BC7「偶然は、実際に起こったという意味では必然である」

[水道橋博士のメルマ旬報 vol.82 2016年3月25日発行「オトナの!キャスティング日誌」より]

皆様おはようございます。TBSテレビでバラエティプロデューサーをやっています角田陽一郎(かくたよういちろう)といいます。
2月20日に富山県教育文化会館で行われた、富山を舞台にした映画やドキュメンタリー作品を無料上映する『とやま映像祭2016』で、僕が2013年に初監督した映画『げんげ』が公開されました。僕は上映前の監督舞台トークに呼んでいただいて、久々に富山を訪れたのでした。今日はそんな映画にまつわるちょっと不思議な“偶然”のお話です。

映像祭

この『げんげ』という映画は、ドランクドラゴンの塚地武雅さん主演で、山田優さん、麒麟の川島明さん、ブラックマヨネーズの吉田敬さんが出演するハートフルコメディ映画で、舞台は富山県魚津市なのです。2013年3月の沖縄映画祭に出品するために制作し、その秋に富山で一般公開されました。昨年2015年秋には横浜でも公開されています。なぜ映画を撮ったこともないテレビマンの僕が映画監督をすることになったのかという奇妙なエピソードは、このメルマ旬報の第39回で書いたり、拙著『成功の神はネガティブな狩人に降臨する−バラエティ的企画術』で書いているのですが、簡単にいうと箱根の九頭龍神社に参拝して「夢が叶いますように」と神頼みしたら、翌日に映画監督を指名されたのでした。

九頭龍神社にお参りしたのが2012年の11月13日、「映画監督をやりなさい」と指名されたのは翌日の11月14日。沖縄映画祭は翌年の3月なので、映画など撮ったことのない僕が実質3ヶ月で映画を作らなければなりません。映画監督は初めてなので作品のクオリティは未知数でも、でもテレビプロデューサーの端くれとしては、なんとか話題になるような仕掛けを施したい…、こうして僕はまずは話題になるような仕掛けから考え出したのでした。

僕が考えたのは、映画を東京以外の地方で撮ることでした。当時(今もそうですが)、僕は地方の“街おこし”に興味があって、例えばもしこの映画が外国で賞とか取っちゃったら、それを観た世界中の人が、その地方のロケ地をワザワザ訪れるという現象が起こっちゃったらおもしろい!と思ったのです。そこで撮影できるロケ地を決めるために、僕の周辺の番組スタッフ全員に聞いたのでした、「君たちの地元でなんかおもしろいネタはないか?」と。するとアシスタントプロデューサー(AP)の女性が、「角田さん、“ゲンゲ”という魚知ってますか?自分の地元の富山県魚津では良く食べられている富山湾で取れる深海魚で、 昔は“下の下”と書いていた捨てるような魚だったんですけど、今は“幻魚”と書いて、てんぷらにしたり吸い物したりして珍味として食べられています。」と教えてくれたのです。
“下の下”が“幻の魚”に変化したってことと、主に富山でしか食べられないって話を聞いて俄然興味が出ました。映画を見た人がゲンゲを食べに世界中からわざわざ富山にやってきたら…それこそおもしろい!
さらに公開は南国の沖縄での映画祭です!今富山で撮影したら雪の映画になります。きっと話題に上りやすくなるでしょう。そこで早速魚津市を訪れ商工会議所や漁協の方に協力をお願いすると快諾してくれて、魚津での映画制作が決まったのでした。バタバタでオリジナル脚本を作らなければいけないのと、この神頼みしたら映画監督をやるはめになったという話そのものが面白かったので、まさにこの話を映画の元ネタにしました。

学生時代に映画監督が夢だったしがないサラリーマン(塚地)が、ある日九頭龍神社にお参りに行ったら、突然上司の命令で左遷先の魚津で映画監督をやることになるという、映画なんか撮ったことない主人公の撮影現場でのドタバタやハプニングを描くコメディです。それはまさに“僕自身”のことです。“撮影現場でドタバタする初監督”という映画をドタバタしながら初監督したのでした。
年が明けて2月、魚津漁港にある漁協の建物を左遷先の支社に見立て、魚津各地で撮影を行い、雪降る中で1000人以上のエキストラの皆さんが協力してくれて6日間の超強行軍で撮影を行いました。そして3月に3日間で超特急で編集して、なんとか映画祭での公開に間に合わせたのでした。ちなみに賞は逃しましたが、映画祭での観客動員は1位でした。映画のチラシには監督である僕はこんなメッセージを書きました。

《この映画はだいたい真実に基づいています。》
塚地さん演じる主人公と同様、僕も映画なんて撮ったことありません。まったく初めての経験です。そんな初監督が現場で起こすドタバタを本当にドタバタしながら撮影しました。
僕は昔から映画が大好きで大好きで、なのでもうレスペクトする市川崑、大島渚、山田洋次、北野武、堤幸彦、阪本順治、三池崇史・・・等々日本の名監督の名シーンをもう全部めいいっぱいパクって、あ、いや、詰め込んでいます!映画好きの皆様必見の映画です!

