雑誌と手ざわり

昨日、雑誌を作っている人に話を聞く機会があった。今回が初めての雑誌制作らしい。それもすごくニッチなテーマの雑誌だ。そんな雑誌を今この時代に作ることはとても合理的と思えないが、それにあえて挑戦する姿に想いを感じ、買ってみた。

雑誌があるから情報を集めるでもなく、情報があるから雑誌を作るわけでもない。雑誌を作ることでどんな偶発的な出会いがあるのか、雑誌不遇の時代にあえて作ることで雑誌の本質に迫れるんじゃないか、そんな背景がありそうだった。僕も、ヒトと雑誌、雑誌と情報、共感と偶発、それぞれの関係性を問い直す試みに対価を支払ったのだと思う。

「雑誌」が与えてくれる情緒的な情報とはなんだろう。制作者の想いや情報の裏にある温もりが感じられそうだから、それを「手ざわり」と表現したい。

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