「ここだけの話です。恥を忍んで私の身の上をここに残しておくことにしましょう。私のとある『欲』についてです。
   人間というのは、愛し愛され生きてゆくものです。これは、いつの時代、どんな場所においても覆ることの無い、人間という存在の根源的な真理だと思います。
  でも、愛の志向は人によって種々雑多です。私の場合は、異性を愛する向きに落ち着いております。また、志向だけでなく、愛し方に関しても様々あるかと思います。これが、この方面についてが、私の場合ほんの少し特殊なのです。
  きっと一般的なのはハグをしたり、キスをしたり、セックスをしたり…といった行為で愛するのだと思います。ドラマや映画で、主人公とヒロインが結ばれる様子がこれらで表現されることが多いですよね。私はこういった行為を否定する気は毛頭ございません。むしろ、私もこのような行為を一通りパートナーといたします。
  ですが、以上に述べた行為だけでは、私は満足できないのです。ここでは終わらずー、相手を食べなければ気が済まないのです。
  私はこれまでに何人もの恋人を食べてきました。「食べる」というのは、文字通り「食べる」であり、決していきがった大学生が、サークル内の人間と肉体関係を持った際に使う比喩表現などではございません。この口でそのまま食べるのです。私が食べる時、恋人たちは揃って目をまん丸にして、なんでそんな事をするのかと言わんばかりの、自分の身の上に起こっている現実を受け入れられない表情をします。ついさっき、食べ終わった方も、今までの方と同じ表情をしておりました。ですが私はいつもそれを横目に、相手の手足の指を1本ずつしゃぶりつきます。それから、四肢を引き剥がして肉も骨をも飲み込みます。芋虫のように蠢く様子を見て、私は恍惚とした気分に襲われます。そうして、無我夢中で喰らいます。悲鳴に包まれながら、脳から、腸から、何から何まで喰らいつくし、私の口の周りとシングルベッドの上が鮮やかな紅だけになった時、私はそれまでの高揚感から投げ出され、すぐそばにあったはずの恋人が消えたという虚無感に襲われます。ですがそれと同時に、私の心は、恋人が自分の腹の中で永遠に残り続けていくのだという事実によって快楽に満たされるのです。

  これを人は異常だと言います。正しくないと非難する方もいらっしゃいます。
  確かに、この愛し方は特殊だとは思います。ですが、異常だとは思えません。一般的、多数派と呼ばれる層の人々と、本質的な部分は変わらないためです。
  私が今問題にしているのは愛し方についてですが、これはすなわち性的志向と言い換えられましょう。性的志向というのは、性欲と、何か他の欲求と組み合わさって表出されるものだと思っております。だからこそ、愛し方にも様々なバリエーションが出てくるわけです。サディスティックの傾向のある方の場合はきっと自己顕示欲でしょうし、その逆向きの方は被支配欲だと言えましょう。私の場合は、それがたまたま食欲であったというだけの話でございます。
  なのに、どうやら、この社会はそれが許されないようなのです。それが不思議でたまりません。それどころか、理不尽とさえ思う夜もあります。他の方はめいめいの愛し方を許され、満たされ合っているというのに、どうして私だけ責められなければならないのか。追われなければならないのか。愛というのはどんな形であれ称揚さるべきものではないのか。
  やり場のない問いと怒りとを胸に抱え、私は今日も知らない繁華街を歩いております。幸いにして私は顔が良いようなので、人目を避けながらでも相手の不足には困りません。相手が酔っている間に連れ込み、襲い、喰らう。血塗れになった一室を眺め、もうここには来られないとその場を後にするのです。
  もう何度となくこれを繰り返してきました。こうしている間に、とうとう私の存在が明るみに出るようになってきたようです。今この文章を残しているこの携帯電話も、最近は通知が鳴りやみません。食べた後の快楽と、社会の『正しさ』との間で押しつぶされそうになる毎日です。
  ただ、やはり、自分とは関わりの無い人間の決めた規範によって、人間の根源たる愛が否定されてはならないと思うのです。
  だから、私は、社会の方を捨てることにしました。私の腹の中で静かに眠る、そしてこれから眠るであろう多くの恋人たちのために生きていきます。」

 ー指名手配犯のものと思しい携帯電話のメモには、以上の内容が残されていた。
  読み終えた後に考え込んでいた私の隣で、一課長が呟いた言葉に、 私はさらに考え込むことになった。
「随分気取った文章だ。少しも同情するに値しない。」

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