AD44「高い城のバラエティプロデュース男」
[水道橋博士のメルマ旬報 vol.219 2020年2月発行「テレビの果てはこの目の前に」より]
いろんな人がいろんなことを言ってるし、分析してるし、煽ってるし、警鐘鳴らしてるし、すごい人はすごいし、くそな人はくそだけど、空は青いし、自分は自分の今やれることをコツコツやろう。
おはようございます。
なんか、出身校とか組織で個人の主義思想を区分したがるのってなんなのだろう?
そんな区分を実際経験したこと小中高大会社で全くない。
以前「これだから国立大出は!」って言われて、「え、今さらその区分?」って思ったことがある。その人の区分の考え方自体が既にナンセンスというか。。。
以前在籍してたTBSにも個人個人で右から左からノンポリから、普段世間で持たれてるイメージ以上に色々な人がいるし。その考え方はダメだ!とかこう発信しろ!とか個人からも組織からも言われたことは全くない。
視聴率取れ!とかこの芸能事務所は云々。。。とかはたくさん言われたけど。
真摯に向き合うって言う人に限って真摯に向き合わない。
誠心誠意って言う人に限って誠心も誠意も無い。
ユーモアに溢れるって場所はそんなに溢れてないし、アットホームな雰囲気って行くとそうでも無い。
豪華カニ料理が売りの宿はそんなに豪華でも無い。
つまり本物は大事なとこを過剰アピールしない。
映画『さよならテレビ』観た。
語りたい観点は見方によって見え方によって立場によって100面体くらいある。
僕が今言えることはこの映画は最高!ってことと、
東海テレビはすごい!ってことと、
だから僕はテレビをやめたのかなってことと、
皆絶対観た方がいいってこと。
昨日は企業家の方と会議→学生と進路の話→松岡正剛さんとマキタスポーツさんの最高のお話→本を書きたい人の個別相談会→今日は某有名女優さんとナレ撮り→テレビマンと企画打ち→発展途上人学…その人との話がおもしろいかどうかは立場とか所属とか有名無名とか偉い偉くないとか全く関係無いっ!
むしろ立場とか所属とか有名無名とか偉い偉くないを気にする人はそれを気にしてるところが一番つまらない!
そんな観点でしか話が出来ない人だから、トピックが平凡、発想が貧困、リアクションも紋切り型、視野のレイヤーが浅い。
すぐ自分視点のみの文句とか不平不満が充満する。
当然自戒を込めて。
映画『フォードvsフェラーリ』をIMAXで観た。
外の敵と闘うためには内の味方とも闘わなくちゃいけないってのが本質なのか。
むしろ外より内の方が敵だったりする。
立川談慶師匠のツイート:
「作家の属性からはっきりとイメージされることを書いた本しか売れない」ということがよくわかった。落語家は落語のことしか語れないのだ。それをどうアレンジするかが編集や営業のプロの仕事。だからそれがわかっただけでもいままで書いた本は無駄ではなかったんだ。
この談慶師匠の言葉、最近自分もすごく感じ(痛感し)ている。
その人が何者なのかと、どう生きてきたかと、その人が語る言葉は、すごくすごく繋がっていてまさにその掛け算の立方体が本になるのだ。
つまりその繋がりが薄いもの同士の掛け算だと立方体がいびつで結局読者との共感も生み出さないのだ。
大学院修士後期の授業もあとは課題レポート三昧。
提出課題は7つありさっき3つやっと書けた。
もう諦めようか履修落とそうかとも思うのだがせっかく出席し続けた授業は落とすのももったいないかなとか思い頑張って書く。
ことが多岐に渡りこの歳でそんな経験もまた貴重なことだけは確かである。
自分が主催者側やお店の人だと大盛況ってのはいいことだけど、自分が客側だったら大盛況は大混雑とほぼ同義だからそんなに嬉しくないしできれば避けたいしなんなら行きたくない。
だからってガラガラだと経営的にはまずいし客側もなんか不安になる。
そこそこ人が集まってるくらいがお互いちょうどいい。
カレーちゃんこ旨し。元会社の先輩と他業種の方々と。
人には色んな仕事があってその仕事の中で大事にしてること信じてることがそれこそ千差万別なんだと実感する。
この日は、もぐら会&猫町倶楽部主催マルクスの勉強会に参加。
吉川浩満さんの解説とても考えさせられました。
生きること働くことをやめない限り好きでも嫌いでも良くも悪くも「われらみな(多かれ少なかれ)マルクス主義者」なのだと実感。
でどうする?はそれぞれが考える必要があるのだ。
今日昼間は指導教官の中村雄祐文化資源学教授とディスカッション。
