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KFC・KOコーポレーション 2022/08/25
日記
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・突然ケンタッキーの写真を載せてしまうほど、私にはケンタッキーの油が回っている。この前散々食べたし、もう当分ケンタッキーはいいかなと思っていたのに、いざ店先のカーネル像を見たらスイッチが入ってしまった……。私は何度30%オフパックを買うのか。
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・しかも、今日はパックに加えて単品のバーガーまで食べているのだから始末に負えない。ケンタッキーに行くときはフライドチキンを汚く食べたい気分だから、興味はあってもなかなかバーガーを選ぶことができないのだけど、今日はリミットを外してみた。たぶん、ケンタッキーのバーガーを食べた人間って今年に入って私が5人目とかじゃないかな。ケンタッキーでわざわざチキンバーガーを頼んでいる人を見たことがない。
・改めて客観的に振り返ってみると、こんなに油で揚げられた鶏を食べて大丈夫なのか不安になってくる。これを機に大食いキャラで活躍を検討しようかな。
・それにしても、大食いってフードロスが叫ばれる現在ではどういう扱いなんだろう。「大量に食べないと満腹(満足)に至れない」という人なら仕方ないと思うけど、エンタメとしての大食いは言ってしまえば食べ物の無駄と取ることもできるのではないか。無理をして異常な量の食べ物を胃に入れるのは、そこに「食べる」という行為が備わっていれば無駄とみなされないのか……?
・実際、大量に食べても栄養として吸収される量には限界があるわけで、ほとんどが便などとして排出されてしまったら、それは無駄と言えるのではないか。「娯楽としての食」という観点から見ても、競技化された、苦しんで人と競って食べる大食いは外れる。健康の維持や満足感を得る目的を逸脱した食材の消費は、たとえ「食べる」という行為が挟まっていたとしても無駄と言ってしまっていいんじゃないかと思なくもない。
・ただ、そもそも「食べ物の無駄」って何?という感じもあるんだよな。給食とかで苦手な食べ物があって残すと一般的には食べ物の無駄だと非難されるけど、食べられないんだから仕方なくない!?と思った経験は誰しもあるだろうし。ここで我慢して食べても、「美味しく食べられないものを無理に食べる」という意味では構造的に大食いとさして変わらない。「食べ物の無駄」にはこの「美味しく食べる/食べない」という視点がかなり大きく入っているのではないかと思う。たまに、ゲテモノ料理をあえて作るようなテレビ番組の企画では、たとえそれを演者が食べきっていたとしても「美味しくならない組み合わせをわざと作る」こと自体が非難されたりしている。
・美味しく食べることが食べ物を無駄にしない条件に含まれているとしたら、上の給食の例は「食べているのに無駄になっている」という不思議な状況になる。まず、「無駄と判定できる」条件を設定して、個別の事例をそこに当てはまると「食べ物の無駄」の正体が掴めるかもしれない。大食いの是非を問うのはそれからか。
・こういう話って、十分条件と必要条件みたいなことが絡んできて一気に意味がわからなくなるんだよな……。私は十分条件と必要条件が何なのかを雰囲気でしか理解していない。数学の授業でそれを習ったせいだ。数字が絡むことは脳から抹消すると小学生時代から決めて生きてきたので……。
・頭がぼんやりしているからか、後で読んだら一笑に付す価値もないような、とりとめのないことを書いてしまった。絶対に論が破綻したことを書いている。その自信だけはある。
・夜、大ありがたのアレでアレだった。ありがとうございますね……本当に……。オタクでよかったです……。
・ちょうど「ありがとうございました〜」と言って終わった瞬間に、イヤホンの充電が切れて笑ってしまった。