Vol.03 サッカーで身につける勉強法!『エンジンからOSへ』
2018年7月、ロシアで行われた4年に一度のサッカーワールドカップが終わりました。
日本もベスト16に進出しましたし、ブラジルやドイツなどのいつもの常連国が破れたり、ビデオアシスト判定等の新たな技術が導入されたり、試合自体も好ゲームが多くて、かなりドキドキした、そしてかなり寝不足な1ヶ月でした。
でも・・・
「サッカーなんて観てないで、勉強しなさい!」
と学生や受験生は、もしかしたら身近な大人に言われてたかもしれません。
社会人だって、深夜放送がメインだったので、翌日の仕事を考えるとなかなか見るのは大変だったのではないでしょうか?
それこそ、そんなサッカーなんか見てる余裕があるなら、勉強しろよ!仕事をしろよ!って自分自身が一番思っちゃうのも無理もありません。
しかし僕は先号までこの『最速で身につく勉強法』で述べたように、全てのことが勉強になると思っています。
サッカーだって、出場した32カ国の状況を、ちょっと検索するだけで、今の世界情勢、各国の特色、各国が抱える問題点が途端に浮き彫りになってきます。
さらに言えば、例えばテレビの放送で「観客スタンドにいる美女を映しすぎだ」と各国のテレビ局にFIFAがお達ししましたが、そんな事象も、最近各国で叫ばれている女性の権利向上運動「#metoo」の一環の表れだったりします。
このように、世界的なイベントは、世界的な事象を如実に反映して成立するのです。そして・・・
「世界の事象がどう成立しているか?」
ということを学ぶことが勉強です。
ということはこの世界的なイベントに触れないで、勉強机に向かって何かを暗記しているのは、本当に本当に人生にとって勿体無いことなのです。
つまり、「◯◯してないで勉強しなさい!」って言われちゃった人は、むしろ◯◯したいから、◯◯しているわけですから、ならいっそのこと◯◯しながら、◯◯が自分の勉強になっちゃうような機会に、この際してしまえばいいのです!
ではどうやれば、そんなことができるのか?
それは、
「思考の幅を広げる」
という行為です。
そのひとつの実例を、僕が数年前に横浜で行われたクラブワールドカップを見に行った際に、実際に僕が感じたエピソードで、これから説明したいと思います。
題して、『エンジンからOSへ』です。
うん!?
なんのことだ?
サッカーが、エンジンとOSになんの関係があるんだろう?
そしてこれのどこが勉強なんだろう?
・・・まあ、読んでみてください
『エンジンからOSへ』
サッカーの国別世界一を決める大会はワールドカップですね。サッカーワールドカップはオリンピックより参加国や視聴数が多いと言われ、まさに世界一の規模を誇る大会です。
一方各国にはサッカーリーグがあって、スペインのリーガエスパニョーラのFCバルセロナやレアル・マドリッド、日本のJリーグのガンバ大阪や鹿島アントラーズなどなど、各国にたくさんのサッカーリーグとクラブチームがあります。サッカーリーグの垣根を超えて、クラブチームの真の世界一を決める大会がクラブワールドカップです。
ただこの名称になったのは意外に新しくて2006年です。それまではインターコンチネンタルカップと称され、もともとは欧州のナンバー1クラブと、南米のナンバー1クラブが対決して1位を決める大会でした。でもその名称もあまり日本人には馴染みのない名称ですね。
それはこの大会は、スポンサーの企業名を冠した名称、『トヨタカップ』として長年開催されてきたからなのでした。
1950年代、当時のサッカーの二大勢力であった欧州と南米のサッカークラブ世界一決定戦の計画が持ち上がるようになり、1956年から開かれていた欧州のUEFAチャンピオンズカップの南米版として、コパ・リベルタドーレスがウルグアイの提案で1960年より始まり、その年に第1回インターコンチネンタルカップが開催されたのです。
当初はホーム・アンド・アウェー方式で行われていたのですが、サポーターの過熱化、特に南米でかつての宗主国である欧州への反感が増幅され、頻繁に暴動が起こるようになりました。このサッカーと暴力というのは根が深い問題で、国家間で戦争になったこともありますし、フーリガンと称される暴力的な言動・行動を行う暴徒化した集団が各国で暴れまわったり、人種差別的行為に及んだりします。サッカーは民衆を熱くさせる何かを持っているのは確かです。
移動スケジュール等も次第に問題とされるようになり、1970年代から欧州チャンピオンのクラブが遠征の負担などを理由に出場を次々と辞退する事態も起こり、1975年と1978年には開催自体が中止に追い込まれるようになってしまいました。
そこで1980年頃に「中立な第三国での一発勝負であれば、安全面やスケジュールの問題もクリアできるのではないか」という話が持ち上がり、その試合の開催地として日本が浮上しました。
