を手に取り、なんか違うな。もう1冊も手に取り、これも違うな。
次の本、『よみがえる変態』たぶんこれだ、きっとこれだと手に取り、中を広げる。これだ多分これ。購入。

私は文章を読むのは得意なほうだけど、200ページを読むのに5日かかった。というかちまちま読んだ。欲しかった言葉がありすぎて苦しくて読めなかった。読み終わりたくなかった。でも星野源がみた地獄の景色を知りたかったから早く読みたかった。の結果、5日。

結論から言うと、最高。なんで600円をケチったのかと思うほど最高。
働いてお金の余裕ができたら本屋さんで買います。そんなチビ金、今の源さんはいらないかもしれないけど、感動したものを作った人に定価でお金を払うのは当たり前のことだと思うので、いつか買い直させてもらいたい。し、源さんはきっとそんな想いで出したチビ金を有難く受け取ってくださる方だろう、と思った。

私は中学2年生?、SUNがリリースされるちょっと前、NHKのLIFEが好きだった。それに星野源は出ていた。コント番組だったのでてっきり芸人だと思っていた。そこからコウノトリで俳優だと知り、SUNで歌手でもあることを知る。変なルート。

音楽が好きと自覚する前から星野源の音楽は好きだった。何度も聴くと耳が慣れるので好きなんだと思っていたが、私の気持ちが今でも星野源から完全に離れることはなかった理由がなんとなくわかった。

当時、サブスクなんて言葉は知らなかったし、私は音楽に興味がない、ちょっと好きな音楽だけ聴けたらいいと思っていた。
流行りの音楽が好きな母がTSUTAYAでYELLOW DANCERとStrangerとエピソード、3つのアルバムを借りた。(ばかのうたは何故か借りなかった)

YELLOW DANCERはメロディーが明るくて好き。Sranger、ベースは暗いけど、なんか少し光が差し込んでるような明るさ。エピソード、ド鬱、なにこれ、暗い、でもなんかあったかい…⁇
中学生の私の感想。

曲単体だと明るい曲の方が好きなのに、アルバムとしてはYELLOW DANCERよりStranger、Strangerよりエピソードのが好きだなあと思っていた。←中3ですよ!?良いすぎません??私、音楽を聴く才能、あると思います

星野源はくも膜下出血という病気と闘い、今があることを知る。
へえ、大変だったんだ、中1のとき体育の先生がそんなような名前の脳卒中で亡くなったっけ、と思った。あんまり星野源という人への興味はなかった。

人間性を知ろうとは全く思わなかったが、テレビの中ではヘラヘラしてるように見えた。
妹がどっぷり星野源にハマり、雑誌を買い、ラジオを聴き、彼がド変態で、とても優しい人だと聞いていた。
私はそれを見たり聞いたりする度に、だろうな、と思っていた。不思議だった。

そのときからヘラヘラしている人はとても優しいこと、ヘラヘラしてる人はかなり繊細なことを知っていたのかも知れない。少し自分と重なる部分が、なんとなく、音楽から伝わっていたのかもしれない。
音楽のすごさを知らなかった私はただただ不思議だった。

エピソードからStranger、YELLOW DANCERが、確実に“地獄”から這い上がってる感じ、なんとなく感じてた。
これ、今でこそ思う、たぶん合ってる。本当のことは本人にしかわからないけど。でもよみがえる変態を読む限り、そんな感じがした。

色んなことを知った今、読めて良かった。
きっと読むタイミングは今だった。

読んでいく中で思った。
烏滸がましいけど、星野源の地獄と、私の地獄、同じ県の出身みたいな、同じ地獄の出身だと思った。
大きさや深さ、期間の長さ、密度は違えど、星野源が見てきた地獄の景色は、私も見たことがあった。
例えで言うのであれば、同じ県でも市は違くて、田舎度合いが違うみたいな、でも使ってるスーパー、駅、よく通る道は一緒みたいな、そんな感覚。
東京に出て、地元が同じってだけでテンションが上がるってきっとこんな感じなんだろうなと思った。
変な親近感が湧いたと同時に、妙な納得感、そして安心感があった。

安心した。よかった。私だけじゃなかった。考えすぎてしまって自分が嫌になって、こんなに不安や孤独感を毎日抱えながら生きないといけないのは私だけじゃなかったことを知って安心した。
あと、私は星野源と地獄の地元がが一緒だぜ!という変な誇らしい気持ちができた。

21年生きて、ようやく最近生き方がわかった。
私はきっとどう生きても苦しい。楽に生きるなんて無理。
頭では理解することは出来ても、今はどうしても、心が言うことを聞いてくれない。
多分私は地獄で生きないといけないこと、薄々気づいてた。地獄で生きる覚悟を固めよう、のきっかけになった本だった。

