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第378段「新しい肩書き」

今日は朝から悲しい知らせを聴き、とてもやるせない気持ちになる。

というか、ここ数日、というか数週間、というか数ヶ月、なんとなく歯車が噛み合ってない感じがしているのだ。それは自分が、というより世界の歯車が。

それはコロナだったり戦争だったりということかもしれないし、地震も多いなあと感じてることかもしれないし、なんていうか気持ちが沈むような事件や事故だったり、そんなもんはいつも恒常的に起こってるのかもしれないけれど、逆に自分がそんな気分だから目につくだけなのかもしれないけど、でもなんか不協和音というか、違和感を感じてしかたがないのだ。

で、それは、そんな世界と接続している自分にも跳ね返っていて、なんていうか仕事をしていても、テレビを見ていても、本を読んでいても、ネットをしてても、ご飯を食べていても、身体を動かしていても、誰かと会話をしていても、なんなら夜寝てても、なんていうか歯車が噛み合ってない感じがしてしまうのだ。

それを、自分的に自分のことを分析すると、“老い”なのかとも思う。この世界に半世紀以上存在して慣れすぎて、いろんな仕事をやりすぎて、たくさんの人と出会って、なんていうか、それはもう既視感な気もするし、全てが馴れ合いになってるような、でも一方で身体のあちこちが痛いなあとか思うと、そんな馴れ合いの世界で自分の劣化を感じてもいたりして。その世界と自分の感覚の乖離が不協和音となってるのかもしれない。

そんなこんなで、今日の夜は知り合いと会食をする。すると突然、何気ない会話から、自分の不協和音を払拭するような、歯車をカチッと噛ませるような、ある感覚が突然やってきたのでした。

つまり、それは、大仰に言えば、この不確かな世界に合わせて、自分が新しく生まれ変われということなのかしれないと。
そして、それを実務的に言えば、この不安気な社会に合わせて、自分が新しい肩書きを持つことなのかもしれないと。

今まで生きてきた中で培ってきた世界との関係性と、自分の能力、経験、趣向、そこから敷衍するカタチで自分の肩書きは、今バラエティプロデューサーとなっている。そして、今それに違和感を感じてるからこそ、その肩書きで生きていくことへの限界と乖離を感じてたんだって、気付かされたのだ。

そして、そう気付いた時に、自分がこれから生きる際に、もう一つ全然別の肩書きを持ってみようと、思えたのだ。
その肩書きは、この不確かな世界で、自分がこれから生きていくための羅針盤になるような。
その肩書きは、この老いていく身体で、でもそれでも生きていくための預言になるような。

そんな突然の想いを、今とりあえず認めておこうと思う。
自分が新しく生まれ変わる“きっかけ”かもしれないから。
220511

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