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1年越しの若草物語 2021/02/23
日記
・嫌な夢を2本立て続けに見た。
・1本目はワヒロのグッズを公式のストアで両手に抱えきれないほど買う夢。こういうのは夢の中で「あ、これ夢だ」と気づいたときの虚しさがとてつもない。今日も、レジで会計をし終わった瞬間に夢だと気づいてしまった。目指していた桃源郷にたどり着いた瞬間に全ての景色がふっと煙になって消えてしまうような虚無感だ。どれだけ手をばたつかせても消えたものは手に入らず、失意のうちに2本目の夢へと意識は移ろう。
・2本目は人間に寄生し、意識を乗っ取る生物から逃げる夢だった。舞台は学校。人間の身体に入り込んだ、膿のような、どろどろとした赤黒い生物が逃げる私を追ってくる。息も絶え絶えで学校の外へ飛び出すと、開けた緑地に集落のようなものができていて、そこにいた人たちが謎の強い光をうじゃうじゃと追ってくる寄生生物たちに放つ。するとたちまちに寄生生物たちは蒸発して死んでいき、一件落着。かと思いきや、突如上空に現れたヘリコプターから、人の姿をした黒い何かがこちらを覗き込んでいた……。
・to be continued……
・いや、続かないんだけど。2本目の夢、こうして書き出してみると普通に悪夢じゃん。見ているときは「まぁ夢だし、自分は助かるだろうなぁ」と思っていたのでそこまで緊迫感がなかった。
・自分は夢の中で夢と気づくことができるものの、自由に身体を動かせるわけではなく、映画のようにただ見ていることしかできないんだけど、こういうのも明晰夢と言えるのだろうか。「うわぁー嫌な夢だーー!」と思いながら嫌な夢を見るのはなかなかに苦痛。
・『ストーリー・オブ・マイ・ライフ わたしの若草物語』を観た!!
・これ、去年の今頃試写会に当選していて観られるはずだったのに、コビコビの流行が本格化した影響で試写会が中止になり、劇場で上映しているときもなんだかんだ観に行けなかった因縁の作品なのだ。
・日記にもその無念が記されている。そうか、試写会の前日に急遽中止になったのか。いま思い出しても悔しいな。そんでまだコビ氏が収まってないってどういうこと!? 1年!!??
・映画の感想。
・よかった……。
・回想が頻繁に挟まれて時間軸が入り乱れる上に、登場人物がそれぞれを独自のあだ名で呼ぶので、なにがどうなっているのかを追うのにかなり体力を使ってしまったけど、中盤辺りからは慣れてきて落ち着いて観られるようになった。
・この時系列シャッフルが楽しく過ごしていた少女の時代から、結婚や病気などを経て現実的な方向へ変化せざるを得なくなっていく4姉妹の関係性の変化を描くのに良い働きをしていた。「女性は結婚しなければ幸せになれない」「結婚は経済」と言われた時代にシビアな現実に飲み込まれて、溺れてしまうのではなく、姉妹それぞれが自分にとっての良い道を自分の意思で選択していく。
・こういう話だと、「結婚しない幸せ」に比重を置きすぎて、同じくらい価値があるはずの「結婚する幸せ」がないがしろにされてしまうことが多々あるけど、この作品ではそのどちらもを尊重して誠実に扱っていてよかった。また、ラストのシーンは、今の時代の創作物ならバーンと突っぱねる展開にしてもよかったんだろうけど、しっかりと「当時の戦い方はこうだった」と嘘のないように描いていたのも新鮮だった。全体的に、「現代的」と言われるようなものからもう一歩踏み込んでいるような作品だったな。
・もうたぶんこの映画観た人は全員言ってることだと思うけど、フローレンス・ビュー(名前の主人公感がすごい)がドレスを着て花かんむりを被るシーンでちょっと笑ってしまった。全然普通のシーンなのに、フローレンス・ビューがフレームインするだけで不穏なシーンに様変わりしてしまうんだもん。夏至祭のショックは南北戦争の時代にも影響を及ぼしている。
・Twitterで話題になっていた、NHKの古いドキュメンタリーを見た。
すごいもん観た。ジープでしか行けないような山奥の集落の分校に”学校放送”(当時は教育テレビ的プログラムをそう呼んだ)を放映するテレビが入りそれに触発された子どもたちが集落に”革命”を起こす様子を記録した60年前のドキュメンタリ。ほんとすごいから観るべき。https://t.co/Smq7kGX0Ml
— SIVA (@sivaprod) February 21, 2021
・「子どもたちが集落に"革命"を起こす」という文章を読んで、文明に感化された子どもたちが村の大人たちに反旗を翻して大暴れするのかと思っていたけど、開始2分くらいであ、違うなとなった。フランス革命的な方の革命ではなくて、産業革命的な方の革命だった(この例え合ってるのか?)。
・これ、60年以上前のドキュメンタリーなのになんで「NHK for School」で教材用に公開されているんだろうと疑問だったのだが、見ていくうちになんとなくその理由がわかった。
・この分校の生徒たちは、山の中で暮らしていて、外の世界に触れたことはないので社会科で習う日本の地理は実感が湧かないし、音楽で習ういろいろな楽器もどんなものだか想像がつかない。「チェロ」と言われて、大きくて弦が4本ありますとだけ説明されても、形がわからなければ、どんな音が鳴るのかもわからない。授業で習うものがあまりに身近でなく、実感のないものなので、個人の興味に結びつかないのだ。
・そこでテレビは、映像で日本各地の風景を見せられるし、弦楽器の四重奏を音と映像に乗せて届けるので、自分たちが学んでいるものは具体的にどのようなものなのかを「実物」で知ることができる。この村の子どもに必要だった「実感のなさ」を埋めるのに合致した教材がテレビだったのだ。テレビが持ち込まれたことによって、それまで授業に関心を向けなかった子どもたちが少しずつ意欲を見せはじめ、積極的に学習に参加するようになっていく。
・こういう流れから察するに、ニーズに応じた教育の方法を取れば生徒の学習意欲はしっかりと上がっていくということを説くために、教師に向けての教材として公開されているのではないだろうか。いや、全然違うのかもしれないけど。普通に小学生とはが教室で見たりするのかもしれないけど。
・ただ、これ、ドキュメンタリーと言う割には、あまりにも話の流れがスムーズすぎるのがちょっと引っかかった。60年も前のものなので、今とは放送倫理みたいなものが全然違うのだろうけど、学校放送は良いものだということを伝える恣意性が強い気がする。繊細なドキュメンタリーというよりかは、半フィクションくらいの気持ちで見たほうがいいのかなと思う。
・その場、その人に合った教育の方法を考えることの大切さを知る上でとても良い作品なことに変わりはないけど。
・え!?もう6時じゃん!!
・そりゃ変な文章ばっかになるわけだなぁ。
・寝るぞ!!!!