
This is hamburger picture 2021/11/22
日記
・朝、せっかく早起きしたのになくなって(何が?)、なにもすることのないぼんやりした時間を過ごした。なんとなく1時間ほど家の中をうろうろして、再び眠りについた。せっかくだから朝日の写真でも撮っておけばよかったかな。
・Hamburger picture……
・これなんだっけ。マクドナルドのなんか辛いやつ……。僕の心のヤバイやつ……。
・昨日の夜中に石ノ森章太郎の『青いマン華鏡』という短編を久しぶりに読んだ。
・その中で漫画を描く少年時代の石ノ森章太郎に、彼の姉が「あなたはあなたの"世界"の造物主」と言葉をかける場面がある。私はこのセリフが好きで、なんというか、本当にその通りだよなぁとただ純粋に思う。自分が創り、自分が造物主となった世界では何にも縛られず真の意味で自由にあらゆることを描いていいはずだ。だけど、現実にはそうはいかない。ある程度「良い」とされるものが決まっていて、なるべくそれに沿うように作品は創られていく(ほぼ無意識的に)。それは、"良いとされるもの以外"を選ばないという選択の連続でもある。自分一人のためだけの創作でも、それは絶えず意識されるし、創作物の価値は評価によって決まってしまう。
・そうやってあらゆるものに評価がついてまわることは、人がいる以上自然なことだと思うし、評価なんかやめろ!と言うつもりもないんだけど、やっぱり創作ってそれでいいのか?とは思ってしまう。せっかく自分だけの世界があって、自分が造物主になれるのに、良いとか悪いとか気にしている場合なのかよと。"世界"そのものが自分の手で生み出せるって、そんな次元のことじゃないだろ、というか。
・でも、「なんのために創作をするのか」ということを考えると、自分の中だけに籠もって、自分だけの世界をつくり続けるというのもおかしな話になる。『青いマン華鏡』でも、「創作を通してわかってもらいたいことが、感じてもらいたいことがあるのなら、必死になって"わからせてやろう"としなければいけない」という話も出てきて、短編なのに、なんて誠実に「創作」ということそのものを描いているんだ……と感動する。これは本当に、なんらかを創っている人は一度読んでみて損はないと思う。なんも創っていない私が読んで感銘を受けているくらいだし。私もなにかやるか!?という気分になってくる(やらない)。
・まぁでも、現実がどうかに関わらず「自分は自分の創る世界の造物主」であるという感覚だけは忘れずに持っておくべきだとは思う。
・結局なんの話をしているのかわからなくなったから寝る。