実際、映画の1シーン1シーン、ここは北野監督だな、ここは市川崑監督だな、てのがてんこ盛りです。実は実際制作していた瞬間はそんな風に“パクって撮ろう”なんて考えてもいなかったのですが、実際後から思い返すと、自分が今まで見てきた映画の記憶が、無意識にいつのまにか表出するものなんだって気付いたのです。自分が産み出す作品というのは、自分が今まで経験してきたものの、世界のあらゆるものの自分の中での“再構築”なんだって思い知ったわけです。

それが今から3年前、2013年の話です。僕が42歳の話です。じつは、この42歳という年齢には僕はものすごく思い入れがあったのでした。
みなさんも思い当たるところがあるかもしれませんが、タレントや文化人、はたまた歴史的偉人が何歳のとき何をしていたか?って気になりませんか?そしてその歳に自分がなった時に、そんな彼らに遠く及ばない自分の業績にひどくがっかりしたことはないでしょうか?僕はまさに昔からそうで、27歳になる時には、ジミ・ヘンドリックスやジャニス・ジョップリン、ブライアン・ジョーンズやカート・コバーンなど伝説のミュージシャンはみんな27歳で死んでるんだと知って愕然となりました。30歳になると、坂本龍馬が殺されたのは31歳だと知り落ち込みました。釈迦は35歳で悟りを開き、チェ・ゲバラは各地で革命を成功させた後39歳で亡くなっているのです。自分は何をやっているのだろう?何者でもないじゃないか?30代の頃にはそんな風に人生に対する焦りをいつしか持つようになっていたのです。
自分も、(会社員としてではなく)自分の名前で何事かを残したい!そう思っていた僕は、昔から好きだった作家・松本清張が42歳で作家デビューしたことを北九州の松本清張記念館を訪れた際知ったのでした。彼も会社員(朝日新聞社西部支社)です。でも新聞社勤務といっても華々しい記者ではなく、地味な印刷の業務をしていて、むしろ小説を書いて文学賞に応募したのも、家族を養うための賞金が欲しかったからなのだそうです。そしてその作品が翌年芥川賞を取り、文壇に颯爽とデビューするのです。
「僕も自分の名前で、何か作品を残したい!でもそのタイムリミットは42歳だ!」いつしかそう決心するようになったのです。というか、42歳になっても何物も産み出せてないならば、もう自分は何物も産み出せないんじゃないか?という焦燥感を持って40代になったのでした。
そして、そんな自分に42歳の時に映画監督をやるという仕事が突然舞い込んできました。本当は小説を出したり、自著を出版したかったのですが、でも映画だって監督という個人のものです。僕はそれがメジャーかマイナーかはともかく、その自分の作品を自分の名前で産み出すということをなんとか42歳で成し遂げて、そしてそこからなんとなく肩の力も抜けて、そうしたら翌年2014年にはこのメルマ旬報の連載もやるようになり、さらに次々に自著を出版するという機会もやってきたのでした。

そして、先月の2月20日の『とやま映像祭2016』です。僕は北陸新幹線で富山に到着し、トーク開始の2時間くらい前にちょっと早めに会場の富山県教育文化会館に到着しました。すると、その向かいの建物は高志の国文学館で、『松本清張を魅惑した北陸−ミステリー文学でたどる−』という企画展をちょうど開催していたのです。「時間もあるし覗いてみよう!」僕は企画展に寄ってみることにしました。

松本


確かに清張作品は北陸を扱った作品が多く、特に『ゼロの焦点』が有名ですが、その展示の中で僕は映画『疑惑』に目が止まったのでした。富山が舞台の作品で、桃井かおりさんが稀代の悪女を演じ、後妻で入った富豪の旦那の保険金目当ての殺人容疑がかけられ、柄本明さん演じる正義感が強い新聞記者を筆頭にマスコミは激しく彼女を悪女=犯人として追い込み、逮捕され裁判になり、それを岩下志麻さん演じる切れ者の弁護士が救うという逆転劇、野村芳太郎監督の1982年の映画です。僕は映画館では見ていないものの、当時テレビで放送されて、中学生の子供心にその脚本の抜群のおもしろさと、桃井さんの悪女ぶりに強く強く魅了された映画なのでした。企画展を出て物販スペースを除くと、その映画『疑惑』のブルーレイを販売していました。僕は無性に見たくなって思わず買ってしまったのでした。

そして昨日、その『疑惑』を30年ぶりくらいに観たのでした。
そしたらですね…映画のラストで戦いに敗れた柄本明さん演じる新聞記者が左遷された場所が、なんと魚津なのです。当時見ていた頃はそれを意識することは全くありませんでした。でも彼が電話をかけるバックの窓から除く風景から推察するに、そこは確かに魚津漁協です。さらに次のシーンで自転車で走る橋のシーンは、僕の『げんげ』にも出てくる魚津の橋のシーンなのです。
この偶然に、いや奇妙な“縁”に、今僕は心底驚いています。松本清張の42歳デビューに憧れた僕が、ちょうど42歳でたまたま富山で撮ったデビュー映画、そしてその上映会で訪れた富山でたまたま開催していた松本清張展で買った映画の中の撮影場所が、たまたま自身の映画の撮影場所と一緒だなんて、それもどちらも左遷された場所という一致。きっと偶然。でもこの偶然、それは一体なんなのでしょう?

「偶然は、実際に起こったという意味では必然である」

オトナの!の収録中にMCいとうせいこうさんが言った言葉です。
僕はこの必然の偶然、それと出会うことが人生の一番の楽しみなんだって思わずにはいられません。きっと中学生の僕が出会った松本清張の『疑惑』も、42歳で出会った富山の魚津も、その出会いはきっと必然の偶然だったのです。そしてこれからもきっとたくさんの必然の偶然に出会うのだろうと思うのです。ものすごくワクワクします。
読んでいただきありがとうございました!

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