vol.48 『コロナ篭りという無人島生活の手記』

角田陽一郎のメルマガDIVERSE vol.48 2020年5月23日New Moon
『コロナ篭りという無人島生活の手記』

ユニバースUNIVERSE(単一の世界)からダイバースDIVERSE(多元的な世界)へ
多視点(バラエティ)でみると、世界はもっと楽しくなる。
それが角田陽一郎の考えるバラエティ的思考です。まさにいろいろなことをバラエティに多元的に多視点で紐解くメールマガジンです。

■CM■「コロナ篭りで見出した新しい発見」inspired by【出世のススメ】

今日は双子座の新月。はじまりの日。
はじまってないことを、はじめよう。
はじめられないことも、はじめてみよう。
はじまりは、何回はじめたっていいのだ。

おはようございます。いよいよコロナ禍の緊急事態宣言が来週には首都圏でも開けそうです。もう開けた地域の方もいらっしゃいますよね?
まあ、そのことは純粋に歓迎しつつも、宣言を開けた世界は、決して今までの世界とは同じではありません。それは、まだまだ第二波を警戒していかなきゃいけないっていう個人の身体防御という近視眼的な意味と、ウィルス禍という困難さとは人類は未来永劫対峙してかなきゃいけないという遠視眼的な意味でもです。
自分のメルマガを見返してみると3ヶ月前の2月の新月号からコロナ禍についてのことを書いていますね。ネガティブだったり、ポジティブだったり、それこそ自分の感情の起伏がそのまま表出されていますし、それこそそれは僕の中での自分と世界を結ぶ距離の差の近視眼的な感情と遠視眼的な思考が織りなすグラデーションだと思います。
なので今回のこの文章では、そんな3ヶ月のコロナ篭り生活のレコーディンの意味も含めて、記憶と記録をして置こうと思うのです。
題して、「コロナ篭りで見出した新しい発見」です!


■DM■「身体の革命的転換」inspired by【人生が変わるすごい「地理」】

ちなみに今、新月の朝にこの原稿を書いています。実は立ちながらPCに向かって書いています。まず、この立ちながらデスクワークをするという行為をやるようになったことが、このコロナ篭りで見出した自分的な発見です(笑)。
前号までも書きましたが、篭って作業していると、座っている時間が相対的に長くなります。そうすると肩こりや頭痛がひどくなりますよね。まあ、自分的にはそれはコロナ篭りの前からだいぶ抱え持った悩むべき身体現象なのですが、それを解消すべく適宜散歩したりストレッチしたりには努めておりました。ちなみにそれでむしろ健康になり体重もだいぶ減って嬉しいのですが。
そんな中、蔵書がどんどん増えスタジオのオフィスの本棚が足りなくなり、本棚を買い足したのです。もう置き場所がないので、壁面にピタっとつけていたデスクを壁面から離してその空いた隙間に本棚を配置することにしたのでした。そしたら、そのことでデスクが本棚の邪魔になって、デスクのデスク面以下の本棚の下部の本が取り出しにくくなります。はて?どうしたものかと思案していたところ、思い出したのです。自分のデスクは高さが電動で調節できる機能が付いていたことを!(今まで忘れていたのでした)
で、早速動かしてみると下部の本を取り出すときはデスク面を上方向に移動させればスムーズに取り出せたのです。「これは、いいぞ!」と思っていたら、そんな胸高まで上がったデスク面を見て、「これ、そもそも立ってデスクワークするための機能だったんだ」と改めて気づき、「じゃ、試しに立って作業やってみよう」と、立って作業をしてみました。
すると、とてもいいのです。まず肩こりが大分軽減されます。少なくとも猫背が避けられます。そしてずっと立ってるわけですから、下半身も使うようになります。で、zoom会議とかも、そんなに眠くならない(笑)。つまり作業がはかどるわけです。この文章だって早朝の眠い頭で書いているのと、立って頭が嫌でも活性化されて書いているのでは、全然進み方も思考性も変わります!
「そんなこともう知ってるよ!」「自分もやってるよ!」って方もたくさんいらっしゃるでしょう。確かにスタンドワークの方が、会社でも会議が冗長にならずにいいということで採用している企業も一定数あるのは勿論知っています。でもそれだからこそ、僕はいままでそんな立ちながらのミーティングがなんか生理的に嫌いだったのでした。なんか奴隷のように働かされているようで。「会議をやるんなら、思考するのなら、せめてリラックスした環境でやらせてくれよ!」と、まあ、そんなことを思っていたのでした。ちなみに同様な感情で立ち飲み居酒屋もそんなに好きではなかったですし、座り心地が悪い飲食店、詰め込みすぎな居酒屋とかも嫌いでした。つまり気持ちよく座ることが、気持ちいい時間を過ごせることと同義に考えていたのでした。
それが、コロナ篭りのおかげで、自分的な身体の革命的転換まで結びついたのです。大げさな言い回しですが、こういう小さな転換が、実は個人的な近視眼的な目線でいうと、これからの自分の人生をいい方向に向かわせてくれるんじゃないかと思うのです。そういう意味で革命は大きけりゃいいってわけでもないわけです。小さい革命が、どんどん自分を(そしてもしかしたら世界を)いい方向に持って行ってくれるかもしれないのです。


■EM■「精神の革命的転換」inspired by【「本音で話す」は武器になる】

フェイスブックって、過去の自分が同じ日に投稿したポストを知らせてくれますよね。今朝も3年前に自分が投稿したポストが表示されました。以下です。

『君の発見は世界の常識だ』2017年5月23日
無人島で何年も独学で研究して貴方にとって前代未聞の発見をしたとしても、それは例えば掛け算だったりする。掛け算発見した貴方は天才だとは思うがそんなに意味のない行為だと思う。つまりそれが僕が本を読む、映画を見る、音楽を聴く、テレビを見る、人と会う、理由です。
「最近テレビ見てないです、つまらないから」とか言うんだけどもなぜ見てないのにつまらないってわかるんだろう。
せめて「最近テレビ見たけど、つまらないです」と言ってくれたなら納得する。
自分で先に情報を遮断することを優越感で語る人はどんな優越感なんだろう?
その人が天才ならそれでよいけど。
結局全てのコンテンツは、自分がインプットしたあらゆる情報を自分の脳内で窯変してアウトプットする行為だと思う。
そのアウトプットは小説だったり映像だったり音楽だったりビジネスだったり人様々。
なのでほんの一部の天才を除いて、僕らは何かをインプットしなければ何も生み出せないんだと思う。
https://kakutayoichiro.themedia.jp/posts/2424567?categoryIds=402800

で、これを今、3年後の2020年5月23日にコロナ篭りしながら読んでみると、確かにこの想いには、今も同意しつつ、このコロナ禍で自分の中で違う視点が出てきたのも、確かなんです。
つまり、「無人島で掛け算を発明してる人生ってのもアリだなー」って篭りながら感じているのです。

ここから先は

2,656字

¥ 300

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?