光の戦士たち(21)オーストリア学派【小説】
静かな午後、祭あつし、武田徳太郎、風谷蒼の三人は、いつものカフェで顔を合わせていた。窓から差し込む柔らかな光が、カフェのテーブルに置かれたコーヒーカップを照らしている。
祭はカフェラテを啜りながら、目の前で興奮気味に語る武田をじっと見ていた。
「だからさ、ハイエクが言ってることは正しいんだよ!」
武田は声を弾ませながら言った。
「『隷従への道』を読んでから、僕の中で全てが腑に落ちたんだ。ゾンビ企業なんて潰せばいいし、無理に経済をコントロールする必要なんてない。市場は放っておけば自然に調整されるんだよ。」
隣で黙って話を聞いていた風谷蒼が、静かに口を開いた。
「武ちゃん、その理論の背景にある危険性、ちゃんと考えたことはある?」
武田は少し顔をしかめて蒼を見た。
「どういうこと?蒼さんもハイエクを読めばわかるよ。政府が経済に介入しすぎると自由が奪われるんだよ?」
「もちろん、自由の重要性は否定しないわよ。」
蒼は穏やかな声で続けた。
「でも、ハイエクやミーゼスの景気循環理論には大きな問題がある。たとえば、デフレを賛美することよ。」
武田は眉をひそめた。
「デフレは悪いことじゃないでしょ?物価が下がればみんな得をするじゃないか?」
風谷はため息をつき、説明を始めた。
「デフレになると、消費が停滞する。みんな『もっと安くなるかもしれない』と思ってお金を使わなくなるのよ。それで企業の利益が減って、給料も減る。結局、経済全体が縮小してしまうの。」
祭が口を挟んだ。
「そうだよ、武ちゃん。日本だって90年代からデフレですごく苦しんだよね。」
武田は反論する。
「でも、それは政府が無駄に介入したからでしょ?
ハイエクが言ってるのは、中央銀行なんてなくせばいいってことだ。金利も市場に任せればいいんだよ。」
「それこそユートピア思想よ。」
蒼の声が少し鋭くなる。
「世界中の中央銀行が採用しているインフレ目標2%の意味、ちゃんと考えたことはある?それは経済を安定させるための最低限の基準なの。」
武田は口を開こうとしたが、蒼は続けた。
「例えば、金利を上げすぎると、借金の返済が増えて倒産する企業が続出する。それを放っておけば、失業者が溢れ、経済全体が混乱する。『ゾンビ企業は潰せばいい』っていうのは簡単だけど、その影響を受けるのは誰だと思う?普通の働く人やその家族なんだよ。」
武田は黙り込んだ。蒼はさらに続ける。
「ハイエクやミーゼスの理論には価値がある部分も確かにあるわ。全体主義の危険性を警告している点とかね。でも、その理論をすべて現実に当てはめると、社会の弱い立場の人が犠牲になる可能性が高いのよ。」
祭は頷きながら蒼の言葉を補足した。
「それにさ、世界標準でインフレ目標2%が採用されているのは、それが最も安定的だからだよ。デフレが続けば企業の投資意欲も削がれるし、経済はどんどん停滞していく。それを放置してうまくいくと思う?」
武田は視線をテーブルに落とし、少し考え込むような様子を見せた。
「でも…市場には自己調整能力があるっていうじゃないか。それを信じることは間違ってるの?」
蒼は穏やかな表情で答えた。
「市場の自己調整能力を完全に否定するわけじゃないよ。ただ、現実には完全な市場なんて存在しない。例えば、リーマンショックの時を思い出してみて。あの時、FEDが何もしなかったらどうなっていたと思う?」
「…確かに、それはひどかった。」
武田は渋々と認めた。
祭が笑顔を浮かべて言った。
「武ちゃんがハイエクに夢中になる気持ちはわかるよ。でも、大事なのは現実を見つめてバランスを取ることだと思う。理論だけじゃなくて、実際に何が人々の暮らしを良くするかを考えないと。」
武田は深く息をつき、顔を上げた。
「…そうだな。僕、少し極端に走りすぎてたかもしれない。ハイエクの言葉を額面通りに受け取りすぎてたよ。」
蒼は微笑みながら、
「そうだよ、武ちゃん。経済学は専門家の努力で今も発展を続けているのよ。」
武田は少し照れくさそうに頷いた。
「ありがとう、蒼さん、祭さん。僕、もう少し勉強するよ。オーストリア学派だけでなく、主流派経済学についても、ちゃんと理解する。」
祭が肩を叩きながら明るく言った。
「そうこなくちゃ!俺たちは光の戦士なんだから、減税も経済学も全部、現実的にやっていこうぜ!」
三人は笑い合いながら、冷めかけたコーヒーを口にした。
そして彼らの戦いは、これからも続いていくのだった。