自分の考えてることと教授が考えてることの理論的結節点が見えてとても興奮した。
これって文化資源学で新たな学問領域を作れるってことなのじゃないか?と妄想する。
文化資源とは文化の資源という概念ではなく文化⇄資源という捉え方。
今日午前中はラジオNIKKEIにて下北沢B&Bも携わる広告マンで水道橋博士のメルマ旬報副編の原カントくんと番組収録。
新刊『読書をプロデュース』から本と書店と読者の関係について高速縦横無尽トーク。
思考することはおもしろい。まさに思考遊戯。
でも同じ脳内現象でもそこにタスク感が出てくると途端に思い悩むという行為に変換されて辛さや面倒くささを感じてくる。
あらゆる現象や自分の在り方について思い悩むのではなく思考し続けたい。
タスクではなく遊戯、義務ではなく快楽としての思考。
そっか、この時期は3月の年度末で終了するシステムとかサービスとか人事の告知の時期なんだね。
先週1件来て今日2件来てただいま3件。
関係ないのも、当然だよなってのも、終わっちゃうのさびしいなってのもあるけど、オトナになるとそういうところで人生の章立てを分けるってことなのか。
ドキュメンタリー映画『エッシャー 視覚の魔術師』観る。おもしろかった!モノクロを好む理由と描きたいことを極限まで突き詰めていく思考の試行。ゾクゾクする。
今朝やろうとした書き仕事。
なんか体調と気分が不調だから朝はゆっくりしてむしろ夜仕事から帰ったら書こう、と思っていざ夜にやろうとすると疲れてできない。
なら今日は疲れたから朝早起きして書こうとなるも明日朝体調と気分が不調だったらどうしようってループをここ1か月くらいやってる気がする。
そうか。今ふと気付いた。
なんでも義務だと思ってしまうのが窮屈感を生んでしまうのだ。
それ本当に義務か?って考えると意外に殆どのことは義務ではないのだ。
他者から課される義務は嫌だからそれは極力排除しようと努めるけど、自分が自分に課してしまうことの方がむしろ義務に化けてしまうのだ。
映画『パラサイト』観ました。言いたいことは色々あるけれど、韓国映画のある種の凄みを存分に感じさせてくれる怪作、パルムドールを獲っちゃうだろうなって快作。
観るたびいつも思うけどNHKの『のど自慢』ほんと演出が凄い!
勿論いい意味で。
出演者が選ぶ曲、キャラ、順番、エピソード、服装、司会進行、ゲストとのやり取り、セット、会場の雰囲気、あらゆることが完璧にこなされている。
これは相当強力な意志と伝統継承力と演出力がないとできない。
バラエティ視点、カテゴライズド(人間関係分析学)、時本主義、告広(from小西利行さん)、旋動説、frame→voltex、運の技術、地理思考、出世、読書をプロデュース、雑知、知的好奇心向上委員会、発展途上人学、ビジネスからカルチャーへ、学問をプロデュース、等色んな新概念を我ながら提唱してる(笑)
Amazonの自著の売上順位を継続的にウォッチングしてると、新刊が出るたびに旧刊のランキングもあがる。
YouTube動画もそうだけど、ある作り手の作品をアーカイブしていくことで、その瞬間にその存在に気づいた人が(気に入ってくれたら)過去作品にもアクセスしてくれるのだ。
SDGsとかサスティナブルとかエシカルとかナラティブとかの言葉が仮に流行り言葉だったりブームだけなのならそれはSDGsでも無いしサスティナブルでも無いしエシカルでも無いしナラティブでも無い。
そう言う気概でSDGsもサスティナブルもエシカルもそれぞれがそれぞれのナラティブにしないと意味が無い。
数年前やついフェスでお会いした時、ゲッターズ飯田さんに占ってもらった時のいただいたお言葉、時々思い返すのだけどその後の自分の生き方を言い当てられてたようで、そのたびにハッとする。
テレビ局の先輩と食事。
僕は彼を尊敬しているのでいつも忌憚ない感想を言う。
今のテレビの劣化のあまりの酷さ、これくらい程度を落として作った方が数字行くんですよという姿勢。
その舐め切ったスタンスに無自覚だったりする点。
僕は抜け出してしまったけどその先輩が変えてくれることを期待する。
その先輩方が僕の新刊『読書をプロデュース』を今日何十冊も買ってくださった。
読んだら良かったから若手社員たちに参考書として配るという。
こんなに嬉しいことはない。
僕もがんばろう。意気な生き方はものすごく粋なのだ。
拙著を読んでいただいた方からコメントが!超嬉しい!
