BC1「最終回−天才たちにあこがれて−」
[水道橋博士のメルマ旬報 vol.88 2016年6月25日発行「オトナの!キャスティング日誌」より]
皆様おはようございます。TBSテレビでバラエティプロデューサーをやっています角田陽一郎(かくたよういちろう)といいます。
僕がプロデュースしてきた番組『オトナの!』が6月29日に最期の放送を迎えます。そしてこのメルマ旬報も7月からは新システムになるので、『オトナの!キャスティング日誌』も今回で最終回です。
2012年の1月から番組は放送開始。2013年の3月に水道橋博士と岡村靖幸さんに出演していただき、博士はその後10月にも園子温監督とご出演していただいています。番組の中で唯一2回出場した方です。
そして僕がこの連載をさせていただくことになったきっかけは、2014年1月に開催された『メルマ旬報フェス』でした。第1回目の連載でそのことを書いています。
「1月のメルマ旬報フェスを観に行って、なんていうかあの“何か”を発信したいという連載執筆陣のパワーというか情熱にものすごく感化されまして、フェスが終わってすぐ博士に「僕も何かを発信したい!」と直訴した次第です。」
《第1回“僕は天才にあいたくて、夢をかなえたくて、日々番組作ってます!”より》
こうして2014年2月25日発行の第32号から連載をはじめて2年と4ヶ月で計57回。いつも〆切ギリギリでしたが、一回も休むことなく番組の終了とともに連載が終了するのも、これまたなかなか感慨深いです。
僕としては、こういう連載を持ったのもそれこそ初めてでしたし、文章を定期的に書くということ自体も初めての経験でした。
そしてこの連載を始めたことで、特に自分的には「文章、書けるじゃん!」って思わせてくれたことが、その後の僕の人生を大きく変えたと思っています。
例えば自分が2005年に『さんまのスーパーからくりTV』の企画会議中に突如思いついた“新しい占い・カテゴライズド”は思いついた当初は雑誌に載ったりしていたものの、その後具体的な企画にせずに放っといた状態でした。それを「文章、書けるじゃん!」という自信を持つことで「書籍にまとめてみよう!」と一大決心して、いろんな方に相談して出版社を見つけ出して、その後14年9月に自分の初めての著作『究極の人間関係分析学 カテゴライズド』として形になったのです。
また3ヶ月後の12月には『オトナの!格言』という番組の書籍が出版されました。書籍化にあたりゲストのみなさんのお話を、なんと僕が編集することになりました。最初は収録動画をライターさんが文字起こししたのですが、それを読んだだけではどうもおもしろくない。編集者さんに「この話の裏には実はこんなエピソードがあったんですよ!」って僕が伝えたら、「それを角田さんが書いてください!というかそれを書けるのは角田さんしかいません」と言われたからなのでした。
実はこの『オトナの!格言』は以前に別の出版社から書籍化の話をいただいていたのです。でもいろいろ交渉の過程で問題が起こり話が頓挫したのでした。しかしメルマの連載を始めて「文章、書けるじゃん!」って僕が思ったからか、再び別の出版社から話が舞い込んできたのです。その時の心境を僕は以前の第11回で書いています。
「今までなんでこの企画が“形”にならなかったのか?」がわかった気がしました。それは、「他人がこの企画を受け入れてくれなかったから」なのではなく、「僕の方にそれを“形”にするだけの準備ができていなかったから」なのではないでしょうか。
どうして実現しないのか?どうして企画が通らないのか?どうしてやりたいことがやれないのか?と思っていることは、だいたい自分のほうでその準備が出来ていないだけなんではないでしょうか?逆に自分の中でそのスキルが備わったり、自分のまわりの環境がスタンバイできてくると、そのやりたいことの方からこちらに向かってくるんじゃないか?と思えるのです。」
《第11回“やりたいことがやれてみて、なぜやりたいことがやれなかったのか?がわかった!”より》
もし、最初の出版社で話が決まっていたら、その時点でいざ出版ってことになっても僕自身が編集することはなかったと思います。だって、自分に文章が書けるなんて思ったこともなかったから。でも自分が「書ける」と思ったから、また新しい出版社が現れたのじゃないだろうか?
