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”怒りの表現”について感受性高い人間の思ったこと withトラウマ経験
こんばんは^^
かこ造です。
今回は、”感情表現”についての投稿。
特に、”怒り”についてです。
小さいころから、ヒステリックが身近
小さいころ、誰でも怒られた記憶があると思います。
私の場合、一番身近な”怒り”というのは、「感情をキンキンするような大声でぶちまけられる」という感じでした。
怖いので言われっぱなしで、
声がやむのを待っているという感じ。
中学生くらいからは、ちょっと反抗した記憶もありますが、
相手の怒りは自分にはどうにもできないので、
イヤホンで耳をふさいでじっと耐えるのです。
大学生になった今でも、トラウマとして刻まれている感じがします。
バイト先で同じような経験を
大学生になってから、バイト先で経験した出来事。
バイト先の店長が、ヒステリックに怒りをぶつけてきたり、ちょっとネジの外れた客が怒りをぶつけてきたり。
自分の反応を自分でコントロールできない
ヒステリックに怒りをぶつけられたとき、
自分が悪くなかったとしても、簡単に開き直ることができません。
”大声で怒られた”という出来事で、びっくりして、心臓がドクドクして。
落ち込んだり、気持ちがふさぎ込んでしまったり。
あるいは、どんどん自分が白けていくような気がするのです。
自分を守るための行動なのか? 無感情を無理に装う感じ。
「自分は動揺なんてしていない」と言い聞かせる感じ。
自分の”怒り”の表現方法
思春期の頃は、ヒステリックな怒り方で、物や人に当たってしまうことが多く、結構黒歴史…。
大学生になってからは、
”諦め”とか”無視”とか、左かた右に聞き流すことで自己防衛。
”無理に怒らなくてもいい”と理解した感じです。
ひとり暮らしが待ち遠しい
大音量で音楽を流して耳をふさぐ必要もなくなるし、
バイトで嫌な客対応をさせられなくて済む。
分別があって、尊敬できる先輩方と働けるはずだし、
家の空気は自分だけでコントロールできる。(←これ大事)
論理的で冷静な”大人”を目指したい。
感受性が高い人間だと気づいてからの約1年
大きな音とか、特に声とか、そういったものが苦手。
できれば、ゼルダの伝説のゲームのような世界観で生きていきたい。
友達と旅行に行って、疲れて自分が不機嫌になってしまって、せっかくの時間をぶち壊したことに後悔しかない。実はもう会いたくないと思っている。しかし、毎日、一人の時間がないと干からびてしまうと知るきっかけにもなった。
自分の感情をコントロールできるように、オフの時間を作る必要があるのだと学んだ。そうすれば、イライラしたり、不機嫌になったりする時間も減らせる。
ひとり海外旅行に行ったのは多分”リセットしたかった”から。
自分の失敗を忘れ去って、嫌な思い出を忘れ去って、
目の前のワクワクする冒険に心を躍らせるだけの数日間を過ごしたかった。
おかげで、自分の”自分らしく生きられる権利”を認められるようになって、
もう少し”自分勝手”に過ごせるようになって、
”別にこの人になら嫌われてもいいわ”と思えるように強くなって。
社会人になってからの、次なる1年間は、どんな気づきがあるか。
NOTEの投稿を始めるようになってから、自分の思いを”思ったまま”発信できるので、良い気分転換と”吐き出し”になっている。最高のツール。
共感を見つけることもできる。
いつも、ありがとうございます。お世話になっております<(_ _)>