「辛いことは買ってでもしたほうがいい」は間違っている。10歳で図らずもヤングケアラーになったAさんにお話を伺った
若年層の介護問題を取り上げる『Caring for young adults』。
第1回目は、約15年間ヤングケアラーだった東京都在住の20代女性のAさん。母親が精神疾患を患ったことでヤングケアラーになったAさんに、ご自身の体験や社会に対して伝えたいことをお伺いしました。
10歳のときに母親が鬱を発症しヤングケアラーに
ーヤングケアラーになったきっかけは何ですか?
「私が10歳のときに、お母さんが鬱になったことですね。元々父親が転勤族で、色んな土地を転々としていました。そうした環境だったので安定した人間関係が築けなかったことや、今でいうワンオペ状態で私や妹の子育てをしていました。そうした要因が重なって、母親は鬱になりました。」
ーお母さんが鬱になったときの、印象的な出来事はありましたか?
「私が10歳になる前に母親と一緒にある映画を観に行ったんですが、そのときにパニック障害や過呼吸になったんです。2000年代に私はヤングケアラーになったんですが、あの当時は今よりも精神疾患に関する情報が不足していました。そうした社会状況もあり、自分がヤングケアラーとして自覚はなかったんです。」
「母親は入退院も繰り返していました。母親が入院している間は祖母など身内のサポートもありましたが、ほぼ一人で家のことをやっていましたね。年が近い妹がいるんですが、どちらかというと傍観する側で、私が主体的に動いていた記憶があります。」
パン粉や水で空腹をしのいでいたときも
ーお母さんの面倒を見るときの食事など生活面はどんな状況でしたか?
「母親が鬱になって生活ができなくなってからは、慢性的に食べ物が不足していました。収入は父親が負担していたんですが、精神疾患にあまり理解を示さなかったので食費はあまり子どもに回ってこなかったんです。時には、パン粉や氷を食べて空腹をしのいでいたときもありました。よく生きていたなと、今では思います。」
ーAさんと一緒になって看病すべきお父さんはどんな対応をしていましたか?
「父親は元々モラハラ気質でした。そのため、母親に対して怒鳴ったりキツイ言い方をしたり、子どもながら嫌な気持ちになりました。『誰かに話を聞いてほしい』と思ったこともありましたが、それよりも『どうにか隠さないと』という気持ちのほうが先に出ていました。」
ーAさんは結婚されているとお聞きしましたが、今のお母さんはどんな状況ですか?
「10歳から約15年間をヤングケアラーとして過ごしました。結婚を機に24歳で家を出たので、その後の状況は詳しくは分かりません。家を出たきっかけは、母親がヒステリックになって物を投げてきたことですね。灰皿や本など、手元にある物が飛んできて恐怖を感じたので、そのときに『このままではダメだ』と思って、家を出たんです。」
「なんで自分だけこんな思いをしないといけないの?」と恨んだことも
ーヤングケアラーとしてどのような家事や家族の世話をしましたか?
「炊事洗濯や役所の手続きなどもやりましたが、高校生になってからは、父親から母親の薬の管理も任されました。毎日飲む睡眠薬や抗うつ薬などを、朝昼晩ごとに100円ショップで買ってきた箱に入れるんです。『自分で薬飲めないの?』と思うかもしれませんが、母親は薬を飲み過ぎる傾向(オーバードーズ)だったため、細かいことですが1日の必要量を仕分けしていました。あまりにも酷いときは、父親が薬をまとめてトイレに捨てたこともありましたね。」
「役所の手続きはなかなか大変でしたね。恐らくですが、役所にいる人には『学生なのになんで役所に来ているのか?』と思われていたでしょう。買い物もよく行ったんですが、制服のまま大きな荷物を抱えていることが恥ずかしかったです。」
ーヤングケアラーとして感じた心の変化はありますか?
「周りは当たり前のことができているのに、『なんで自分だけこんな思いをしないといけないの?』と思いました。周りの友だちは両親の愛情を受けて成長しているのに、私達は母親からの愛情を受けることもなく、毎日しんどい気持ちで必死に生活していました。今思うと、そんな状況がとても辛かったのです。それ以外では、母親は元々タバコやお酒をやっていました。鬱になる前は飲みすぎなど取り乱すことも無かったんですが、鬱になってからはお酒の量が急激に増えて行きました。吐いたりなど粗相をすることもありましたが、それも全て私が対応しないとといけなかったんです。」
ー学業や友人関係、就活などに影響が出ましたか?