言うなれば、“スタートとゴール”は時系列でみると“まずスタートがあってゴールにたどり着いた”と見えるけれど、実は“そもそもゴールがそうなるために、スタートが起こった”のではないだろうか?・・・僕はこんな風に奇妙に“原因と結果”を逆転して考えるようになったのです。
そしてこの連載は、昨年の7月には1冊にまとめられて『成功の神はネガティブな狩人に降臨する−バラエティ的企画術』という書籍になりました。また別の出版社さんから原稿依頼が来て、ついに書き下ろしの『最速で身につく世界史』が昨年11月に出版され、なんと今では6万部のヒットになっています。いつか自分もヒットする本を書いてみたいと思っていたことが、形=ゴールになったのです。それもこれも、このメルマ旬報の連載のおかげで、「文章、書けるじゃん!」って思ったことがすべての契機=スタートになっているのです。
そしてまもなく、『オトナの!』とこの連載『オトナの!キャスティング日誌』は終了というゴールを迎えます。とすると、僕は『オトナの!』をどんな想いで2012年にスタートしたのでしょうか?この連載を2014年にどんな想いでスタートしたのでしょうか?
実は今回のこの終了というゴールを迎えるために、僕は『オトナの!』をスタートしたんじゃないだろうか?・・・そう思えてならないのです。
番組スタートの時の心境は、この連載第1回で書いています。
「で、僕に何が書けるか?と。いろいろ思い巡らしたわけですが、僕がみなさんに発信できる“何か”というのはやっぱり“テレビ”なのではないかと。僕は毎日テレビを作っていて、そこで日々“天才”に出会えている。そして日々“夢”をかなえている。これはもうものすごく光栄なことです。そうなんです、僕は“天才”に会いたくて“夢”をかなえたくてテレビを日々作っているのです。
今やっている『オトナの!』というバラエティー番組は僕が夢にまで見た会いたい人、テレビで語ってもらいたい天才、まさにそんなあらゆるジャンルの“夢の天才”にご出演をお願いしているのです。いや逆に言うと、僕が出ていただきたい“天才”にしかご出演をお願いしていないのです。」
《第1回“僕は天才にあいたくて、夢をかなえたくて、日々番組作ってます!”より》
そうです。僕は自分の会いたい天才たちを番組に出したくて、『オトナの!』をスタートしたのでした。実際4年半で181名の天才たちに番組に出演していただきました。それぞれの方に実際お会いし、お話を聞き、すごくすごくものすごくいろんなことを学ばせてもらいました。そして僕は天才と実際会ってみて、天才たちと身近になれるんだという多分にミーハーな気分をスタート時点では思っていたのです。だってそもそも天才と会いたくてテレビ局に入ったものですから。実際番組出演後もお会いしたり食事をしたり、SNSで定期的にやりとりする関係になった方もたくさんいらっしゃいます。そういう意味では当初抱いていたように、僕は天才たちと身近になったのでした。確かに夢をかなえたのでした。
ところが僕は、こうして天才に会い続けて、気づいたことがあるのです。それは昨年末くらいからうすうす感じていたことでした。
すごい人に、近づくと、実は遠くなる。
遠い時は近づくだけで本望だって思っていましたが、いざ近くに行ってみると、相手と僕の間には、そこには途方もない距離があって、その距離に愕然としてしまうのです。天才と凡人との差、あるいは出演者とスタッフの差とも言えるかもしれません。
僕がそんな心境になっていたら、この3月に突然番組終了が決定したのです。先ほどの連載第11回のタイトルにかぶせて言えば、《やりたいことをやり続けてみて、なぜやりたいことが終わるのか?がわかった!》のです。
僕にとって番組終了自体は本当に寝耳に水でした。それに関して言えば先号で書いたように、もっともっと番組を続けていたかった。せいこうさんユースケさんとずーっと番組を続けていたいです。その気持ちは本心です。
でも、でも、僕個人としては、これ以上天才たちに会ってみても、その自分との距離に愕然としてしまうのならば、もはや僕は、番組を続けるということ以上に、もっと次の段階に行く時なのではないか?・・・なんていうか、そんな思いが宿ってしまって仕方がないのです。
いや、むしろ、僕がそんな思いになったから、番組は終わってしまうのではないか?
だとすれば、自分がそんな境地になったから、番組が終わってしまうのであれば、僕がテレビ局でテレビを作り続ける動機もそもそも、天才に会いたいからなわけで・・・ならば、僕はこれ以上テレビ局にいて番組を作ることも、もはや必要ないんじゃないか?
それでも天才たちにすこしでも近づきたいなら、結局自分自身がすごい人になるしかないのではないか?なれないとしても近づこうと決意することが必要なんじゃないか?
今、番組のゴールとともに僕はこんな思いをいだいています。
そしてこの決意は、実は次の新たな僕のスタートなのかもしれません。
読んでいただきありがとうございました。
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