【ハゲタカファンドに狙われる日本の自動車産業!】ホンダ、自動車心臓部「エンジン」を海外に身売り!~日本経済を1本足で支える自動車産業が崩壊したら日本は貧困国に転落?~

■ホンダ、脱エンジンで子会社売却へ 八千代工業、インド企業傘下に

時事通信 2023年07月04日

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ホンダは4日、連結子会社の自動車部品メーカーで東証スタンダード上場の八千代工業について、TOB(株式公開買い付け)で完全子会社化した後、インドの自動車部品メーカーのグループ会社に売却すると発表した。

ホンダは2040年までに新車販売のすべてを電気自動車(EV)か燃料電池車(FCV)にする「脱エンジン化」を進めている。

EVシフトが主力サプライヤーの売却に発展することになる。

八千代工業は、主力製品である燃料タンクなどの事業を拡大するには、ホンダ以外に販路を拡大していく必要があると判断した。

ホンダは関係当局の承認などを経て、10月ごろのTOB開始を目指す。

八千代工業はTOBに賛同意見を表明した。

TOBが成立すれば八千代工業株は上場廃止となる見込み。

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ホンダ、脱エンジンで子会社売却へ 八千代工業、インド企業傘下に
時事通信 2023年07月04日





■ホンダ、連結子会社の八千代工業をインド部品会社に身売り

レスポンス(Response)2023年7月5日

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株価の乱高下はその企業に異変が起こる予兆とも言われるが、わずか1年足らずで3倍近くも跳ね上がっていたホンダの連結子会社で、東証スタンダードに上場している八千代工業が、インドの自動車部品大手のサンバルダナ・マザーソン・グループに身売りされるという。

親会社のホンダが発表したもので、きょうの日経が「ホンダ、八千代工業売却、インド部品に、190億円で」などと報じている。

それによると、ホンダが165億円を投じて八千代工業をTOB(株式公開買い付け)で取得した後に、マザーソンのオランダ子会社に190億円で一部株式を売却するそうだ。

TOBの開始は今年10月を予定しており、ホンダは現在、八千代工業に50.4%出資しているが、買い付け価格は7月4日終値に17%の上乗せ幅(プレミアム)をつけた1株あたり1390円。

TOBなどで全株の買い付けが成立すると、八千代工業株は上場廃止となる見込み。
 

ホンダは2021年4月、三部敏宏社長が就任直後に、「脱ガソリン車」を宣言。

2040年に全ての新車を電気自動車(EV)か燃料電池車(FCV)にするという大胆な計画を発表した。

「選択と集中」の経営改革を加速させるためには、現時点では肝心要のEVやFCVの開発は鳴かず飛ばずでありながら、八千代工業のような歴代の経営陣や出向社員を多く送り込んできた連結子会社であっても容赦なく切り捨てる決断を迫られており、こうした再編の動きはしばらく続くことにもなりそうだ。

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ホンダ、連結子会社の八千代工業をインド部品会社に身売り
レスポンス(Response)2023年7月5日





■アングル:インドにハゲタカ外資殺到、不良債権処理の大号令で

Reuters(ロイター通信)2016年4月5日

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インド当局が銀行に不良債権処理の大号令をかけたことで、J・C・フラワーズやアポロ・グローバルなど、世界的なハゲタカファンドがディストレスト(破綻)資産を狙って同国に押し寄せている。

4月5日、インド当局が銀行に不良債権処理の大号令をかけたことで、世界的なハゲタカファンドがディストレスト(破綻)資産を狙って同国に押し寄せている。

インド準備銀行(中央銀行)が銀行にバランスシートの健全化を要請した結果、不良債権額は昨年33%ほど急増して4兆ルピー(603億ドル)に達した。

政府によると、ロールオーバーされた債権も含めると2倍の1200億ドル程度に上り、融資総額の11.3%を占める。

ハゲタカ外資は、やはり不良債権が急増している中国にも関心を抱いている。

しかしインドと異なり、中国当局は不良債権額の増加につながる資産再評価を銀行に要請していない。

インド準備銀行のラジャン総裁は銀行に対し、来年3月までにすべての不良債権を開示し、引き当てを行うよう求めている。

このため銀行は多額の不良資産を専門業者に売却し、資本を手当てする必要に迫られている。

J・C・フラワーズは最近、インドの金融サービスグループ、アンビット・ホールディングスとの合弁事業を発表、いわゆる「資産再建会社(ARC)」とディストレスト債ファンドを立ち上げる計画だ。

アンビット側の共同グループ最高経営責任者(CEO)、ラウル・グプタ氏は、中小企業に焦点を絞り、インドでの資産運用規模10億ドルを目指すと述べた。

アポロ・グローバル・マネジメントはインドの大手ICICI銀行ICBK.NSのプライベートエクイティ部門と提携し、8億2500万ドル規模のファンドを設立した。

アポロのシニアパートナー、ミントゥー・バーンダリ氏は「(政府と中銀は)この問題への関心と透明性を高める良い仕事をしてくれた」と述べた。

<予算が追い風>

インドの銀行が不良債権を売却する場合、現在は相手がARC各社に限られている。

ARCは10年前に導入された組織だが、資本が乏しくルールも不透明なため、これまでのところ小さな役割しか果たしていない。

外資の誘致を狙う政府は2月、スポンサー企業や外国人投資家が事前に承認を得なくてもARCを100%保有できるようにするなど、一連の措置を盛り込んだ予算を発表した。

カナダ年金計画投資委員会とインドのコタック・グループが最近共同で設立した5億2500万ドルのファンドのCEO、S・スリニワサン氏は「外資呼び込みに向けた前向きな変化だ」と語る。

ARC最大手であるエーデルワイスARCのマネジングディレクター、シビー・アントニー氏は、本年度中に1600億ルピー相当の不良債権購入を目指しており、最大200億ルピーの新規資本が必要になると述べた。

<忍耐強い投資>

インドでは法的手続きのペースが極めて遅く、裁判所の重複といった問題もあるため、不良債権の回収率は低い。

不良債権の流通市場も存在せず、投資回収(エグジット)の道のりは険しい。

政府は処理の迅速化を目指して新たな破産法の整備に着手しているが、専門家によると新法が完全施行されてインフラが整うのは2、3年先になりそうだ。

アポロのバーンダリ氏は「新たな破産法規の導入については楽観視している」としながらも、「複雑な状況に切り込む純粋な意欲を持ち、かなり忍耐強い投資家でなければ、この分野では成功を収められない」とくぎを刺した。

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アングル:インドにハゲタカ外資殺到、不良債権処理の大号令で
Reuters(ロイター通信)2016年4月5日





■クルマの心臓、エンジンを作る

リクナビNEXT【Tech総研】

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FIで鍛え上げた技術力で、「アコードPHEV」のエンジンを開発した第一人者

――株式会社本田技術研究所 角田哲史(かくだ・てつし)氏(46歳)

仕事:新型ハイブリッドエンジンの開発を取りまとめるエンジニア

・角田氏が開発に携わった、ホンダ第3期のF1エンジン

1989年、ホンダのクルマづくりを一手に引き受ける研究開発会社、本田技術研究所に新卒で入社した角田哲史氏は、自動車用エンジンの設計エンジニアだ。

現在の仕事は、どのようなエンジンに仕立てれば搭載するクルマのパフォーマンスを最大化できるかを考え、仕様を策定し、実機に仕立てていく開発のまとめ役。

「クルマにおけるエンジンの位置づけは、昔に比べて多様化しています。例えば電気モーターを併用するハイブリッドカー。今年1月に発表したプラグインハイブリッドカー『アコードPHEV』は、エンジンを主に発電に使う方式です」

このエンジン開発を担当したのが角田氏だ。

従来のクルマのものと大きく異なる特性を持たせ、発電時のエネルギー効率を高めるようにしたという。

ガソリン車とはエンジンの使われ方が違うための、思い切った発想の転換だ。

クルマの性格にぴったり合うエンジンをつくることの重要性は今に始まったことではないが、クルマの技術の多様化が進んでいる今日においては、最適設計の重要性は以前にも増して高まっているという。

「シミュレーション技術の進化によって、エンジン開発のプロセスは以前とは比べものにならないくらい効率化されています。が、コンピュータは設計思想まで考えてくれるわけではない。クルマによってはパワーより軽さ、小ささ、安さを追求したエンジンにしたほうが、トータルでよりよいパフォーマンスになることもある。エンジンづくりの決め手となるのはエンジニアの感性と情熱。とても人間的な仕事なんですよ」

形式によっては1000点を超える多数の部品で構成される自動車用エンジン。

チームのメンバーは角田氏のようなまとめ役から細部の設計を行う人までさまざま。

「ECU(エンジン制御のためのコンピュータ)やエンジン本体など、性能に直結する部分が目につきやすいのですが、実はエンジンに花形はありません。ピストンが壊れても、配線のハーネスステーのようなシンプルな部品に異常が出ても、エンジンは失格。皆が自分の担当分野について質の高い仕事をして、まとめ役がそれらエンジニアたちの主張を妥当なものかどうか的確に判断して、初めて良いものができる。全員がキーパーソンなのがエンジンづくりの世界なんですね」