「年末年始のお休みに『「本音で話す」は武器になる』を読ませて頂きました。年明けから、勇気を持って、日常生活の中で実践してみました。実践して間もないですが、自分の想像以上のスピードで、いろんな課題が前向きに解決していき、自分の想像以上のスピードで、いろんな課題が前向きに解決していき、人間関係も改善し、ストレスも減り、お酒の量も減り、生活全般が良い方向に向かっていることを強く実感しています。」
写真展ニッポン複雑紀行に行ってきた。
写真の中の全ての人が素晴らしい。
写真とキャプションを見ながら日本とか日本人とかそもそもなんなのか?と自問自答し続ける。
この複雑さこそが実は人や国という存在そのものなのではないか?
白髪一雄回顧展に行く。
今日本だけじゃなくアジアで再注目されてるのがなんとなくわかった。
フットペインティングで描かれたある種の偶然の不確かさと、描こうとするテーマへの白髪の確信が調合されたのが彼の絵なのだ。
自由大学で12月から開講していた『発展途上人学』今日の5回目は受講者の皆のプレゼン大会。
で無事終了。
僕にもなかなか実りのある講義でした!ありがとうございました。
東博の『人、神、自然』展ギリギリ行く。
大学で「宗教をどう展示するか?」という講義を取っていたので行きたかったのだ。宝飾品なのか歴史遺産なのか宗教物なのか、興味は尽きない。
東博の『出雲と大和』展、おもしろかった!
仏像もドキドキするけど特に仏教伝来前の宗教的な物具たち、勾玉、管玉、銅矛、銅鐸、銅鏡、埴輪、こんなにゾクゾクするものなのか!
で『出雲と大和』展で観たらゴダイゴ聴きたくなって帰りはガンダーラから聴く。ホーリー&ブライト、ほんと傑作だなあ。
軌道周期が合わない彗星同士のように何かが合わない人ってのがいる。
タイミングだったりウマだったり位置だったり調子だったりがちょっとだけずれてそれ以外が合ってるのにうまくいかない。
もうちょっとどけそこがハマると、すごく上手く行くのになって思う瞬間、とても残念だ。
揉めてる二人を、①ハタで見てるとどっちもどっちだよなって思う時がよくある。
でも②自分が当事者の一方だと自分は悪くないとだいたい思う。
つまり①の確率の方がだいたい正確で、②の確率の方が①より高かったりするから、つまりその高い分くらいの確率で自分が実は間違ってるってことなのかも。
間違いないって言ってる人ってだいたい何割かは間違ってる。
客観的にって言ってる人の何割かはだいたい主観的だ。
つまり他人の意見にそう感じるくらい分、自分が信じてる客観は主観なのだ。
自分の確信ってのも、だいたい何割かは実は間違ってるんだっていう確信を持てることが知性なんだと思う。
僕らもテレビディレクターたちと話してて、昔はテレビが培った独自の演出とか編集テクとか言って自慢気でしたけど、今やそんな演出や編集誰でもできますよ!って話になりました。
つまりそれをやる上での哲学とか情緒が無いと、もはや動画のプロとか意気込んでてもあまり意味がないと。
この『現代の野蛮』にわれわれはどう抗えばよいのか?
シンプルに言えば、「歳を取っても大丈夫ですよ。なんなら新しいことを一緒に始めましょう!」くらいのある種のゆるい社会や組織であることが肝心であるとは言える。
「オワコンだ、時代遅れだ」と排除する人こそ、排除される危機感を抱いている。
ならば皆が排除されないという安心感を持てるような社会や組織であることが、結果一番経済合理性が高いと皆が気づく、あるいは気づかせるように組織や社会があり方を変えることが解決策ではある。
そんなことが果たして可能なのか?
その可能性を否定してしまうことが、実はその『現代の野蛮』を払拭できない最大の理由だと自分は考える。
そして自分がもしそんな『現代の野蛮』に対して抗う際に、もっとも重要な、そして極めてシンプルなスタンスは、結果ひとりひとりの人間の未来の可能性を信じること、そしてひとりひとりが未来を信じていると表明し続けることしかないのではないかと思うのだ。
未来を楽観的に考える。
その可能性を信じること。
私たちの未来は悲観的か?楽観的か?
それを決めるのは、自分の“知性”だけなのであり、そしてその知性こそが『現代の野蛮』に抗うための唯一の手段なのである。
問題とか困難とか悩みって、他人に(こそ)解決してもらわないと消えないものと、自分で(こそ)解決しなくちゃいけないものとが屹然としてある。
でもそれが果たしてどっちかってのがいまいち分からなかったり、だいたい間違ってるから、問題が起こり、困難を生じ、人は悩み続けるのかもしれない。
映画『Knives Out ナイヴズ・アウト 名探偵と刃の館の秘密』いやーおもしろかった!!
最高!傑作ミステリーを重層的に現代に蘇らせる構造!
小説「カササギ殺人事件」とか、こういうの大好き!
