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放送大学で勉強してます

2020年の後期から放送大学に入学しました。毎日楽しいです。久しぶりにnoteを開いたので使い方を忘れちゃった。あの目次みたいなやつどうやったらできるんだっけ。あ、思い出した。

入学した理由

2020年、自粛期間が長くあったので、たくさんオンラインセミナーに出ました。自分の専門に関わることからそうでないことまで学ぶうちに、自分がどんどん新しくなっていくような感覚を得ました。学ぶって楽しい、そう思いました。仕事が再開した後も、日々の通勤時間を無駄に感じました。あー、この時間をなにか有意義に使えないだろうか。通勤時間のない在宅勤務を経験したからこそ感じたんだと思います。感染症もしばらく落ち着かないので、今後在宅勤務を命じられることがあるだろうとも睨みました。その時なにか教材があれば有意義に過ごせるなと。僕は短大までしか出てないし、学歴コンプレックスもあるし、いつか大学院に行きたいとも思っているので、一念発起。入学しちゃいました。大正解。勉強楽しいです。

なにを勉強しているのか

放送大学では人間と文化コースを選びました。芸術、文化、社会など、自分が好きそうな科目が多かったからです。放送大学は横断的に学ぶことができるよう設計されています。縦に深く横に広く学ぶことが可能です。今期は4科目履修しました。仕事と掛け持ちしつつちゃんと勉強するならこれくらいかなと思ったのですが、放送大学には仕事をしながらもたくさん履修する猛者もいて、みなさん本当にストイックだなと思います。そうそう、Twitterで進捗をつぶやいてくれる仲間がたくさんいるので、すごく励みになります。頑張る人がたくさんいる。それがいいところだなと思います。いつかみなさんに会ってみたいな。

はじめに

今期履修したのは、アメリカの芸術と文化、人新世時代の文化人類学、グローバル経済史、錯覚の科学です。我ながら最初の一歩に相応しい選択だったなと思います。現在は未知の感染症が猛威を振るい、国をまたいだ移動にとどまらず職場と家の移動まで制限され、世界は分断を迫られています。感染症の大流行はグローバルな社会がもつ弱さだったとも言えるでしょう。そもそも、アメリカの前大統領がそうであったように自国の利益を最優先するリーダーも増え、「グローバルな関係性」にはすでにヒビが入っていたのかもしれません。Twitterを見ればデータを好き放題解釈する人がいるし、世界がこんな大変な時に他国を侵略しようとする国もあります。ほんと、もう。大変です。

グローバル経済史

グローバルな世界はどのように生まれ、どのように発展していったのでしょうか。これを学ぶのがグローバル経済史です。グローバルな経済は15世紀に始まる大航海時代に端を発するものかと思われていますが、ところがどっこい。この視点は西欧を中心とした見方だそうです。同時期、アジア域内でも貿易が盛んだったようですよ。のちにオランダ東インド会社を中心にヨーロッパ=アジア貿易が盛んになった時も、すでに盛り上がっていたアジアの貿易にヨーロッパの勢力が参入してきた。そう考えるんだそう。旧大陸と新大陸、そしてアジアがどう結びつき関係性を深め、グローバルな世界はどう生まれたのか。そしてこれからどこへ向かうのか。リオリエント。

アメリカの芸術と文化

アメリカ大陸を発見したヨーロッパ人とその子孫は、今では人道的に望ましくないと思われるような時代を過ごしながら「アメリカ人」になっていきます。経済のグローバルな拡大が生んだ移民やその子孫は、どのように「アメリカ人」になったのでしょうか。彼ら彼女らに、文化や芸術、そして戦争はどのように作用したのでしょうか。カントリー、ブルース、ジャズ、ヒップホップ。キューピーやディズニー。ラジオやテレビ。戦争と癒し。様々な切り口からアメリカを、ナショナリズムの形成を、多様性と画一性のせめぎ合いを学ぶことができました。面白かった。

「人新世」時代の文化人類学

グローバルな資本主義は世界に支配と従属の関係を生み出しました。各国は資本主義を旗印にそれぞれの成長を求め地球資源を使い込みます。結果、地球は温暖化に代表されるような大きな変化を迎えます。この人間活動が爆発的に増大し地球環境に大きな変化が現れるようになった20世紀後半以降の地質時代は、「人新世時代」と名付けられました。その経緯から資本世とも呼ばれるようです。私たち人類のあり方は今のままで良いのだろうか。文化が果たす役割、そして自然と人間を二元論で扱わないあり方を学びました。先に述べたグローバル経済史の延長にある世界だと考えると、深い。

錯覚の科学

さて、私たちは目で見て、耳で聞いて、肌で感じ、いろんなことを学ぶわけですが、私たちが感じる世界は私たちが感じたままの世界なのでしょうか。私たちが信じる世界とは、私たちが知覚し解釈した世界です。たくさんの情報の中から生存に必要な情報を見つけ解釈する過程を合理化した結果、勘違い、つまり錯覚が生まれます。錯覚は知覚だけでなく思考にも存在します。いわゆるバイアスです。錯覚を学ぶとは、私たちは世界をどのように解釈しているのか学ぶことでもありました。もしかしたら僕は今回学んだ科目にもバイアスをかけているの、かも。

最後に

さて、今日やっと試験も終わってひと段落です。次はなにを学ぼうかな。東欧とか社会主義とか学びたいな。頑張ろっと。

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