この話に日本テレビと電通が乗る形で企画がスタートし、電通がトヨタ自動車を冠スポンサーにつけることで1980年より日本で開催されることになりました。
これがトヨタカップです。
欧州と南米では先ほども述べたように暴動が起こったり、戦争が起こるくらいの大ムーブメントがサッカーです。その世界一を決める大会が、1980年より日本で行われ、そしてその名称がなんと自動車会社のトヨタであることが、
①日本の経済成長、
②日本の世界進出、
③自動車工業の発展、
④トヨタ自動車の躍進、
という、当時の4つの事象がまさにこの80年代に確定したことを象徴づける重要要素なのです。
ちなみにトヨタカップ開催スタジアムが国立競技場に変わり、横浜の日産スタジアムで開催される際は、スポンサー名に配慮してライバルの日産名を控えて横浜国際総合競技場と呼ばれますよね。
欧州と南米のトップチームを日本へ連れてきて、試合をさせる。
これには多額の費用がかかっているはずです。更に言えば、その頃は日本にはまだプロサッカーリーグはなく(Jリーグが始まるのは1993年)、それこそワールドカップにも長く出場できなかった日本(ワールドカップ初出場は1998年のフランス大会)ですから、今のようなサッカー人気があったわけではないのです。それでもトヨタがスポンサーになってこの世界規模の大会が日本の国立競技場で開催されたことは先の4つの要因が、この時期同時に起こったからなのです。
トヨタとしてはTOYOTAを世界的なブランドにしたいという思惑(①②)と、それを可能にするだけの資金力があったこと(③④)を物語っています。
ちなみにその頃、ホンダもF1に参戦して華々しい活躍をします。まさにジャパン・アズ・ナンバー1として、世界を席巻する日本の時代が80年代だったのです。
さらにちなみに、当時叫ばれたジャパンアズナンバー1はJAPAN AS No.1です。JAPAN IS No.1ではありませんでした。つまり「日本はナンバー1である」という事実ではなく、「ナンバー1としての日本」という、ナンバー1ではないけれど、経済力でこのままナンバー1を牛耳りそうだという世界各国(特にアメリカと欧州)の猜疑心と恐怖心が感じられる言い回しでした。
さてそんな日本経済の謳歌時代から始まった、トヨタカップは21世紀になると終焉します。それにはサッカー界の様々な改革があることが主原因ですが、その真理を、世界を知るためのキーワードで、紐解こうと思います。
それは・・・
「世界の主産業は、エンジンからOSになった」
ということです。
なんのことかいまいちピンときませんよね。それを今から順を追って開設しようと思います。
サッカーのクラブ世界一を決める大会、通称トヨタカップは欧州(UEFAチャンピオンズリーグ)と南米(コパ・リベルタドーレス)の王者同士の直接対決によって「事実上」の世界一が決められていました。その為、欧州と南米が世界のサッカーの2大中心地であった時代までは、これ以上の大会は必要なかったのです。
しかし、90年代に入ると、ワールドカップなどで欧州や南米以外の大陸の国々の躍進も目立ち始めました。この為、当時のFIFA会長であったゼップ・ブラッターが「クラブの世界一決定戦においてもワールドカップと同じように全大陸連盟から代表を集めて、真の意味での『クラブチームの世界王者』を決めよう」と提唱し、各大陸のナンバー1のクラブが出場するFIFAクラブ世界選手権が2001年に開催されたのです。
これが2005年よりトヨタカップと合体して6大陸選手権という今の形になります。
開催初回は、トヨタカップと開催国日本に配慮され、トヨタカップという名で開催されましたが、その後この大会はクラブワールドカップと呼ばれるようになり、日本語では、「TOYOTAプレゼンツFIFAクラブワールドカップ」が正式名称になりました。
そして、2009年、2010年の開催地をアラブ首長国連邦、2011年、2012年の開催地は日本、2013年、2014年の開催地はモロッコになりました。
つまり開催地が2年毎に変更するフォーマットが続いていて、いまやほぼ2年ごとに日本と、日本以外の諸外国とで交互に開催する状態が続いていることになります。様々な思惑があるのでしょうが、この事実は日本という国の世界でのプレゼンスが相対的に弱くなっていることを物語っています。
そして2014年大会を最後に、トヨタは前身であるトヨタカップ開始の1981年から継続していた冠スポンサーから撤退しました。
トヨタカップは名実ともに終了したのです。
でも2015年と2016年は日本で開催されました。
なのにトヨタカップではなくなったのです。
その時のスポンサーははたしてどこだったのでしょうか?
