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noteにエッセイを書きたい

実際にはいくつかエッセイを書いている。ただし下書きのままnoteにアップできていない。Wordに書いたいくつかの原稿は、半分くらいまで書いて消してしまった。

「パソコンを使うからダメなのか?」と思い、手書きを試みたこともある。広島に向かう新幹線の中で、紙のノートに日常で気づいたことを書き出してみた。でもホテルで読み返してみるとしっくりこない。なぜだ……と思い、落胆する。

このとき私は「2024年が終わる前に、noteにエッセイをアップしたい!」と内心焦っていた。

私は2024年7月~9月に佐藤友美さん(以下、さとゆみさん)のエッセイ講座に参加し、受講後は「私もエッセイをnoteに投稿するぞ!」と意気込んでいたからだ。

エッセイ講座では、エッセイの書き方だけでなく、言葉の選び方や周りへの配慮など、多くのことを学んだ。自分の感情を分析したり、過去を振り返ったりできるようになり、内面の変化も感じている。

そこで「エッセイが公開できない自分」を分析してみると、性格の影響が大きいことに気がついた。

5~6歳の頃、近所に住んでいた祖父母は、私と弟を高島屋によく連れて行ってくれた。ある日おもちゃ売り場で「好きなものを買ってあげる」と言われたので、私と弟はおもちゃ売り場の棚を隅から隅まで見てまわった。

当時流行っていた戦隊もののコーナーに差しかかると、弟の足が動かなくなる。立ったりしゃがんだりしながら商品を吟味し、弟は1万5千円のロボットに決めた。

祖父母を呼んで「これが欲しい!」と猛アピールする弟。私はそのあと、おもちゃ売り場を3周くらいしたけれど、欲しいおもちゃは見つからなかった。

「欲しいものがない」と伝えると、祖父母は少し悲しそうな顔をした。その横で嬉しそうに1万5千円のロボットを抱えている弟。正直羨ましかった。

何が言いたいかというと、私は「自由に選んでいいよ」と言われると、選べなくなってしまう性格なのだ。「欲しい」という気持ちが先行しないとモノが買えない。

エッセイも本心から「公開したい」と思えないと、noteにアップするのは性格的に難しそうだ。

11月にさとゆみさんの「『書く』を仕事にしたい人のための超集中・1日ライティング講座」に参加したとき、懇親会でさとゆみさんから「エッセイ講座が終わってから、文章書いてる?」と聞かれた。

「書いてはいるんですけど……公開できなくて……」と私は気まずそうに答える。さとゆみさんは微笑んで「世に出さなくてもいいから、これからも書き続けてね」と伝えてくれた。

「世に出さなくてもいい」という言葉に、私の気持ちが少し軽くなった。下書きの原稿も「公開したいタイミングがきたら、noteにアップできるかも」と思えたからだ。

先日、近所のセブンイレブンで立ち読みした女性誌の占い特集に「2025年は風の時代である」と書いてあった。すでに2024年の11月から、風の時代は始まっているらしい。

2024年が終わるまであと35日。1本でもエッセイをnoteで公開できたらいいな。風の時代らしく軽やかに、そう思っておくことにした。

Discord名:大江かこ
#Webライターラボ2411コラム企画

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