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国際結婚の手続き

出会い
日本の某大学の某サークルで、私と夫は知り合った。
知り合った時は、彼が外国人だとは気付かなかった。
10歳で母親と共に台湾から日本に移住してきたため、日本語はペラペラだったからだ。
3年程交際の末、結婚した。

婚姻届
必要事項を記入し、婚姻届を提出しに、役所へ。
驚いたことに、別姓のまま、婚姻届が受理された。
まぁ、後からよく考えてみれば、姓が変わるとは夫の戸籍に入るという意味なので、夫の戸籍が日本に無い場合、当然な話だった。
しかしその時は驚いて、窓口の方に伺うと、
①国際結婚の場合は別姓のまま受理。
②姓の変更には家庭裁判所での手続きが必要。
との説明を受けた。
家庭裁判所!?何だか足を踏み入れたくない響き。
家庭裁判所とやらが、そういう手続きをする場所だったなんて。
なんと無知な私。

正直な話、私の場合は、夫婦別姓は棚ぼただった。
なんせ、密かに夫婦別姓を希望し続けていたから。
なんで女性が苗字を変えなければならないのかと。
でも今の日本では叶わぬ夢だろうと。
なんだ!その手があったのか!
あっさり旧姓のまま受理されたことに、喜びを隠しきれずに隣を見ると、、、なんと夫はショックを受けている様子。
台湾では別姓は一般的なのだが、夫は半分日本育ち。
結婚への憧れ的なものがあったようだ。
夫よごめん。私は苗字を変える気は無いのだ。
婚姻届の提出後、その気持ちを夫に伝えた。
夫は、私が女性の人権や女性に対する差別などについて研究していたことを知っていたため、私の姓を変えないことに関しては同意してくれた。
ただ、一人っ子なので、子供には姓を継がせたいとのことだった。
そしたらその時は、私が家庭裁判所とやらに行って手続きをしてやろう!
ということになった。

在留ビザ
彼は、中学校は日本、高校はカナダ、そして日本に戻ってきたため、大学には留学生枠で入学していた。
ビザも、留学生ビザ。なので、当然、卒業とともにビザが切れるわけだ。
だが新卒採用が決まらず、就労ビザをゲットできなかったため、台湾へ帰国。
帰国すると待っていたのは、徴兵制。
一年の兵役を終えて日本へ戻ると、観光ビザしかない。
観光だと滞在は3ヶ月まで。
しかし、3ヶ月で就職が決まらなければ、また台湾へ帰国しなければならない。
そこで、無職無収入のまま結婚して、まずは結婚ビザを取得するというのが、私たちの斬新すぎる計画だった。

交際中にも、ビザの更新に付き合ったことは一度あった。
入国管理局に初めて入った時、衝撃だった。
待合のフロアは決して狭くないが、そこに様々な国籍であろう外国人が密集していて、何時間待ちの時間をどうにかやり過ごしている光景。
特に子連れの方は、ずっと立ったまま抱っこしていたり、子供がぐずっていたり、気の毒だった。
私は幼い頃から外国人と知り合う機会は比較的多かったが、今までの人生で誰もこんなことは教えてくれなかった。
日本に住んでいる外国人は、ビザの更新の度にこれを経験しているのだと。
頭が下がる思いだった。

時を戻そう。
私たちは、役所で婚姻届の提出を済ませ、結婚ビザの取得をする段階であった。
その必要書類の中には、2人が出会ってから交際を経て結婚するまでの出来事を、日付を入れて説明するというものがあった。
交際を始めた記念日くらいは、覚えていたが、それ以降の三年の出来事なんて、あまり記憶になかった。
いちいち日付まで覚えていられるか!
しかし夫によると、偽装結婚を疑われないために、本当に交際をして結婚に至ったのかを証明する必要があるとのことだった。
そんなんでビザが降りなければ、面倒なことになる。
頼みの綱は、デジカメとケータイだった。
ディズニーランドに行った日や、旅行に行った日など、ほぼ箇条書き状態で羅列していった。
そして、その書類に添付する写真も、必要枚数の二倍くらいプリントして添付してやった。
その甲斐もあって、夫は無事に在留資格を手に入れたのであった。

無職無収入で、よく書類が通ったとお思いかもしれない。
私は当時フリーター、日本に戻ってきた夫と共に、私の実家に住んでいた。
収入面で書類をクリアできたのは、現役で働いていた父のお陰であろう。有難い限りである。

ビザの期間に関して、何組かの国際結婚夫婦と話したことがあるが、最初のビザは一年、その後少しずつビザ更新の間隔が広がることが多いらしい。
私たちも初めに頂いたビザは一年。
しかし私たちの場合、その後も一年更新を数回繰り返すことになるのだが、その時の私たちはまだ知らないのであった。

(記憶を頼りに書き綴っております。また、10年ほど前の話です。手続きに関する正確な情報が必要な方は、きちんとお調べ下さいね。)

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