「高校時代にバイクの世界選手権を見て、将来ホンダで二輪車のレースエンジニアをやりたいと思った」という角田氏は、工業大学で機械工学を学んだ後、新卒で本田技術研究所に入社した。配属先は希望を出したレース用エンジンではなく、当時開発が佳境に入っていたスポーツカー「NSX」のエンジンだった。
「駆け出しの新人がいきなりエンジンの中核部分をやらせてもらえるわけではなく、担当はカムカバーとエンジンオイルチェック用のレベルゲージ。それがキャリアの始まりでした」

その後、中型乗用車向けの2リットルエンジン開発を経て、1993年にレースエンジン開発に登用された。

アメリカのモータースポーツ、CARTやインディ・レーシングリーグのマシンに搭載するV8エンジンの開発を手がけたが…。

「初参戦したとき、インディ500の予選でホンダエンジンがダメ出しを食らって、エンジンを替えられてしまった。よりによってトラブルを起こしたのが私の部品だったんです。エンジニア人生で一番悔しい思い出です」

失敗にも怯むことなく、角田氏のレースエンジン開発への挑戦は続いた。

ホンダの関連会社、無限に供給するF1エンジン開発、さらにホンダがF1に復帰してからはワークスエンジン開発チームに所属。2008年のF1撤退までレースエンジンの開発は続いた。

F1撤退後、2010年に市販車エンジンの開発に復帰。

昨年、マスメディアに試作機が公開された1.5リットル直噴エンジン、前出アコードのハイブリッドカー用2リットルアトキンソンサイクルエンジンなど、ホンダの次世代環境技術を投入した新規開発エンジンを生み出し、今も次世代ユニットの開発に取り組んでいる。

・角田氏がエンジン開発に携わった初代NSX

今日、内燃機関は成熟技術の部類に入ってきており、「今後、エンジン技術に革命的な変化が起こることはそれほどないだろう」というのが研究開発の現場での率直な実感であるという。

だが、それはエンジン開発競争が鈍化するという意味ではない。

高いエネルギー効率のエンジンをいかにシンプルに作るかという挑戦は今後、ますます加速する見通しだ。

「研究開発の現場から上がってくる新技術やアイディア、またライバルメーカーのエンジンの技術調査などを見ると、いろいろな創意工夫が本当に次から次へと出てくるものだなと思う。ひょっとすると、人間の知恵は無限なんじゃないかと思うことすらあります。本当に小さな小さな工夫を積み重ねて、エネルギー効率の大幅な向上を実現させていくというステージなんですね」

ホンダはかつて、「エンジンのホンダ」と言われるほどエンジン技術に自信を持っていたメーカーだが、技術の成熟化に伴い、メーカー間の性能差は昔に比べて小さくなった。

「そんな時代だからこそ、あらためてエンジン技術で先頭を走り、エンジンのホンダと言わしめたい。その実現のためには私たちエンジニアが発想力を駆使する必要があります。エンジン単体の効率を上げる技術、クルマの個性を活かすエンジン仕様を見極める見識、そしてエンジンをいいものに仕上げるための粘りが問われる。その末に満足できるエンジンが出来上がった時の喜びは、まさに開発者冥利に尽きます」

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クルマの心臓、エンジンを作る
リクナビNEXT【Tech総研】





■エンジン一筋「本田宗一郎」が四輪車進出で経産官僚を「バカヤロー」と怒鳴りつけた日

デイリー新潮  2021年10月25日

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本田宗一郎は1906(明治39)年11月17日、静岡県磐田郡光明村(現・浜松市天竜区)の鍛冶屋の長男に生まれた。

自動車修理工場の小僧から身を起こした宗一郎の天才ぶりは戦前、近隣に鳴り響いていた。

特許の山を築き、日本楽器製造(現・ヤマハ)社長の川上嘉市が「日本のエジソン」と称えるほど才気にあふれていた。

宗一郎は「おれが作れないものはクモの糸ぐらいだ」と豪語していた。

「世界一の自動車を作りたい」。途方もない夢を抱いた宗一郎は戦後まもない1946(昭和21)年、本田技術研究所を設立。

払い下げを受けた通信機用エンジンを付けた自転車バイク、通称「バタバタ」を作り始めた。

騒々しいエンジン音と湯たんぽの燃料タンクで一世を風靡した。

・「マン島」レースを完全制覇

大きなアドバルーンを上げ、その目標に向かって全力で疾走するのが宗一郎流だ。

1954(昭和29)年、二輪車のオリンピックといわれた「英マン島TTレース」への出場を、堂々と宣言した。

このときは、自動車業界、殊に二輪車のプロたちの物笑いのタネとなったが、1961(昭和36)年、マン島レースを完全制覇するという快挙を成し遂げ、宗一郎は世間を見返した。

「世界のホンダ」の名声が定着すると、すかさず、永年、温めてきた四輪車進出構想をぶちあげた。

しかし、宗一郎の前に、通産省(現・経済産業省)という大きな壁が立ちはだかったのである。

通産省を相手にした大立ち回りこそが、宗一郎の起業家人生のハイライトである。

(中略)

1962(昭和37)年10月開催のモーターショーに、ホンダ初の普通乗用車となる小型スポーツカーが登場した。

排気量500CCだったから「S500」と名付けた。同時に発表した軽スポーツカー「S360」とともに、カーマニアの注目を集め、黒山の人だかりができた。

・精密なエンジン

「S500」はコンパクトな2人乗りオープンカー。

英国のスポーツカーを参考にしたバタ臭いデザインだった。

搭載されたエンジンは二輪レースで実績のあるDOHC。

44馬力ながら1万回転まで可能。

超高速回転を実現し、「時計のような精密さだ」と絶賛されたという。

宗一郎は先手を打って新車を開発し、自動車メーカーとしての存在を世間にアピールした。

宗一郎に四輪車を駆け込み生産させた特振法は、1963(昭和38)年の通常国会で廃案となる。

もし成立していたら、自動車メーカーは競争力を失ってしまい、日本が世界屈指の自動車大国になったとは思えない。

「国の補助で事業をやって成功した例(ためし)は世界中どこを探してもない」。

硬骨漢・宗一郎の、この言葉は今も生きている。

四輪車に進出すると同時に、技術の頂上を目指す作戦として、自動車レースの最高峰F1(フォーミュラ・ワン)レースへの参加を宣言した。

F1に参戦することによって、世界に「ホンダは四輪メーカーにふさわしい会社だ」と認知させる作戦を敢行した。

参戦2年目の1965(昭和40)年、いきなり初優勝した。

宗一郎の強烈な個性のもと、ホンダは高い技術力と新しい発想を武器に異色の自動車メーカーに変身していった。

・世界最強・最速のエンジン

もし、通産省の圧力に屈して自動車の製造を断念していたら、今日のホンダはなかった。

モノづくりを規制し、人間の自由な創造力や可能性に国家権力が介入することを、宗一郎は絶対に許せなかった。

モノづくりの真骨頂を示す逸話が残っている。

1986(昭和61)年、ホンダのターボチャージャーエンジンがF1で連戦連勝し、その圧倒的な勝ちっぷりを面白く思わないFISA(国際自動車スポーツ連盟、現・FIA[国際自動車連盟])は、熱効率の高いターボエンジンを禁止し、自然吸気エンジンのみのレースに移行するとの決定を下した。

ターボエンジンの開発技術者でF1チーム総監督の桜井淑敏らが、ルールの突然の変更に憤慨し、宗一郎に直訴した。

このとき、宗一郎はこう言った。

「ホンダだけがターボ禁止なのか? 違うのか? 馬鹿な奴等だ。ホンダだけに(ターボを)規制をするのなら賢いが、すべて同じ条件でならホンダが一番速く、一番いいエンジンを作るのにな。で、なんだ、話ってのは?」

「いいです、何でもありません」。

桜井は黙って引き下がった。

桜井ら技術屋たちは、宗一郎の言葉に発奮して、ついに世界最強・最速のエンジンを完成させた。

ホンダ以前の日本車に対する評価は、「欧米のまねをしてうまく作った」の域を出なかった。

ところがホンダの車が登場して、世界のマーケットは初めて、ホンダの独創性を高く評価した。

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エンジン一筋「本田宗一郎」が四輪車進出で経産官僚を「バカヤロー」と怒鳴りつけた日
デイリー新潮  2021年10月25日





■本田宗一郎 本田技研工業創業者

KILOSOPHY(キロソフィー)~偉人・超人の成功・挫折と人生哲学・名言~

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宗一郎が5年生の頃、浜松の歩兵連隊に当時まだ珍しかった飛行機が来ており、飛行機ショーが行われることとなった。

