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#3_スペクトラムな日日是好日、なぜ子どもが苦手なのか

やっぱりスペース・ペース問題

#2までに綴ってきたように、子どもが苦手というよりも「スペース・ペースを乱されることが苦手」これをやられがちなのが子どもである場合が多い、というだけなのだと思う。思わぬタイミングで自分のテリトリーに侵入して来られるのがいや。存在自体は愛おしくて堪らないし、何でもしやりたいと思うけれど、いかんせん…で、ふりだしに戻る。

なぜ手が繋げなかったんだろう

「私は子どもが苦手だ」と信じた最古のエピソードは、小学校4〜5年生のとき。ある時、なぜか7つ下の妹の保育園のお迎えを頼まれてしまい(昔はそのへんアバウトだったんかな)、家までは徒歩10分くらいだと思うのだけど、一度も手を繋いでやらなかったという!帰って家族に笑い話にされた(ちょっと変人扱い)悲しかった思い出。繋がなかったんじゃなくて、繋げなかったんだけどな。小さい人との距離感が掴めないまま、葛藤し硬直してたような気がする。

妹誕生から、the長女!のお姉ちゃんとは違って、出遅れた感あり。ずーっとどう接していいか困惑していたような気もする。姉に対しても、ある時からその勢いと圧にシャッターを下ろしてたな。

我が子の兄弟喧嘩で胸が苦しくなるは、自分の姉妹と上手く関係が築けなかった事が関係あるのかしら。ちなみに両親仲はずっと良好だし、愛情もたっぷり注いでくれて何不自由なく過ごし、家族全体としては円満なんだよねぇ。でも、なぜか私だけ浮いてる感じ。なんだこれ。

家の中だと特性がむき出しになる

我が子たちを見ていても、家の中と外と見せる姿が違う。たいてい中の方がキツい。外(社会)だと程よい緊張感みたいなものがあるのもしれないな。気圧とか水圧のような目に見えない圧。それが強すぎると自分のカタチがつぶれてしまうし、心身ともに疲弊してしまうけど、程よくあれば良い方に作用することもあるのかも。

私の場合も、家の中での特性が強く出てしまっていたような気がする。子どもだったし、共働きの両親からの干渉はほとんどなく、のびのびと思う存分 自分に籠ることが出来たというか。今はお母さんなので、そこまで出来ないけど。、コミュニケーションを絶って籠りたい欲求は、今も尚、確かにあるなぁ。、、(きゃー)

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