僕は2016年12月に横浜で開催された決勝戦を見に行きました。
あの鹿島アントラーズ勝ち進みレアル・マドリードと戦い善戦した試合が決勝戦だった大会です。柴崎選手のゴールに大興奮しました。
僕は会場にいて時々流れる場内放送での大会名コールを聞いて、最初は意味がよくわかりませんでした。
「ユンオーエスオート・プレゼンツ・FIFAクラブワールドカップ」
とアナウンスが流れていたのです。
「ユンオーエスオート?」
これはいったい何を意味するのか?僕はスマホでその場で検索しはじめました。
まず、この大会の冠スポンサーは、中国のネットIT企業アリババでした。
そしてそのアリババが、開発している独自のオーエスがYUN OSなのです。
YUNとは雲、つまりクラウドですね。つまり”雲OS”のことを意味していました。
そしてAUTOとは何か?これはこの雲OSが、車の自動運転のOSであることを意味しています。
つまり、ユンオーエスオートとは、中国の飛ぶ鳥を落とす勢いのジャックマー率いる巨大IT集団アリババの、次世代の自動運転の頭脳になる『雲OS AUTO』が、クラブワールドカップの冠スポンサーであることを意味しています。
アリババは少なくとも2022年まではスポンサーすることが決定しています。
これは何を意味するでしょうか?先の4つの要因は80年代から2010年代になってこうなったのです。
①日本の経済成長→中国の経済成長
②日本の世界進出→中国の世界進出
③自動車工業の発展→IT技術の発展、エンジンからOSへ
④トヨタ自動車の躍進→アリババの躍進
これは世界の動きを象徴しています。日本が世界で維持していた影響力は、中国に変わりました。中国も一帯一路のような政策をはじめ、世界進出を真剣に始動したことを意味します。そして共産主義体制の中国で、一企業のアリババがこの力を持っていることも注目です。中国は共産体制を維持しながら、資本主義世界で発展していこうとしているのです。
そしてトヨタの自動車の売りは、その高い技術・エンジンでした。欧米よりも安価なのに、故障が少ない、燃費がいい。トヨタ方式といわれる工場での生産性の高さ。そして次世代のハイブリッド技術も革新的です。それらがトヨタの、いやいままでの世界で誇れる多くの日本企業の、経済上の企業価値でした。
それが自動運転になると、一変します。エンジンがモーターに切り替わるのです。これはエンジンよりはるかに技術力が無くても電気自動車を作れることを意味します。というか、トヨタの高い技術力になかなか追いつけない各国の自動車メーカーが、トヨタに勝つためにハイブリッド車や燃料電池車より、電気自動車を世界のスタンダードにしようと画策しているとも言われています。
そしてその自動運転にとって、一番重要なのはエンジン=動力技術では無く、それをコントロールする頭脳です。つまり自動車の頭脳を動かすオペレーティングシステム=OSが何よりも自動運転の鍵を握っているのです。そのためアメリカではグーグルなどIT企業が自動運転の開発にしのぎを削っています。
中国は、次世代の自動車=自動運転で、世界のヘゲモニーを取りたいと思っています。
つまり自動車のヘゲモニーとは、いまやエンジンではなくてOSなのです。これがモノに価値がある時代から、情報に価値がある時代への価値の転換を意味する情報革命なのです。
世界は、日本から中国へ。
価値は、モノから情報へ
このダイナミズムが如実に同時に表れているのが、まさにクラブワールドカップの名称がTOYOTAからYUN OS AUTOに変わったことなんだと思うのです。
そして2017年、2018年のクラブワールドカップは、アラブ首長国連邦で開催されます。これは、中東が経済的に豊かであることを意味するのと同時に、FIFAがサッカーの次なる市場をイスラム圏にターゲットを捉えていることも意味しています。世界に15億いる、イスラム圏でのサッカーの隆盛が、今後のサッカーの隆盛につながるからです。2022年のW杯はまさにカタールですものね。
そしてクラブワールドカップの2019年以降はどの国で開催されるのでしょうか?
少なくとも日本ではないようです。
アリババがスポンサーだから、中国か?
ジャパンアズナンバー1と80年代には呼ばれましたが、今、チャイナアズナンバー1とは呼ばれません。それは翻って言えば、”1位としての中国”という注釈をつけた上での1位なのではなく、チャイナイズナンバー1になる可能性があることを、世界中が薄々感づいているからなのではないでしょうか?
このように、サッカーを通してだけで、世界の趨勢が見て取ることができるのです。
そして勉強とは、身の回りの全てについて、自分自身の「思考の幅を広げる」ことなのです。