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第212段「マージナルマン」

今日の講義。濱中淳子教授『社会科学と社会調査』の授業で教わった言葉。
「究極の社会学は、小説である」
なるほど!と思った。現実世界とフィクションというのは、なんていうか入れ子構造になってるんだと思う。多かれ少なかれ、どちらも人の思考と空想と感情が関与する世界だから。

そして自分が今日初めて知った言葉。
「マージナルマン」“marginal man”
各集団、各文化のいわば境界に位置している人間。境界人、限界人、周辺人などとも訳す。マージンとは余白って意味。
自分がそうなんだと気づく。

自分は子供の頃から自分が所属する学校や組織や仕組みにいつも違和感を感じていた。
大人になってからもそうで、自分が所属する会社や集まりや番組にも疎外感を感じていた。
それは多分、マージナルマンだったからだ。
マージン=余白をそこに求めるから、いつのまにかその集団の中の規範と相入れなくなるのだ。
その集団に適合しようとすると、その同調圧力になんかとても窮屈さを感じてしまう。だからといって外側に出るだけの勇気もスキルもなかったのも事実だ。だから22年9ヶ月も会社員をやっていたのだ。

でも会社を辞めたからって、その窮屈さはあまり変わらない。自分が属する集団の規模が、会社から業界に、大きくなっただけに過ぎない。なんてことはない、結局どのレベルの集団にいたって、自分は余白=マージンなんだと思う。

まあ、ここまでそんな感じで生きてきたわけだから、そんな自分を定義する“マージナルマン”という言葉と今日出会ったわけで、この際マージナルマンとして生きていこうと、自分は余白でいいんだと、なんとなく吹っ切れたわけです。

ぼちぼちやろう、ぼちぼち。
周りは気にせず、評価は気にせず、自分のペースで。
自分のやりたいことを、やれるだけ、やりたいように、やる。
疲れたら、休む。
飽きたら、やめる。
そしてやりたくなったら、またやる。
ぼちぼちやろう、ぼちぼち。

現実とフィクションの入れ子構造を楽しんで生きる。

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