さて、ワタナベアニ著『ロバート・ツルッパゲとの対話』を読んだ感想、何を書こう?とか数日間放置してる。というかなかなか書けない。
もう何も書かないことが最大の賛辞なのかと思えてきた。
中村整史朗『本多正信 家康に天下をとらせた男』読了。
ふと本多正信のことが妙に知りたくなり、色々探して古本を11円で購入。
とてもおもしろかった。
自分が知らないことに出会うなら、いつ書かれた本でも出会った瞬間が新刊なのだ。
PC作業ずっとやってて疲れたから休憩しよう、ってそれで本読んだりテレビ見たりスマホ見てたり、こんなこと呟いてるなら、そりゃ眼精疲労抜けないよな。
寝る以外に眼を休めるのは、何がよいのだろう?
同様に寝る以外に頭を休めるのは、何をすればよいのだろう?
何もしないができない性分なので。
角田陽一郎著『読書をプロデュース』(秀和システム刊)増刷決定しました!!
読んでいただいた皆さま、嬉しいです、多謝です、ありがとうございます!!
まだの皆さま、ぜひお読みください!
渋谷のラジオ「渋谷で角田陽一郎と」ゲストにワハハ本舗代表の喰始さんと女優の鈴木千琴さん。
喰さんの学生時代からテレビの構成作家になりワハハをどう生み出して行ったのかの40年のレジェンド話を伺う。楽しかった!
喰始さんの話を聞いて思ったこと。
何十年もやり続けるってことの凄さ。
いろんな時にいろんな理由でもうやめちゃおうとか思ったんだろうな。
でもその都度新たな視点(切り口)を見い出して継続していく。
「自分が当たり前だと思ってることが当たり前じゃないと分かるのが面白い」すごく突き刺さる言葉。
隈研吾教授の新刊『点・線・面』まだ数十ページしか読んでないけど、なんだこれは!
無類のおもしろさ!!
圧倒的な思考表明。
建築ってこんなにもあらゆる事象・思想・生命への“かかわりごと”なのか。
今日パーキングに車停めてたらぶつけられた。
100%相手の過失で、自分がいないうちの当て逃げでもなく、人が傷ついたわけでもなく、多分運転初心者で悪い奴ではなかったけど、でも本人も連れもうんともすんともすいませんもなく、警察呼んでその後の段取り組むのも、次の仕事に遅れるのも自分。はあ。
水道橋博士の7年前のツイート
「久々に会ったTBS『オトナの』のPの角田くんが相変わらず衝動に動かされ空気を読まなく突っ走った感じで嬉しくなる。明日のOAでは坂口恭平総理が登場するのだ!」
7年前の水道水博士のTwitter。ここから全てが変わっていった気がする。もっと何かの衝動に突き動かされ、もっと空気を読むことに無力さを感じ、そしてどんどん突っ走っていった。
かつて深夜番組11PMの関西の司会が藤本義一さんだったように今、田中泰延さんが司会で11PMみたいなオトナの番組やったらその局のスタンス絶対カッコいいんだけどな。
聖と俗をあわせ持ってめちゃめちゃくだらないのに教養がある番組…って確かひろのぶさんにお会いしたとき最初に言った僕の想い。
ワタナベアニさんのツイート
「年末は台北に行って早めに休み、正月休み返上でグアムでボンヤリと過ごし、昨日までパリに遊びに行っていた。」
これ、なんとなく思ってるのですが、名前ってその人の生き方に影響与えてるって。渡辺ってつまり移動するってことですもんね。
角田って田んぼにずっといる感じ。
旅が好きなのになかなか腰が重いのです。
名前変えようかな。
TBS落ちて電通のCMプランナー澤本嘉光さんと電通落ちてTBSの角田陽一郎で朝から映画談義、めちゃめちゃ楽しい!
クレージーキャッツから白戸家CMから脚本された最新作『一度死んでみた』まで盛り沢山!
この模様は週プレ連載MovingMoviesにて。
【発展途上人学、3月24日より開講】
募集開始中です!
https://freedom-univ.com/lecture/developing.html/
自由大学で開講した角田陽一郎の発展途上人学、好評につき第二期を開講します。
全5回で基本隔週開講です。
前期は数日で埋まってしまいました。ご興味ある方はぜひ!
毎月朔日に易をやっている。
令和二年二月如月の易、山沢損。三爻。
「損をするが、誠をもって行動すれば、最後は大吉。長続きできて、前進しても有利である。」
「自分とだけ相談して人に言ってはならない。」
「減らすことが鍵になるとき。」
ちなみに易をやり始めたのは、フィリップKディックの歴史改変SF小説『高い城の男』を数年前に読んで、その世界では易で人が行動を決めていたから。
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