それを聞いた宗一郎は、学校をさぼり、家族から2銭をくすねて、自宅から20㎞離れた飛行機ショーに父親の自転車で向かった。

しかしいざ着いてみると、入場料は10銭で、持っていった2銭では足りなかった。

諦めきれない宗一郎は、近くの松の木を登って、ナイルス・スミス号の飛行を実際に見た。

初めて見る飛行機に感激した宗一郎は、帰り道も自転車を漕いであっという間に家に帰った。

父儀平は宗一郎の行動力にただ驚くばかりで、怒ることはなかった。

この出来事から宗一郎は、自分で飛行機を作って飛ばしてみたいという思いを生涯持ち続けることとなり、のちのホンダジェットへとつながることになった。

ちなみに、宗一郎が松の木に上って飛行機を見ていた時、後年宗一郎のかけがえのない友人となる、ソニー創業者・井深大も同じショーを見に来ていた。

井深はその時祖父に連れられていたため、宗一郎よりも間近で飛行機を見ることができた。

井深はこの違いが二人の飛行機への熱意への違いになったと後年、述懐している。

『子どものころ、ふたりとも同じ飛行機を見たわけですが、その後、本田さんはエンジンに関心を持ち、飛行機への関心を失わなかったのに対して、私のほうは、電気の分野に進んだのは、連れて行ってくれる人がいなくても、どうしても見たいという一心を捨てなかった本田さんと、多少”環境”に恵まれていて、飛行機に対する好奇心が、わりあい簡単に満たされてしまった私との違いからかもしれません。
…その後、生涯にわたる本田さんの飛行機への関心は、このとき、強く芽生えたのではないでしょうか』

(井深大(2015)「わが友本田宗一郎」ゴマブックス)

(中略)

・40歳頃 本田宗一郎の個人事業として本田技術研究所を設立、「バタバタ」を製造・販売

1946年、宗一郎は旧友の自宅を訪ね、旧陸軍で使っていた、小型の発電用エンジンを見つけた。

それを見て、宗一郎は、当時の生活の足であった自転車にこれをつければ、人々の移動や、物を運ぶことを、楽にできると考えた。

宗一郎は早速制作に取り掛かり、自宅で使用していた湯たんぽも活用しながら、第一号を制作した。

妻さちに浜松駅前で試乗してもらったところ、周囲から大変好評を得た。

宗一郎は、仕事へのやる気を取り戻し、浜松市内に本田技術研究所を設立した。

戦後で、軍が使用していた通信機用の旧陸軍六号無線機用小型エンジンが安く出回っていたため、それらを買い集めて量産を始めたが、全国から注文が殺到し、生産が追い付かなくなった。

そこで宗一郎は、エンジンも自作することを決意し、設計を開始。この頃、初の学卒社員となる河島喜好(のち2代目社長)が入社し、エンジンの開発を手伝っていた。

1947年には、本田初のA型エンジンという、ベルト電動式のエンジンの開発に成功し、量産を始めた。

これは飛ぶように売れ、事業が軌道に乗り始めた。

・42歳頃 本田技研工業株式会社を設立

A型エンジンが飛ぶように売れたため、宗一郎は個人事業として行っていた本田技術研究所を法人化し、本田技研興業株式会社を設立した。

資本金は100万円、従業員は34名だった。

A型に加え、オート3輪用のB型、A型と同じく自転車補助用のC型を製造・販売していた。

・オートバイメーカーとなる挑戦の時代

エンジンを販売しているうちに、宗一郎の中に次第にオートバイそのものを作りたい気持ちが芽生え始めていた。

そこで、D型エンジンが開発されたときに、車体そのものに付けてオートバイを製造・販売し始めた。

スピードに夢を託すという意味を込めて、「ドリームD号」と名付けられたこのモデルは、当初順調に売れた。

(中略)

・48歳頃 経営危機、そしてマン島TTレースへの出場宣言

1952年、宗一郎はアメリカ、河島が欧州を訪れ、組み立てだけでなく生産の強化を図るべく、大型の設備を購入した。

当時のホンダは売上が24億円、資本金600万円だったが、設備は4億5千万円だった。

後年宗一郎はこの生産設備導入を自分が行った一番の英断だったと振り返っているが、その支払いは本田技研工業にとって重い負担となった。

日本全体が不況に苦しむ中、本田技研工業の複数の主力商品がクレームや販売不振にあってしまう中、これまで順調に進んでいた経営に一気に不安定になった。

藤澤はまず代金回収の早期化に取り組むと、労働組合との調整、資金調達に奔走し、なんとか経営危機を乗り切った。

経営危機の中、宗一郎は英国のマン島TTレースという、二輪の世界最高峰の大会に出場することを宣言し周囲を困惑させた。

マン島TTレースは宗一郎の子供のころからの夢であったとともに、世界最高の技術を手に入れるための機会であり、世界にホンダの二輪を知らしめるための機会だと考えていた。

1954年、宗一郎は早速英国に渡りマン島レースを観戦したが、自社で作っている二輪の3倍もの馬力を持つ二輪が走っている姿を見て、衝撃を受けた。

しかし帰国後すぐに研究部を立ち上げ、苦心の結果1959年に初出場し6位という好成績を残し、1961年にはついにTTのグランプリレースに優勝し、世界一を達成してしまった。

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本田宗一郎 本田技研工業創業者
KILOSOPHY(キロソフィー)~偉人・超人の成功・挫折と人生哲学・名言~





■本田宗一郎のDNAと決別~「エンジンをつくらないホンダ」はどこへ行くのか(前)

福岡の経済メディア NetIB-News 2022年1月12日

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・NHKが「ホンダF1最後の戦い」を放映

サーキット イメージ 2022年1月2日、NHKBS1スペシャルで『30年ぶりの栄冠!ホンダ最後の戦い』が放送された。

「勝って世界一になる!それをモノづくりに活かす」。

ホンダの創業者、本田宗一郎の言葉である。

レースは会社のDNA(遺伝子)として、長年、ホンダは世界最高峰の自動車レース、F1に挑戦してきた。

激しい競い合いのモータースポーツを通じて、最先端技術を開発。技術力を基に会社を大きく成長させ、若いエンジニアの育成を行ってきた。

しかし、2021年限りでF1からの撤退を発表した。

地球温暖化を防ぐ、脱炭素に向けて、資金、人材など会社の資源を集中させるためだ。

番組では、レース映像と関係者の証言を積み重ね、ホンダF1最後の戦いを克明に伝えた。

モータースポーツファンがこぞって録画した作品だ。

社内で撤退に奮起したのは、F1マシンの心臓部、パワーユニットを開発してきた技術者たちであった。

開発責任者の浅木泰昭は覚悟を決めた。

「このままでは終われない!最後の年に、何が何でもチャンピオンを獲りたい」。

1番になるために、ホンダの技術者たちは「もっとパワー!もっと速く!もっと信頼性を!」を合言葉に、全力で技術を磨き上げた。

短期間に開発するために、3Dプリンターで部品をつくったり、ジェット機部門の技術を応用したり、全社体制の「オールホンダ」で挑んだ。

そして、2021年シーズンが開幕。新しいパワーユニットを搭載したレッドブル・ホンダのF1マシンが躍動する。

・F1活動を有終の美で締めくくる

「ホンダ、30年ぶり王座奪還 劇的決着で有終の美-F1」

時事通信はアブダビ発の記事(21年12月13日付)を全国の加盟社に配信した。

〈自動車のF1世界選手権シリーズの2021年最終戦、アブダビ・グランプリは12日、アブダビで決勝が行われ、エンジンを中心とするホンダ製のパワーユニットを搭載するレッドブル・ホンダのマシンに乗るマックス・フェルスタッペン(24)=オランダ=が今季10勝目を挙げて初の年間王者に輝き、F1活動を今期限りで終えるホンダが有終の美を飾った〉

ホンダは1964年F1に初参戦した。

撤退と再挑戦を繰り返し、15年からエンジンなどのパワーユニットを提供するかたちで4度目の参戦をはたした。

パワーユニット供給元としての第4期F1活動を今季限りで終えたが、30年ぶりのタイトルで締めくくった。

第4期F1活動の戦績は、レース参戦141回、優勝17回、表彰台49回だった。

・ライバルに感謝を告げる新聞広告が大反響

F1ラストゲームとなるアブダビ・グランプリ決勝を控えた21年12月12日の朝。

ホンダは日本経済新聞に広告を掲載した。

ピットで出走を待つマシンの姿とともに、こんな文章が添えられていた。

「ありがとうフェラーリ ありがとうロータス ありがとうブラバム ありがとうマクラーレン ありがとうウイリアムズ ありがとうルノー ありがとうメルセデス ありがとうトヨタ 初めてF1に挑戦した1964年のあの日から今日までの、すべてのライバルに感謝します」

