vol.81 『欠けた満月』

角田陽一郎のメルマガDIVERSE vol.81 2021年9月21日Full Moon
『欠けた満月』

ユニバースUNIVERSE(単一の世界)からダイバースDIVERSE(多元的な世界)へ
多視点(バラエティ)でみると、世界はもっと楽しくなる。
それが角田陽一郎の考えるバラエティ的思考です。まさにいろいろなことをバラエティに多元的に多視点で紐解くメールマガジンです。


■Cm■「心のアザ」

今日は満月です。中秋の名月でもあるそうです。天気も良いのでこちらでは十五夜が美しく見られそうです。今から9年前の2012年の満月には、僕は沖縄の久高島で行われる十五夜祭に参加していました。泡盛をたくさん飲んでしまい、車座で行われていた宴中に僕は仰向けになってゴロンとしてしまい、島の人に叱責されたのを覚えています。その場に居づらくなり宴の途中でお暇して、その日は前日の台風の被害で島中停電していて、なおかつ霧が深くて、まさに五里霧中の朧げな状態で真っ暗な島の中をふらふらと歩いた僕は、全く記憶のないまま、気づくと朝、宿の部屋で寝ていました。
あの時のことを時々思い出します。ゴロンとしてしまったのはボクが悪い、でもあんなに泡盛飲んじゃったら酒の弱い僕はああなっちゃうのも仕方ないとも思う、でも島の人にはなんとなく東京から来た、何なら金髪の行儀の悪い業界人だと思われてしまったのかもしれないとも思う、じゃあどうしたらよかったんだよ、泡盛出されても、頑なに飲むのを拒否すればよかったのかよ、そんな複合的な想いが時々やってくるのです。実際、大した話じゃないし、始終思い出すわけでもありません。でもなんか、そんなことをふと思い出すタイミングがあるのです。
 今回のメルマガでは、別にそんなことを書こうなんて全く思ってもいませんでした。でも、書いたついでに、そんな感じで思い出す些細なことを、もう一個だけ書きたいと思います。それは僕が幼稚園の遠足の思い出。母も参加して一緒にどこかの公園に皆で行ったんです。で、お昼は、母と一緒にお弁当を食べます。でもその時に母がレジャーシートを忘れたのです。で仕方なく、僕らは小さいタオルを引いて食べました。周りではみんなが大きなレジャーシートを引いてお弁当を美味しそうに食べています。僕はその時とても恥ずかしくて悲しくて見窄らしくて仕方がありませんでした。なんとなく周りの人たちに僕らがレジャーシートを引いてないことを気づかれないように、ってすごく念じながらお弁当を食べたことを、今でも思い出すのです。こんなこと、ほんと別にどうでもいいことですよね。そんなことがどうでもいいことなんだって、今に気づいたわけでなく、数年後の小学生になった時には、すでにもうどうでもいいことなんだって認識していたとは思うのです。でも、今でもあの幼稚園の遠足のレジャーシートがなかったことを、時たま思い出すのです。あの時の恥ずかしくて悲しい気持ち。起こった事態は些細なことなのに、その時感じた感情だけがずーっと僕の心の中のアザのように残っているのかもしれません。
 そんな想いって、みなも一つやふたつあるのでしょう。誰かに何かをやられた、裏切られた、自分がしでかした、恥ずかしかった、それはそんなに大きなことではなくても、そして相手の方はなんとも思ってなかったり、なんなら忘れているような本当に些細なことでも、でも自分としては、心のアザのように残っている、消えない感情。自分なんて、そんなアザ、それはそんな感情だけでなく、楽しい思い出も、懐かしい経験も、もちろんそうなのですが、そんなアザまみれの心で、形成されているんだなって実感したりします。


■Dm■「女のいない男たち」

今日は、そんなことを書こうと思ってた訳ではないんです。
先週水曜日に、映画『ドライブ・マイ・カー』を観て、素晴らしい映画で、それは素晴らしさを超えて、ボクの生き方まで変わってしまうような映画体験だったのですが、そんな想いがあって、村上春樹さんの原作を読みたいなと思い、それは短編集の『女のいない男たち』に掲載されていて、でもこの短編集はボクは読んでいなくて、というのもボクは高一の頃からの村上春樹ファンで長編は全部読んでいるんだけど、短編集は実はそんなに読んでいなくて、さらにこの『女のいない男たち』というタイトルがなんか僕には読みたくなくて、多分買ってないだろな、アマゾンで注文しようかな、とか思っていたのでした。あ、ちなみに村上春樹ファンと堂々と言うのは、なんか恥ずかしいですよね、それはビートルズファン、サザンファンと公言するように。でもそれくらいメジャーなものは、もう皆が影響を受けていて、皆が多かれ少なかれ、好きでも嫌いでも、実はファンなんじゃないかって思えるのです。まあ、そんなことはさておき、そうしたら土曜日に塩野七生さんのローマ人の物語を自分の本棚で探していたら、なかなか見つからなくて、でもその際に本棚にあったんです『女のいない男たち』。きっと発売されてすぐ買ったんだけど、その時に読んでなくて、本棚に眠っていたんでしょうね。で、僕は土曜日に読み始めたんです。
 そうしたら、なんか僕には衝撃、というか正確には衝撃ではないですね、なんていうか自分の心のアザがその短編集には書き込まれていたのです。その事実にびっくりしてしまいました。というか、びっくりというのもまた違う感情です。なんていうか久高島の叱責のことを思い出すように、幼稚園のレジャーシートのことを思い出すように、なんか心が痛いのです。それは、この村上春樹の小説を読んだから、心が痛んだんではなくて、そこに書かれているエピソードが、なんか僕の心のアザに呼応して、読んでいて、その中の登場人物の男たちが傷ついていくように、自分が傷ついていくような感覚なのです。

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