vol.23 『月日は百代の過客』

角田陽一郎のメルマガDIVERSE vol.23 2019年5月19日Full Moon
『月日は百代の過客』

ユニバースUNIVERSE(単一の世界)からダイバースDIVERSE(多元的な世界)へ
多視点(バラエティ)でみると、世界はもっと楽しくなる。
それが角田陽一郎の考えるバラエティ的思考です。まさにいろいろなことをバラエティに多元的に多視点で紐解くメールマガジンです。


■Cm■「人生とは旅の想い出」 inspired by【13の未来地図】

月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり

これは松尾芭蕉の『奥の細道』の冒頭の一節ですよね。確か高校の古文の授業で習いました。でもそれ以来、僕はずーっとこの言葉の意味を考えています。
「百代」は「何年も続く」という意味で、「過客」は「旅人」のことです。つまり「月日は百代の過客にして」と「行き交う年もまた旅人なり」と同じことを繰り返して言っているわけなんですよね。
「僕らが過ごす時間こそが旅なのである」という考え方なんて、この言葉を聞くまでは想いもしなかった考え方でした。
でもこの言葉から始まって、『奥の細道』は奥州への旅が始まります。何ていうか、芭蕉にとって人生とは比喩としても実際でも旅なんだって理解した時に、僕にとっても、というか誰にとっても、人生は旅なんだって理解したのです。
それまでは、旅は日常を離れることなんだって、家族旅行とか遠足だとか一時のリラクゼーションなんだって、思っていました。そうじゃないのです。人生自体が旅なのです。日常こそが旅なのです。そこに移動があるか無いかは、そんなに関係ない。なぜなら空間的に移動しなくても時間的には(嫌が応にも)移動しているからなのです。
19歳の浪人時代から、僕は実家の親元を離れて東京に住んでいます。つまり今年で30年です。年取った父母ともまだ健在ですが、でもそう思うとふと考えてしまいます。両親といっても18年間一緒に行き交っただけなのだと。むしろその後の30年は、別々に過ごしているんだって。むしろ今年で社会人になって25年ですが、入社以来知っている元会社の知り合いで、今でも仕事を一緒にしていたりすると、つまりもう25年関係が続いていて、もう両親よりも一緒にいる時間は長いってことになるんですよね。
そう思った時に、肉親というのは一体なんなのだろうって考えたりもします。当然血が繋がってるから肉親なわけですけども、その事実を保障してくれているのは、実は一緒に過ごした幼少期や青年期での行き交った想い出だったりします。そしてその想い出とは、それも些細なことで怒られたり、口論したり、一緒に映画を見にいったり、日々の食事を一緒にしたり・・・まさに日々のなんでもない行き交い自体がその記憶なわけです。つまりそれらも旅なわけです。
人生とは旅の想い出の連続なのです。その1シーン1シーンが、忘れたりしてしまったことも多いですが、そんな光景のフィルムが積み重なって、旅の想い出として積み重なって、折り重なって、自分の人生を形成しているんだってふと気付かされます。

今日は蠍座の満月です。今、旅先のホテルでこの文章を書いています。なのでまさに人生という旅の中で、まさに本当に旅先にいるという(笑)・・・そんな気分なのでこんな文章を書いているのでしょう。
でも、今日この旅の文章を旅先で書いているのは、実は旅先だからなのではないのです。
むしろ、人生自体が旅なんだなあと、最近改めて気付かされたからなのです。今日は実はそのことを書こうと思ったからなのです。


■Dm■「仮宅と本宅」inspired by【運の技術】

今、この文章を書いているのは、旅先のホテルでですが、ホテルというのは仮の住まい=仮宅ですよね。[空間を移動する意味での旅]とは、旅館であれホテルであれ、仮宅に宿泊することになりますよね。
では普段の日常で暮らしている場所というのは、自分の家であり、それはまあ、本宅ということになります。つまり日々の人生とは仮宅と本宅を行き交いながら過ごしているわけで、人生自体が[時間を移動する意味での旅]であるのだとすると、本宅も、実は仮宅なんだって、そんなことを最近考えるようになったからなのです。

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