最終戦に挑む当日、歴戦のライバルに感謝を告げる新聞広告は、ファンの間に感動をもたらし、ホンダ史上最大級の反響があった。

・F1撤退後の未来への新広告「挑戦って、いいもんだ」

マックス・フェルスタッペンの大逆転でチャンピオンが決まるという、誰もが予想できなかった展開になった最終戦。

ホンダは1991年以来となる30年ぶりのタイトルを手にした。

F1最終戦を有終の美を飾ったホンダは大晦日の21年12月31日、新聞に新たな広告を掲載した。

逆転勝利に抱き合って喜ぶフェルスタッペンの写真とともに添えられているメインコピーは『挑戦って、いいもんだ』。

「負けるととにかく悔しくて、勝つととにかく嬉しくて、そんな全部に本気だった7年間。Hondaのエンジンを動かし続けたのは、世界中の人々の想いや声援だった。その感謝と思い出を胸に、これからもHondaは挑戦を続けていく。勝っても、負けても、どんな挑戦もすばらしい。そのことを、大きな声で、今ならいえる」

ホンダはエンジンをつくらないため、F1から撤退した。

本田宗一郎の「エンジン一筋」のDNAと決別して、未来へ「挑戦」していくことを告げる広告であった。

■本田宗一郎のDNAと決別~「エンジンをつくらないホンダ」はどこへ行くのか(中)
2022年1月13日

・「創業者の本田宗一郎氏が悲しむのではないか」と株主

ホンダは21年6月23日、東京・港区のホテルグランドニッコー東京台場で株主総会を開いた。総会はオンラインで中継した。

三部敏弘社長は就任直後の記者会見で2040年までにガソリンエンジン車の新車販売をゼロにして、電気自動車(EV)など走行時に二酸化炭素(CO2)を出さない「脱エンジン車」を宣言した。

株主からは脱エンジン車宣言について「創業者の本田宗一郎氏が悲しむのではないか」との質問が出た。

三部社長は「50年にカーボンニュートラル(CO2排出量をプラスマイナスゼロにすること)を達成するのが目標だ。EVと燃料電池車(FCV)を本命にしつつ、水素を使った合成燃料の研究も進める」と答えたと日経や産経が報じた。

EVには異業種も幅広い企業が参入しているが、「どんな会社でもそう簡単につくれるとは思わない。勝ち残っていきたい」と述べたという。

また、株主からエンジン開発継続の可能性について問われると、三部社長は否定しなかったものの、「本命」はEVとFCVだと強調したそうだ。

純粋なエンジン車だけでなく、エンジンと電池を併用するハイブリッド車(HV)にも見切りをつける。

創業者の本田宗一郎は、エンジン一筋で、世界を疾駆した。

しかし、ホンダは、脱エンジンに方向転換したのである。

電動化の流れは止めることはできないとはいえ、これほどあっさり、創業者の「エンジン一筋」のDNAを切り捨てていいものか、首を傾げざるを得ない。

・二輪のオリンピック「英マン島」レースで完全制覇

本田宗一郎は1906(明治39)年11月17日、静岡県磐田郡光明村(現・浜松市)の鍛冶屋の長男に生まれた。

自動車修理工場の小僧から身を起こした宗一郎の天才ぶりは戦前、近隣に鳴り響いていた。

特許の山を築き、日本楽器製造(株)(現・ヤマハ(株))社長の川上嘉市が「日本のエジソン」にたとえるほど才気にあふれていた。

宗一郎は「おれが作れないものはクモの糸ぐらいだ」と豪語している。

「世界一の自動車をつくりたい」という途方もない夢を抱いた彼は戦後まもない、1946年、本田技研工業(株)を設立。

払い下げの通信機用エンジンを付けた自転車バイク、通称「バタバタ」をつくり始めた。

騒々しい音、湯たんぽの燃料タンクで、一世を風靡した。

大きなアドバルーンを上げて、その目標に向かって全力疾走するのが宗一郎流だ。

1954年、二輪車のオリンピックといわれた「英マン島T・Tレース」への出場を宣言した。

このときは、業界の物笑いのタネとなったが、61年、マン島レースを完全制覇するという快挙を成し遂げ、世間を見返した。

・通産省の猛反対をはねのけ自動車に進出

「世界のホンダ」という名声が定着すると、すかさず、永年、温めてきた四輪車進出をぶちあげた。

宗一郎の前に、立ちはだかったのは、通産省(現・経済産業省)である。

通産省との大喧嘩が、宗一郎の起業家人生のハイライトである。

62年、通産省は乗用車の貿易自由化を前にして、国際競争力をつけるため、「日本の自動車メーカーは2、3社でいい」と、新規参入を許さない「特定産業振興法」の成立を急いだ。

宗一郎は、この時ほど腹が立ったことはなかったという。

「バカヤロー!おまえたち官僚が日本を弱くしてしまうのだ!」

宗一郎は、通産官僚にこう啖呵を切って、通産省に真っ向勝負を挑んだ。「戦争時代じゃあるまいし、私ゃ国のためには働かないよ。自分のために全力で自動車をやりたいんだ」(『ホンダ50年史』から)。

以前から進めていた四輪車の開発を、通産省からの中止要請にもかかわらず続行し、63年の夏から秋にかけて、軽四輪トラックと小型スポーツカーを相次いで発売した。

四輪車に進出すると同時に、技術の頂上作戦として、自動車レースの最高峰F1(フォーミュラ1)レースへの参加を宣言。

F1に参戦することによって、世界に「ホンダは四輪メーカーにふさわしい会社だ」と認知させる作戦だ。そして65年、いきなり初優勝した。

■本田宗一郎のDNAと決別~「エンジンをつくらないホンダ」はどこへ行くのか(後)
2022年1月14日

・モノづくりの真骨頂を示す名言の数々

通産省の圧力に屈して自動車の製造を断念していたら、後のホンダはなかった。

モノづくりを規制し、人間の自由な創造力や可能性に国家権力が介入する、そのことが宗一郎には絶対に許せなかった。

モノづくりの真骨頂を示す逸話が残っている。

有森隆著『仕事で一番大切にしたい31の言葉』(大和書房刊)に載っている。

86年、ホンダのターボエンジンのF1での圧勝ぶりを面白く思わないFISA(現・FIA)は熱効率の高いターボエンジンを禁止し、自然吸気エンジンのみのレースに移行するとの決定を下した。

これに憤慨したターボエンジンの開発技術者で、F1チーム監督の桜井淑敏らが宗一郎に直訴した。このとき、宗一郎はこう言った。

〈「ホンダだけがターボ禁止なのか?違うのか、馬鹿な奴等だ。ホンダだけに(ターボを)規制をするのなら賢いが、すべて同じ条件でならホンダが一番速く、一番いいエンジンをつくるのにな。で、なんだ、話ってのは?」「いいです、何でもありません」と桜井。桜井ら技術屋たちは、宗一郎の言葉に発奮して、世界最強・最速のエンジンを完成させた〉

ホンダ以前の日本車に対する評価は「欧米のまねをしてうまくつくった」との域を出なかった。

ホンダの車が登場して初めて、世界はその独創性を高く評価した。

実際の経営は藤沢武夫という希代の経営者が担い、本田宗一郎はエンジン一筋だった。

本田宗一郎は、モノづくりの要諦をこう言い切っている。

〈何千でもいいから、お釈迦になってもいいから、つくることだね。もったいないようだけど、捨てることが、一番巧妙な方法だね。捨てることを惜しんでいる奴は、いつまでたってもできないね。物を苦労してつくった奴ほど強い奴ほど強い奴はないね。物をつくったことがない奴は、皆だめだね〉

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本田宗一郎のDNAと決別~「エンジンをつくらないホンダ」はどこへ行くのか(後)
福岡の経済メディア NetIB-News 2022年1月14日





■国産ジェット"ホンダと重工"決定的な違い

ホンダの根底には"夢と情熱"がある

PRESIDENT Online 真壁昭夫 多摩大学特別招聘教授

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2017年、本田技研工業の小型ジェット機「ホンダジェット」は、世界の超小型機(パイロットを含めた乗員が10人未満のビジネスジェット機)市場で世界首位に立った。