地獄は苦しいし不安だし嫌だし慣れないし怖いけど、地獄でしか見れない景色もある。
ネガの感情は大きいけど、その分小さなポジがあたたかく、貴重。些細なことで感じられる。
この快感は地獄で生きる人しかわからないはず。と思うことで少し背徳感に浸らせてくれないとやっていけないので、そういうことにしておく。

自分しかない何かを表現してみる仕事、すごく憧れた。本当はなりたい。でも地獄を見つめ、立ち向かう勇気や、安定する未来が見えない不安、そもそも自分には何かを表現する才能はないと思っていたから私は医療職を選んだ。
こっちのほうがきっと生きやすいと思った。

そんな普通な人生を送るためには普通の人になりすまさないといけない。これが結構大変。自分を殺しながら生きないといけないから。
でもみんなきっと、何かしら殺して生きているのでこれがきっと普通。
苦しいけど、だからって自分が何かを表現できるかと言われればそんなことはできないし、それで食べていこうと思うことはなかったので、これでいい。

だからこそ、星野源はすごい。すごい。かっこいい。それしか出てこない。やりたいことをやるために、地獄に立ち向かう勇気がすごい。心から尊敬する。

POP VIRUSをリリースして、Some Thingで色々なアーティストとコラボして、海外での活躍も広がり、完全に地獄から這い上がり、抜け出したのかと一瞬思った。

“私”を初めて聴いたとき、震えた。星野源は全然地獄から抜け出してなんていないし、なんならまだ這っている。
ただ、地獄での生き方をみつけ、ようやく順応してきただけだった。そんなよう聴こえた。
当時私は高校生、それまでに至る難しさと苦しさが計り知れないと思い、歌詞を読みながら学校帰りの電車の中で泣きそうになった。
「何聴いてんの?え、病んでるの?笑」
私のスマホを勝手に覗き込んで“死”と入っている歌詞だけを見て能天気に話しかけてくる友人に腹が立った。

エピソードはただの妄想、理想、作り話のアルバムだ。
“私”も同じ妄想、理想、作り話なんだろうけど、エピソードと全然違った。泣きそうになった。なにも変わっていなかったけど、変わっていた。

妹は「初期のファンを大切にしているね」と言っていた。なんかズレているような感じがした。
妹の方がファンであるはずなのに、こんなにも受け取り方が違うのかと思った。
まあ受け取り方は人それぞれだし、自由なので、何も言わなかった。私の方がズレているかもしれないし。星野源が伝えたかったことをなんとなくわかった気でいるだけだし。解釈は人の数ほどあるから問題はない。

ガッキーと結婚のニュースがあったとき、私はすごく嬉しかった。
好きなアーティストが結婚の報告があっても、おめでたいと思いながらも、まあそうですか、と冷めていた。本当にアーティストのプライベートに興味がない。大好きだけど。嬉しいけど。おめでたい!!という気持ちになるけど。
なのになぜか星野源だけは本当に嬉しかった、音楽しか知らないし、大好きまでもいかないのに、嬉しかった。嬉しくて泣いた。3日くらい星野源の結婚が嬉しかった。なんでかわからないけど3日間ホクホクの気持ちだった。

ネットでは、なぜ星野源みたいなのがガッキーと、という声があったが、星野源のような人は“ガッキーと結婚”くらいの目に見えるでかい幸せの1つくらいないと人生が平等でないだろ、と思っていた。星野源の人物像なんてアバウトでしか知らないのに。
この謎が解けてスッキリした。

と、言うことはだ、もしかして、同じ地獄出身の私もガッキーと結婚出来る世界線があるのではないか。いいんですか?そんな未来があっていいんですか?いやきっとある、私だってガッキーと結婚できるはず。そんなことを思った。
でも星野源はここから身体的な、物理的な地獄を体験するからなあ、それは嫌だから、好きな人がみんなが羨むガッキーじゃなくてもいいや、いつかできるであろう好きな人が私のことを好きになってくれる日がくるくらいがいいなあ、と思った。

文庫化のあとがきを読んで、文章にとがりがなくなっていることに気づいた。口調が柔らかい。なめらか?な文章?みたいな…?
この本(文庫化とか単行本とか、よくわかってなくて曖昧な表現で恥ずかしい)の発売日は2019年9月10日。SomethingのEPがリリースされる1ヶ月ほど前。やはり生きるということに順応していた。色々なことを諦めているところ、その中で面白く生きようとしているところ。
わ〜、私って本質を理解することができる才能があるのかもしれない、という自惚た気持ちと、私もいつかこう思える日がくるのかもという希望が芽生えた。
その日が来る頃には、今より苦しくなることも減るのかなと思った。
いつかそんな風に穏やかに過ごせる日がくるのであれば、もう少し歯を食いしばってみてもいいかな、と思えた。

まだまだ、これからのはず!
社会人1年目、頑張りますからね!
見ていてください!今までの自分とこれからの自分!!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?