「母親の世話や家事をする時間が1日の大半を占めていたので、学業との両立は結構な精神的負担でした。本当は早慶レベルの大学に行きたかったんですけど、勉強時間に制約があり学力が追いつかないと思って、MARCHレベルの大学に進路を変更して入学しました。」
「友人関係は状況を隠せたので、特に影響は無かったですね※小学校時代から大学卒業するまでごまかしていたそう。たまに自宅に友達を呼ぶこともありましたが、母親は入院していて不在だったんです。また、主人には付き合い始めてから状況を話しました。とても真剣に聞いてくれて理解を示してくれたので、心強かったです。
「就活は父親から『お前は公務員を目指せ』と言われたが、大学3年生で母親と進路について喧嘩して一般企業への志望に変えました。今思えば、進路を変えるきっかけにもなりました。」
「辛いことは買ってでもしたほうがいい」は間違っている
ー進路変更などさまざまな体験をする中で、ご自身の成長や学びにつながることはありましたか?
「よく『辛いことは買ってでもしたほうがいい』と言いますが、それは間違っていると私は思います。人間は辛いことは誰でも嫌です。でも、そうした言葉は『何不自由ない生活を送っている人に対していう言葉』だと思います。併せて、ヤングケアラーが増える要因の一つとして、行政の支援が回っていないことも多いにあるのではないでしょうか?」
「ヤングケアラーを経験して辛いことや悲しいことは沢山ありました。でも、何かしらの障害を持っている人への理解が深まったり、社会的弱者に対して優しくなれる感情も芽生えたのも事実。こそうした感情を大事にして、いまこの瞬間もヤングケアラーとして苦しんでいる人達に向けて、少しでも役に立つように情報発信をしていきたいです。」
ーヤングケアラーとしての活動を続けた上で、困っていたことや支援が必要だと感じたことはありましたか?
→話を聞いてくれる環境がもっと整って欲しかったですね。我が家にはケアマネジャーさんが定期的に来てくれたんですが、状況を見て「早く家を出たほうがいい」と言ってくれたことがありました。今までは「私が我慢すれば良いんだ」「私がやらないと誰がやる」と思い込んでいた部分もあったので、意外な言葉でもあり私にとっては大きな気付きでしたね。家事代行サービスなどをもっと活用すれば良かったとも思いました。」
ーヤングケアラーとして生活する中で、心の支えになったことや楽しみなことはありましたか?
「陸上部に所属していたので、走ったり友達と遊ぶことが心の支えでした。毎朝必ず親が喧嘩していたので、高校生になってからは誰よりも早く学校に行って勉強していましたね。勉強の成果が出て成績もどんどん上がっていったことが、私にとってはある意味ゲームのような感覚で楽しかったんです。」
ー周囲の人に「私はヤングケアラーです」と伝えたことはありましたか?
「祖母以外には一回も周囲に伝えたことはなかったですね。周囲に伝えなかった理由は、『どうせ伝えても状況は何も変わらない』と思ったからです。生まれつき頑固な性格だったこともあり、周囲の助けも借りずに何とかやることを考えていました。」
「ヤングケアラーが増えることは社会全体にとっても損失だ」と気付いてほしい
ーヤングケアラーを経験したことで、社会に伝えたいことや期待することはありますか?
「ヤングケアラーになったことで社会に気付いてほしいことは、『ヤングケアラーが増えることは社会全体にとっても損失が大きい』ことです。理由として、ヤングケアラーは幼少期の辛い経験がきっかけで精神疾患を発症するケースが見られるんです※
そうなるとまともに働けなくなり、税金が払えなくなり社会サービスの停滞につながります。ヤングケアラー対策を疎かにしていることで悪循環が生まれるので、結果として社会全体にとって損なのです。」
ーAさんが考えるヤングケアラー対策は何ですか?
「まずは当事者と行政の連携をもっと強くして欲しいですね。私のようにヤングケアラーは何もかも一人で抱えてしまう傾向があります。社会から分断されると支援の目が行き届かなくなり、状況は改善どころか悪化の一途です。そうしたことがないよう、生活保護などの支援と同じく、『ヤングケアラー専門のケアマネジャー制度』を作って欲しいです。」
ーヤングケアラーとして過ごしてきたAさんの、これからの夢はありますか?
「一人でもがいて毎日生活するなかで、法律に助けられた部分も多くあります。法律は私情を挟まず客観的に判断を下してくれます。法は何よりも強いんです。だから、大学では法学部に進んで法律の勉強をしました。これからは自分の経験と知識を活かして、児童福祉に関わる活動や情報発進をしたいです。」
ヤングケアラーに対する理解が進んでいないまま、家族の世話と学業との両立、就活などさまざまな困難と向き合い乗り越えてこられたAさん。
当時の状況を話されている時にふと見せた、どこか悲しそうな表情が印象的でした。将来は児童福祉に関わりながら、ヤングケアラーの情報発進を進めていかれるそう。Aさんの活動が全てのヤングケアラーの光となるよう、KAKUHITOも願うばかりです。
KAKUHITO編集部より
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