2019年前半には丸紅と組んで、国内向けの出荷が開始される予定だ。

ホンダは、小型ジェット機という新プロダクトを国内に導入し、より便利な移動への需要を取り込もうとしている。

ホンダジェット開発の背景には、新しい技術や最先端の理論を駆使して、従来にはないプロダクトを生み出そうとするアニマルスピリットがある。

特に、自社が取り組んでこなかった新しい製品などを生み出そうとする場合、そのプロジェクトを実行する企業のコミットメントが欠かせない。

パーツの生産など関連する分野での組織的な力があれば、新しい最終製品の創造が実現可能とは限らないのである。

ホンダのモノづくりは、夢を追求する情熱に支えられてきた。

チャレンジする心理を引き出していくことが、同社の飛躍には欠かせない。

わが国の多くの企業にも、同じことが言えるはずだ。

・夢を追求し成長を遂げてきたホンダ

ホンダは、常に技術力を磨き、二輪車や自動車など、より便利なプロダクトの開発に注力してきた企業だ。

新しい製品を生み出して、便利な暮らしを支えたいという“夢”を追い求め、それを実現する個人のエネルギーが同社の原動力といえる。

同社の歴史を見ると、それがよくわかる。

1946年、ホンダの創業者である故本田宗一郎氏は、旧陸軍の発電機を自転車に搭載し原付バイクの原型を開発した。

同氏を突き動かしたのは、便利な乗り物を作りたいという情熱だった。

その後、ホンダは原動機の開発と生産に進出し、二輪車の開発力を蓄積していった。

1954年に同社は、国際的なバイクレースへの参入を表明した。

そこには、世界最高峰と謳われたレースに参加できるだけの技術を開発し、より良い製品の開発につなげようとするスピリットがあったはずだ。

・「ホンダの車に乗りたい」という人が増えた理由

その後、社会に自動車が普及するにつれ、ホンダは四輪車事業にも参入した。

1964年には同社のF1マシンがレースにデビューし、最高峰のレースで技術を磨き、それを一般社会向けの製品に応用するという土台が整備されていった。

1980年代には、往年の名レーサーだった故アイルトン・セナがマクラーレン・ホンダのF1マシンを駆り、世界各地のサーキットを席巻するシーンに心躍らせた方も多いだろう。

そうした取り組みが、「ホンダの車に乗りたい」という人々の欲望をかき立て、同社の業績拡大につながった。

1986年からホンダは小型航空機の研究に取り組み始めた。

原動機、および二輪車から四輪車への流れを考えると、さらなる技術確立のために空(飛行機)を目指したのは、ある意味、必然だった。

大空を自由に飛びたいという思いは、人類共通の夢でもある。

それを追い求めて、ホンダジェットの開発が進められた。

ホンダは自動車で培った空力性能や燃費に関する技術、軽量化のノウハウを応用することで、小型ジェット機の機能向上に努めた。

2017年、それが評価され、世界の超小型機市場でホンダジェットはトップの納入機数を記録した。

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国産ジェット"ホンダと重工"決定的な違い
ホンダの根底には"夢と情熱"がある
PRESIDENT Online 真壁昭夫 多摩大学特別招聘教授





■なぜホンダは航空機で成功できた ハーバード大の視点

ハーバードビジネススクール教授 ゲイリー・ピサノ氏(上)

NIKKEIリスキリング 2019/10/2

https://reskill.nikkei.com/article/DGXMZO50235490W9A920C1000000/

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・佐藤智恵(さとう・ちえ) 

1992年東京大学教養学部卒業。2001年コロンビア大学経営大学院修了(MBA)。NHK、ボストンコンサルティンググループなどを経て、12年、作家・コンサルタントとして独立。「ハーバードでいちばん人気の国・日本」など著書多数。日本ユニシス社外取締役。

佐藤 
ピサノ教授は2018年1月にハーバードビジネススクールの教材「未来への飛行:ホンダジェット(Flying into the Future: HondaJet)」を出版しました。
このケースを書こうと思った動機は何ですか。

ピサノ
実は「未来への飛行:ホンダジェット」は、私が初めて書いた日本企業のケースです。
私自身、ずっとホンダ車を愛用してきましたし、ホンダという会社にも興味を持っていましたので、教材となるような事例をずっと題材を探していました。
ホンダジェットの開発物語を知ったとき、これは本当に素晴らしい教材になると確信しました。
1つの事業で大成功を収めた企業が、新たな組織能力(ケイパビリティ)を内部で開発し、別の事業でも成功する――これが可能であることを証明したのがホンダの航空機事業です。
このような事例は世界的に見ても非常に珍しく、すぐに教材にしようと思いました。
自動車製造事業と航空機製造事業。
この2つは同じ乗り物なので、互いのノウハウを共有できるのではないか、と思いがちですが、必要な技術、販売・マーケティング手法などは全く異なるのです。
つまりホンダは航空機事業を始めるにあたって、知識も技術も、ほぼ何もないところからスタートしなければならなかったのです。
こうした中、ホンダは、どのような過程を経て、新しい組織能力を開発したのか、とても興味がわきました。

佐藤 
自動車事業と航空機事業は、具体的にどのような点が異なっているのですか。

ピサノ 
まず技術面で応用できるところはほとんどないといってもいいかもしれません。
自動車に翼をつけたら、航空機ができるわけではありません。
エンジニアリング、デザイン、システム、信頼度(一定期間、故障することなく使用される確率)の基準も違います。
実際、ホンダが航空機事業に着手しようとした際、多くの人は自動車事業で培った知識や技術を航空機事業にも応用できると期待していたといいます。
ところが本格的な研究をはじめて早々に、その前提は間違っていたことに気づきました。
結局、すべての組織能力をゼロから築く必要があることがわかったのです。

佐藤 
なぜホンダはそのような難しいことを実現できたのですか。

ピサノ 
まさにそれを授業で議論するのです。
実は2019年3月、ホンダエアクラフトカンパニーの藤野道格(ふじの・みちまさ)社長に経営学修士(MBA)プログラムの授業に来ていただいたんですよ。
藤野氏はホンダエアクラフトカンパニーのあるノースカロライナ州グリーンズボロからボストンまで「ホンダジェット」で飛んできてくれました。
おかげで議論が盛り上がり、ホンダジェットの授業はとても評判がよかったのです。
授業で藤野氏は、航空機ビジネスという事業機会をどのようにとらえていたか、どのような課題に挑戦したか、などについて率直に語ってくれました。とても印象的だったのは、「イノベーションをおこすためには、長期的な視点で考えることが必要だ」と強調していたことです。
藤野氏は学生に向かって、こう質問しました。
「皆さんの中でプライベートジェットに乗ったことのある人はいますか」。
すると、手を上げたのは数人しかいませんでした。
そこで彼はこう言いました。
「20年後、再びハーバードビジネススクールで同じ質問をしたら、おそらく90%の人が手をあげるでしょう」と。
つまり藤野氏が見ているのは20年後の世界。
彼が目指しているのは、プライベートジェットをもっと身近な移動手段にすることです。
超富裕層や大企業でなくともプライベートジェットを利用してもらえるように、裾野を広げることです。
それにはある程度の時間が必要であることも承知の上です。

佐藤
この長期的な視点は、日本企業の特徴でもありますが、学生からはどのような意見が出ましたか。

ピサノ 
これについては議論が白熱しました。
「30年間も1つのプロジェクトに投資し続けるなんて、非合理的だ」という学生もいれば、「結果的に新しい市場を切り開き、新しいビジネスを成功させたのだから、正しい決断ではないか」という学生もいました。
「現在の組織能力」を基準に考えれば、非合理的な判断となりますが、「将来、新たな組織能力を身につけられる可能性が高い」とすると、合理的な判断となります。
正しいと主張した学生は、ホンダがもともと持っている社風や組織能力を高く評価していて、「ホンダだからこの投資判断を支持する」と言っていました。
また、「投資してみて、結果が出なくとも、学びは残る。だから決して無駄にはならない」と発言していた学生もいました。

■日本企業のイノベーションのカギは ハーバード大教授
ハーバードビジネススクール教授 ゲイリー・ピサノ氏(下)
2019/10/4

佐藤 
ピサノ教授が2009年にハーバードビジネスレビュー誌に寄稿した論文「競争力の処方箋」は、オバマ前大統領の産業政策にも影響を与えたと言われています。
現在、アメリカのトランプ政権は「製造業の復権」を訴えていますが、それはピサノ教授が10年以上も前に論文や著書で指摘していたことですね。

ピサノ 
ワシントン・ポスト紙によれば「競争力の処方箋」は、オバマ大統領(当時)が愛読している3つの論文のうちの1つだったそうです。
12年の大統領選で共和党のミット・ロムニー候補とテレビ討論を行った際にも、オバマ前大統領は私の論文を引用しながら、製造業重視の方針を打ち出していました。
テレビを見ながら興奮したのを覚えています。
この論文をもとに執筆した本が「繁栄と製造業:なぜアメリカは製造業ルネサンスを必要としているのか(Producing Prosperity: Why America Needs a Manufacturing Renaissance)」(未邦訳)です。この本はオバマ政権の時代にとても人気を集めました。
皮肉なことに、トランプ大統領の製造業に対する考え方は、オバマ前大統領とそれほど違っていません。
両者とも「製造業の復権が重要である」と考えていることは共通しているのです。
ところが、どのように製造業を育成していくか、についてのアプローチは全く異なっています。
オバマ前大統領は「アメリカ人のスキルや技術力を向上させるための投資を行うことによって生産能力を取り戻していくべきだ」と訴えていましたが、トランプ大統領は、「アメリカは輸入制限や関税率の引き上げで特定の産業を保護し、国内の雇用を増やすべきだ」と主張しています。
私自身は、やみくもに国内に工場をつくり、雇用者数を増やすことが、アメリカの製造業の復権につながるとは思っていません。

佐藤 
なぜアメリカの大統領は製造業を重視するのですか。

ピサノ 
著書にも書きましたが、その理由は政治家によって異なります。
とても重要なのは、かつて製造業は「たくさん人を雇ってくれる業界」だったということです。
中間層の票を獲得する上で、「あなたの住んでいる地域に工場を建設し、たくさん人を雇います」というのは非常に効果的なメッセージです。
しかし私は、「製造業=雇用の源泉」という考え方は、もはや時代遅れだと思います。
製造業の雇用者数は、トランプ政権になって少し増えたとはいっても、アメリカ全体の雇用者数の7~9%しか占めていません。
トランプ大統領は票を獲得するために「かなうことのない夢」を売っている、という印象です。
今のアメリカが製造業を重視すべきなのは、「単純労働者をたくさん雇うから」ではなく、「高い技術力を持った人を育てるから」です。
製造業は、高度な技術・知識の源泉だからこそ重要なのです。
ハイテク製品の工場を建設し、運営していけば、そこに国力を上げるために役に立つテクノロジーと知識が蓄積し、アメリカ経済の成長に波及的な効果をもたらします。

佐藤 
ピサノ教授はなぜこれほどアメリカの製造業の未来に危機感を抱いているのですか。高度や技術や知識は、アメリカ政府やアメリカ企業がしっかり握っているのではないですか。

ピサノ 
「ローテク製品の生産は中国、ハイテク製品の生産はアメリカ」ときっちりすみ分けができていて、重要な技術は国外に出していないから大丈夫だ、という意見もありますが、これは間違った見方だと思います。
多くのグローバル企業がコスト削減のために生産拠点を国外に移してしまったがために、重要な周辺技術も流出しています。
環境技術、エネルギー、バイオテック、航空宇宙、医療機器などの分野において、かつての優位性が脅かされつつあるのです。
こうした中、何を国外に移し、何を国内に残すのか、を見極めることが重要なのですが、その対策が十分ではないと感じています。

ピサノ
現在、日本だけではなく、世界中の大企業が「我々はかつてのようなイノベーション力を失っているのではないか」と危機感を抱いています。
こうした中、大企業もベンチャー企業と同じようにイノベーションを起こせることを伝えたいと思いました。
今や「大企業になればなるほど、保守的になり、コアビジネスとその周辺ビジネスばかりに注力してしまうため、ベンチャー企業のようなイノベーションは起こしにくくなる」というのが定説になりつつあります。
私もこれまで多くの経営者から「大企業から革新的な製品を生み出すのはとてもむずかしい」「イノベーションを起こすには会社が大きすぎる」といった悩みを聞いてきました。
しかし私の独自の研究や経験から、それが誤った思い込みであることがわかっています。

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なぜホンダは航空機で成功できた ハーバード大の視点
ハーバードビジネススクール教授 ゲイリー・ピサノ氏(上)
NIKKEIリスキリング 2019/10/2





■英断か暴挙か!?ホンダの“脱エンジン宣言”は果たして実現可能なのか?☆岡崎五朗の眼

&GP(アンドジーピー)2021/06/08

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世界中で発売するすべて新車をエンジンのないEV(電気自動車)やFCEV(水素燃料電池車)に切り替えていく??。

ホンダは長年、エンジンに強いこだわりを持ち続けてきただけに、この“脱エンジン宣言”はメディアを中心に大きく注目されました。

そんな同社の宣言に対し、疑問と不安を抱くのはモータージャーナリストの岡崎五朗さん。

果たして新社長の発表はホンダにとって大英断となるのでしょうか?

・現在のエンジン開発は無駄な投資となるのか?

ホンダの新社長に就任した三部敏弘氏が、4月23日の就任会見で驚くべきプレゼンテーションを行った。

2040年には同社が世界で販売するクルマの“100%”をEVとFCEVにするというのだ。

エンジンとモーターと小型バッテリーを組み合わせたHEV(ハイブリッド車)はもちろん、エンジンとモーターと中型バッテリーと充電機能を組み合わせたPHEV(プラグインハイブリッド車)すら廃止する。

つまり、2040年時点で販売するホンダ車は1台たりとてエンジンは搭載しないということだ。

これはもう驚愕以外の何物でもない。

もちろん、今回の発表は政府が掲げた2050年のカーボンニュートラルへの布石であるのは間違いないし、それ自体を批判するつもりは毛頭ない。

しかし、だからといって「よくいった!」と素直にほめたたえられるかといえば、ことはそう簡単じゃない。

「いやいや、EV化は世界の流れであって、ジャガーやボルボも全車EV化を発表しているじゃないか。ホンダだってできるはずだ」、そんなふうに思う人もいるだろう。

だが、年間販売台数はジャガーが10万台、ボルボでも70万台にすぎず、500万台強のホンダとはビジネスモデルが全く違う。

先進国に暮らす高所得者層はEV/FCEV化に伴う価格上昇をある程度は許容してくれるだろうが、ホンダの500万台は120万円台の軽自動車(83万6000円?の「アクティ・トラック」は2021年4月に生産終了)から2000万円超の「NSX」までフルラインナップで商品をそろえ、それらを世界中のありとあらゆる地域で暮らす人々に売った結果の500万台である。

年間数百万台を売るというのはそういうことだ。

そこを理解しているからこそ、トヨタもVW(フォルクスワーゲン)も「エンジン廃止」とはいわない。

ホンダと提携関係にあるGM(ゼネラルモーターズ)にしても「全力でEV化を進める」といいつつ、「どんなクルマを買うかを最終的に決めるのは顧客だ」と予防線を張っている。

そう考えると、ホンダの今回の発表には2通りの解釈が成り立つ。

ひとつは2040年には途上国を含めたほとんどのユーザーが「エンジンを積んだクルマなんてバカらしくて買ってられない」となるくらいEVとFCEVが魅力的な商品になることを前提にしていること。

しかし、後述するがこの前提で計画を立てるのは、ルーレットで持ち金をひとつの目にすべて賭けるような大博打である。

もうひとつは現在の500万台規模を縮小する計画だ。

僕は4対6くらいで後者のウエイトが高いと見ているが、前者をとれば大きな経営リスクが生じ、後者をとれば自社やサプライヤーのビジネス、具体的にいえば雇用確保に大きな影響を与えることになる。

冒頭で「驚愕以外の何物でもない」と書いたのはそういうことだ。

「そうはいっても、2040年までにはあと20年近くあるんだから心配ないのでは?」などと気軽に考えてはいけない。

開発ベースで考えると決断のタイムリミットはもうそこまで来ているからだ。

2040年にエンジン搭載車の“販売”を止めるということは、モデルサイクルから逆算すると2035年前後に発売する新車がHEVやPHEVを含め最後のエンジン搭載車になる。

しかも、たった数年しか売らないクルマのために巨額の研究開発費用が掛かる新しいエンジンやハイブリッドシステム、エンジン車用プラットフォーム(車台)を開発するのは割に合わないわけで、それらの開発は数年、長く見積もっても10年以内に中止する必要があるだろう。

より時間の掛かる基礎的燃焼技術の研究に至っては明日にでも止めなければ無駄な投資になってしまう。

そこにGMとのEV共同開発計画が絡んでくることを考えると、早急にエンジニアの配置転換やリストラ、部品サプライヤーとの調整も行う必要がある。

2040年のエンジン廃止とはかくも重大な決定なのだ。

もちろん、ホンダという企業が生き残りの方策としてその道を選んだことは尊重しなくてはならないし、応援したい気持ちはやまやまだ。

しかし、現時点でのエンジン廃止宣言はあまりにリスクが大きすぎる。

トヨタ自動車や日産自動車はHEVのさらなる燃費向上を目指して熱効率50%を視野に入れたエンジン技術開発を進めているし、エンジンを脱炭素化させるバイオ燃料や合成燃料の研究も世界各地で進んでいる。

一方、EVの増加によってバッテリー原材料の確保はますます難しくなりつつあり、それにつれバッテリー価格も下げ止まり方向にある。

プジョー、フィアット、クライスラー、ジープといった14のブランドを傘下に持つ世界第4位の自動車アライアンス“ステランティス”を率いるカルロス・タバレスCEOは「最近のEV化の流れはわれわれ自動車メーカーではなく政府が決めたものだ。

しかし現実問題として、EVへの一本化は低所得者層にクルマではなく自転車に乗れといっているようなものだ」と発言している。

今後バッテリーに技術的ブレークスルーが起こりコストと性能と発火に対する安全性が向上し、なおかつ発展途上国を含めた世界中の充電インフラが万全になれば「めでたしめでたし」だが、果たして2040年にそんな世の中が実現するだろうか。

確率は絶望的に低いというのが僕の見立てだ。

・今こそエンジニア出身社長らしい冷静な現状分析が重要

ホンダは“脱エンジン宣言”によって自らを袋小路に追い込んでしまったのではないか? 

三部社長のプレゼンを聞いて正直寒気がした。

しかしこの話には続きがある。

先の会見は2部制で、1部が先の脱エンジン宣言、2部がQ&Aセッションという構成になっていた。

当然のようにQ&Aセッションでは「2040年の脱エンジンは絵空事ではないのか?」といった懐疑的な質問が飛んだが、それに対する三部社長の回答は驚くべきものだった。

全編は会見の中継動画を観ていただくとして、要点をかいつまんでお伝えすると「バッテリーは原材料の調達もコストの問題も発火リスクの問題もまだクリアできていない」、「(次世代EV用の電池として本命視されている)全固体電池の開発は道半ばである」、「ユーザーにEVを選んでいただくのは非常にハードルが高い」、「既存の集合住宅への充電設備設置は難しい」、「(EVとFCEVは)どの領域をとってもこうすれば上手くいくという方法がいまだ見つかっていない」などなど、まさに僕がこれまで書いてきたような課題をすべて認めるものだったのだ。

その上で「いろいろいうと論点がボケてしまいますので、今日はあえてEVとFCEVと申し上げましたが、内部では他の可能性の検討を捨てていません」とも語った。

前半では脱エンジンを高らかに宣言し、後半では脱エンジンが現実的ではない理由を羅列する。

同じ人物が語っているとは思えない豹変ぶりである。

いったいこれをどう解釈すればいいのか? 

前半は本田技研工業の社長としての発言であり、後半はエンジニア(三部社長はエンジン開発出身)としての発言だったと考えるのが最も妥当だろう。

経営者としては、脱炭素という世界の潮流に乗っかって企業イメージを向上させるとともにグリーン関連投資を呼び込んで株価も上げたい。

そのためには脱エンジンという分かりやすいメッセージを出すのがいいと考えた。

しかしその一方で、現実を現実として直視するのがエンジニアの性であり、それが後半のQ&Aセッションでにじみ出た。

超一流のエンジニアとして社長にまで上り詰めた三部敏宏という人物の中にある“社長”と“エンジニア”というふたつの異なる立場が、前半と後半で真逆のメッセージを伝えるという摩訶不思議な会見につながったのではないだろうか。

そう考えると、社長という立場の難しさを改めて感じざるを得ないわけだが、それでもやはりエンジニア出身の社長としては現実を踏まえた主張を貫いて欲しかった。

案の定、大手マスコミは前半部のエンジン廃止だけを報じ、また明確な根拠もなく“おぼろげながらシルエットが浮かんできた2030年の二酸化炭素46%削減”を決めてしまった小泉進次郎環境大臣も、ホンダの会見後すぐに「ホンダさんも2040年にエンジンを廃止するといってますし」と、会見内容を政府方針の正当化のために使ってきた。

脱エンジンを目指すことに反対するつもりはないが、説得力を伴った明確な工程表がなければそれは宣言ではなく単なる目標でしかない。

僕が懸念するのは、政府や企業によるこうした根拠のない目標が互いに連鎖拡大し支配的な空気感となって歯止めが効かなくなり、結果的に日本の産業が弱体化することだ。

トヨタ自動車の豊田章男社長はそんな流れを食い止めるべく孤軍奮闘しているが、残念ながらホンダは流れに飲み込まれつつあるように見える。

その点、海外勢はしたたかであり、EV推進を強力にアピールしつつ、VWもステランティスもGMもBMWもエンジンを止める時期は明言していない。

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英断か暴挙か!?ホンダの“脱エンジン宣言”は果たして実現可能なのか?☆岡崎五朗の眼
&GP(アンドジーピー)2021/06/08







■ホンダ、Honda Jet用エンジン「HF120」試験設備など公開
埼玉県和光市にある本田技術研究所内航空機エンジンR&Dセンターにて
2014/12/26





■もうひとつのHONDAパワー「汎用エンジンと電動化」。完成機メーカーにエンジンを供給する理由
Motor Magazine編集部 2021-12-04





■三菱電機、自動車機器事業を分社化 外部との提携も視野
日本経済新聞 2023年4月24日





■日本の半導体はなぜ沈んでしまったのか?
・日本の半導体産業を徹底して潰したアメリカ
「1986年7月に結ばれたのが日米半導体協定」
「アメリカに有利になる内容が盛り込まれ、日本を徹底して監視」
ヤフーニュース(2018/12/24)





■東芝は米国にハメられた。原発買収で起きていた不可解なやり口
・電力会社がS&Wの買収を要請した
・巧みに隠蔽された巨額の超過コスト
「約7000億円という莫大な超過コスト」
「その損失を、全部、東芝一人が背負わされてしまった」
まぐまぐニュース(2017.06.16)





■筆頭株主側の取締役過半数に 日本ペイント、要求受け入れ
西日本新聞 2018/3/1




■日本ペイント、外資に実質“乗っ取られる”までの顛末…
ビジネスジャーナル 2019年04月11日




■日産自動車がついに「日本の会社」でなくなる!
ゴーン氏と仏政府が完全子会社化に
exciteニュース  2018年4月19日  週刊ダイヤモンド




■私物化「限度超えている」 ゴーン容疑者に日産幹部
産経新聞 2018/11/23





■ゴーンvs日産・ルノー 最終戦争
キャロル氏との再婚が会社の「私物化」を加速させたのか
日刊ゲンダイ:2019/04/18




■カルロスゴーン逃亡事件、米軍が関与?結局日本はアメリカの属国





■三井金属、屈辱的な“過激な株主提案”受ける…全取締役の退陣、告発窓口の設置
「物言う株主」
exciteニュース 2019年6月18日 Business Journal





■アクティビスト 日本襲来!
週刊ダイヤモンド(特集)
企業に経営改革を求めるモノ言う株主、アクティビストが株式市場で存在感を増している。
日本企業にどのようなインパクトをもたらそうとしているのか。
その素顔や狙い、手口などを明らかにする。
週刊ダイヤモンド(特集)





■ファンドがコロナ禍で日本企業大買収に乗り出す理由
開戦、ファンドが日本を大買収
~M&A最前線をデータで解明~
ダイヤモンド編集部 杉本りうこ:副編集長
2020.7.29





■「物言う株主」に存在感 環境アクティビズムも台頭
NIKKEI STYLE  2021/8/2





■新型コロナで割安さ増す
アクティビストに狙われる会社ランキング
東洋経済 2020.04.10





■ソニーや三井不動産も実質外資 乗っ取られた日本企業35社
「アベノミクスは円安や官製相場によって株高をつくり出しましたが、その副作用で日本の優良企業は海外ハゲタカの餌食になっているのです」
日刊ゲンダイ(2017/08/04)





■狙い撃ち!米ハゲタカ投資が「コロナ苦境」日本企業を食い尽くす…
「ブラックストーン・グループは、武田薬品工業のアリナミンやベンザなどの大衆薬子会社を約2400億円で買収」
週刊実話(2021年2月6日)





■最新版「外国人株主の持ち株比率が60%超の会社」リスト
「工具のアマゾン」は81%超
会社四季報オンライン 2021/02/12





■武田の大衆薬子会社「半額」で売却、それでもファンドが儲かる理由
週刊ダイヤモンド 2020.9.2





■武田薬品が4000億円で大衆薬ブランドを米外資に売った事情
日刊ゲンダイ:2020/09/0





■アリナミンや本社を売却した武田薬品に何が起こっているのか
経済界 2020年10月28日





■武田薬品、外国人CEO支配による米国企業化「総仕上げ」の先に待つ残酷な未来
週刊ダイヤモンド 2021.6.21




■大赤字ソニー、ストリンガー前会長の「年俸4億円」 「経営責任」取っているのか?
J-CASTニュース 2012年06月28日





■日本企業はなぜ「お雇い外国人」に高額報酬を払うのか
Newsweek(ニューズウィーク)2018年6月21日 松野弘(千葉大学客員教授)





■大企業の外国人トップはことごとく失敗していないか





■オリンパスが祖業売却へ “物言う株主”の破壊力
「19年にアクティビスト(物言う株主)ファンドといわれる米バリューアクト・キャピタルから社外取締役2人を受け入れ」
週刊エコノミスト 2021年11月22日





■オリンパス、改革に拍車 「物言う株主」経営陣に
日本経済新聞 2019年1月12日





■資生堂、なぜ「TSUBAKI」や「uno」を売却?
「外資系投資ファンドのCVCキャピタル・パートナーズに1600億円で売却」
「驚くべきことに、今回売却する日用品事業は赤字事業ではなく、売上高営業利益率5~10%」
biz_journal 2021.02.10





■ソニーや富士フィルムが標的に!物言う株主
・アクティビストに狙われる?
週刊現代(講談社)2019.04.23





■電通の英国企業買収に3つの疑問:日本企業の海外M&Aの陥穽
「電通が英国の広告代理店イージスを約4千億円で買収」
「イージス買収のための莫大な借金」
法と経済のジャーナル(朝日新聞)2012/09/25





■「安藤ハザマ」は最終利益の100%以上を株主還元 物言う株主の標的に
日刊ゲンダイ:2021/11/18





■米物言う株主バリューアクト、セブン株取得 1700億円
日本経済新聞 2021年5月13日




■地銀も狙われた!「物言う株主」が日本企業に突き付ける要求とは?
「ガバナンス後進国ともされる日本の企業社会は格好のターゲット」
ダイヤモンド 2019.11.18





■日本企業の驚くべき衰退とここまで高まっている外資の持ち株比率





■大企業の持株比率で分かる日本が外資に乗っ取られてること。資本主義は経済植民地化計画





■伊藤忠、ソフトバンク…コロナ前後に外資が爆買いした日本企業ランキング40社【米国編】
安いニッポン 買われる日本
週刊ダイヤモンド 2021.8.3





■パナソニックの優秀人材流出、早期退職制度は人材の“焼畑農業”だ
ITmedia 2021年10月08日





■赤字でもないパナソニックが、事業リストラに走る真相
・増収増益なのに
Newspicks 2020/2/20





■前年の3倍 過去最高益なのに…大企業が“黒字リストラ”する理由
FRIDAY 2020年02月04日





■京セラ稲盛氏:社員を路頭に迷わせるな、わがままな株主にはNOを
ブルームバーグ 2015年11月5日





■アフラックが日本郵政と提携 「日本企業は外資の餌食」に?
Huffington Post(ハフポスト)2013年07月24日 安藤健二





■日本郵政・アフラック連携拡大 外資の販売窓口と化す郵便局
長周新聞 2013年7月13日





■やっぱり郵政民営化は郵政私物化であり、郵政米営化だった
・『ゆうちょマネー』はどこへ消えたか
「米営化」というのは、ゆうちょマネーを米国の資金繰りに使いたいという米国の思惑だ
日刊ゲンダイ(講談社)2016/05/15





■外資ファンド、日本の不動産に照準
「英運用大手アバディーン・スタンダード・インベストメンツ(ASI)は専門部署を設立し、高齢者向け住宅などを開発する。米コールバーグ・クラビス・ロバーツ(KKR)は未公開株(PE)と組み合わせた不動産投資を狙う。」
日本経済新聞 2019年8月8日





■『乗っ取られる大国・日本―「金」「土地」「先端技術」を吸い上げるアメリカの戦略』
著者:浜田 和幸
出版社:祥伝社
2001/2/1




■新植民地主義(wikipedia)
・経済支配としての新植民地主義
新植民地主義の責任は、広義では小国に内政干渉する大国や国際的な経済組織に向けられてきた。
この意味で、「新」植民地主義とは現代の経済的な帝国主義の一形態を含意する。
そこでは強国が列強諸国のごとく振る舞い、この振る舞いがポスト・コロニアル世界における植民地主義になぞらえられる。
新植民地主義勢力は直接的な軍事的政治的支配の代わりに、金や貿易政策を駆使して小国を支配していると言われ、この概念を理解する者は、小国に対する「事実上の」支配を見て取るであろう。
旧宗主国やその他経済大国はいずれも、かつての植民地とりわけ原料の供給地としての役割が期待される地域の経済に存在感を示し続けている。
それゆえ、大国はこうした原料の流通を維持し、自国及び多国籍企業を不当に儲けさせるよう、小国の統治機構なり経済への介入を行う度に批判を受けざるを得なくなる。





■外資の餌食 日本の台所が危ない
ひっそり可決…多国籍企業のカネ儲けのため「種子法」廃止
日刊ゲンダイ:2018/10/26





■安倍政権の種子法廃止で、日本の「種子」が外資に乗っ取られる…価格50倍に高騰
Business Journal 2018.12.26





■種子法廃止や種苗法改定に潜む危険 外資が種子独占し農業を支配する構造
長周新聞 2018年5月24日





■フジだけじゃない!キー局〝外資浸食〟の恐怖「意に反する番組作らせない」
東スポWEB 2021年4月7日





■日本のテレビ局が外国資本に支配されている件。

note 2022年3月12日 Noboru Matsushita



■電通を媒介にしたアメリカによるメディア支配

gooブログ 2012年09月21日






■放送局の外資規制、なぜ必要? 世論動かすほど強い力 外国に悪用される恐れ=回答・稲垣衆史
毎日新聞 2021/4/19




■日米貿易協定交渉 TPP上回る譲歩迫る米国 外資の無制限の自由を要求
長周新聞 2019年4月18日





■GHQによる戦後日本の経済民主化は「経済弱体化」だった
PHPオンライン衆知 2021年04月22日
田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授)




■「日本を愛してくれるアメリカ」という幻想
「国体のなかに生きる人間は“自己満足した愚かな奴隷”になるわけで。経済にせよ、政治にせよ、今の日本の末期的状態の根本原因はここにある」
PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)2018/05/14





■アベノミクスのワナ?「規制緩和」「構造改革」は、米国による日本弱体化戦略の一環?
Business Journal 2013.08.08





■安倍政権の本当の狙いは「国民総奴隷化」?
AERA dot. (アエラドット) 2013/07/11




■水道事業、種子法、北方領土……。安倍政権が進めた政策から見えてきたもの
・安倍政権がどうみても「売国」である理由
「安倍は、外資が放送局の株式を20%以上保有することを制限する規定の撤廃を目論んでいた。水道事業を売り飛ばそうとしたり、種子法廃止を押し通したり」
ハーバー・ビジネス・オンライン 2019.01.28 適菜収





■安倍政権、強硬に水道の事実上完全民営化を進める背景…“外資支配”に貢献する麻生太郎副総理
「日本の水も民営化で外資に支配されるのではないか」
麻生氏の発言「日本の水道は民営化します!」
exciteニュース(エキサイトニュース)2019年2月3日





■水道民営化の仕掛け人は竹中平蔵氏か…国民が知らない水道資産120兆円のゆくえ
・安倍内閣・水メジャー・金融/証券と組んで法改定を仕掛けた面々
Business Journal 2019.12.08




■水道民営化のウラに…麻生財務相“身内に利益誘導”の怪情報
「(日本の)水道はすべて国営もしくは市営・町営でできていて、こういったものをすべて民営化します」
日刊ゲンダイ(講談社)2018/12/12




■狙いは中小企業の淘汰!~ブレーン「中小は消えてもらうしかない」~「アトキンソン氏の主眼は、最低賃金の引き上げによって中小企業を淘汰」
exciteニュース(2020年12月11日)





■経済安全保障推進法成立へ。企業活動への過剰関与のリスクも
NRI(野村総研) 2022/5/11




■経済安保推進法が成立 来春から段階施行 企業活動に政府の関与が強まる懸念
東京新聞 2022年5月11日




■経済安保法が成立 国の企業活動への関与を強化、透明な運用に課題
朝日新聞 2022年5月11日




■【三橋貴明】国際金融資本の代理人
「新」経世済民新聞 2020年9月13日




■選挙請負会社ムサシは電通や外資と仲よし
アメブロ katsukoのブログ 2014-12-18




■『デジタル・ファシズム 日本の資産と主権が消える』
著者: 堤未果
出版社:NHK出版
発売日:2021年08月31日

https://a.r10.to/hD9lT7




■起承転結で学ぶ、日本経済のバブル崩壊から異次元緩和までの歴史
・日本経済が破滅に向かう転機となった「プラザ合意」
東条雅彦 | マネーボイス




■日本経済を“丸ごと刈り取った”ユダヤの陰謀とは? バブル経済崩壊、その巧妙な手口!
exciteニュース 2016年11月8日





■Honda Jet エンジン音がヤバい!! カッコ良さ満載 信州まつもと空港




■日本のテレビ・マスメディア・政府は外国資本が買収済み「苫米地英人」国家を企業が支配する時代に?TPP解説?




■【外資ファンド利益?!】日銀金融緩和で刷られた円の行き先が日本企業でも日本国民でもないカラクリ(Dr.苫米地 2016年9月15日)TOKYO MXバラいろダンディ




■選挙集票システム会社「ムサシ」株主は「外資系」だった!




■「不正選挙の明白な証拠!選挙結果が操作されている」孫崎享氏(元外務省・国際情報局長)




■プラザ合意と日本潰し
テンミニッツTV 2021/07/08 島田晴雄 慶應義塾大学名誉教授 





■国際金融資本・グローバリズムは日本型共同体を破壊したい [三橋TV第297回] 三橋貴明・林千勝・saya
99,149 回視聴





■国際金融資本の真相を知り、「日本国民の国」を取り戻そう  [三橋TV第299回] 三橋貴明・林千勝・saya 2020/10/09 




■【株式会社アメリカの日本解体計画】 郵政民営化は売国政策だった 
アメリカにむしばまれる日本 言いなりの日本政府


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