美術のなかの実学
福沢諭吉の学問ノススメには、タイトルの通り学問を推奨している。私もNHKの「日本語であそぼ」にて、
『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』
というフレーズに慣れ親しんでいたが、その真意というのは一見したときに受ける印象とは正反対であり、ざっくり意訳すれば
「人は平等だよ。でもなんで成功者とそうでない人にわかれるんだろうね。それは学問をしてるか否かだよ!でも文学とか、食えない学問じゃ意味ないよ!実学をやろうぜ!そうすれば格差だって埋められちゃうんだ!」
そんな感じのニュアンスだったと思う。
美術のなかの実学
世間的に言われる実学というのは、それを勉強すれば確実に就職やビジネスにおいて役に立つ領域を指している。会社経営に必須であるお金の動きを扱う簿記、理論を応用することを前提にしている工学などがそれである。
さて、美術という世界における実学についてみていこう。アニメ私塾の室井康夫氏は徹底した実学主義をとっていることで有名だ。
氏はジブリ出身の商業アニメーターであり、後進の育成と業界の発展のために私塾形式で商業アニメのスキルを教えてきた人物である。
「商業アニメの世界で必要な技術を学ぶこと=美術における実学」と定義できそうだ。
具体的には、
・デッサン力
・パースの知識
・人体解剖学への理解
・アニメ系の絵柄の記号的表現の習得
・動画マンで求められる正確なクリンナップ(清書)作業
などであろうか。
では、入試で技術を身に着けてくる美大生はどういった存在と言えるだろう。これは「ヘタウマ」という潮流が非常に参考になる。
へタウマ | 現代美術用語辞典ver.2.0より、
美大の油絵学科を卒業した作家にこうしたヘタウマ系の作風の絵を描く人がしばしばいる。というかかなり多い。なんでだかわからないけど多い。私の美術部時代の恩師は二人ともそういう画風だったし、尊敬する漫画家の山田玲司先生もこういった作風である。
こうしたあえて技術を放棄する姿勢というのは、実学的立場をとる室井氏的視座から言えば、「現場で使えない虚学」といえるだろう。
しかしながらそもそもとして、確かなデッサン力(=技術力)がある上でのそうした活動というのは、「実学を虚学へ応用した例」とも言えなくもない。
そもそも、美術大学に設置されている学科は別に純粋芸術ばかりではない。
絵画・彫刻などは実学的性質の強い商業アニメと比較すると虚学的性質が強いのは確かであるが、建築デザインなどは一級建築士受験資格が得られるなど非常に実学的側面を持っている。
デザインというのはそもそもとしてそうした美術的感性を社会問題の解決へ応用する実学であるといえる。
しかしながら本当に実学か・・・?と言えばそうとも言い切れなく、
大学で教鞭をとっている原田教授は建築のデザインを追求する設計事務所へ行くよりも大手のゼネコンにいくことを推奨している。そして、もちろんのこと大手のゼネコンに行くのであれば美大の建築よりも一般大の工学部のほうが有利であることが想像でき、
美大でやる建築=虚学のなかの実学
建築学における建築デザイン=実学のなかの虚学
といえるのではないだろうか。一般大における建築学科は意匠系・構造系・施工材料系・・・などに分類される。
一般大工学部の意匠系≒美大の建築学科
と定義すると、数学などを応用するより実学的側面の強い構造系などはそもそも美大の建築学科ではやらないので、やはり建築学という枠の中では、デザインは比較的虚学的性質が強い。
いずれにせよ、どの分野も虚学的性質をはらんでいたり、ある側面においては実学的側面をもっていたり、そうした複雑なコンテクストの中にあることが理解できる。
芸術は虚学か、それとも実学か
一般的に、油絵をいくらうまく描けたところで就職には活きない。しかし、ゲーム会社の就活においてはしばしば、そうしたファイン系の学生が重宝されるといううわさもある。3DCGをやらせるなら、そうしたデッサン力に優れた人材を教育したほうが、確かにその後の伸びしろがあるという理由だそうだ。
ゲーム会社においてはアート=実学、と言えるかというと、先ほども提示した通り、入学時点でデッサン力を身に着けているという意味で
ファイン系学科(※)=実学を虚学へ応用している人たち
※fine art:純粋芸術の意。油絵学科や日本画学科、彫刻学科などをしばしばそう呼んだりする。
であるので、そもそもとして美大入試相当のデッサン力があればそもそも純粋芸術経験自体は不要である可能性さえある。そうした実学的アプローチに焦点を当てた教育機関が専門学校にあたるだろう。
しかし、近年、「アート思考」と称し、アーティスト的の創造的アプローチをビジネスに応用しようとする風潮もあり、その究極系が
ダニエル・ピンク氏の提唱する
という考え方である。MBAとは経営学修士のことで、知らない人にざっくり説明すれば、意識の高いビジネスマンがよく欲しがる学位のことである。日本においても社会人向けにオンラインでこの学位が得られる大学院があったりするらしい。
グロービス経営大学院
MFAとは、芸術学修士のことで美大の大学院を卒業すると得られるものである。
MFA=MBAであるとするならば、「芸術」がむしろ「実学」であるということが成立する。
ただ、いち絵描きとしての感覚から言えば、学位をとったらいい作品が作れるのか・・・?というとそんなわけはなく、そもそも学位などなくても優れた創作物を生み出している絵描き・クリエイターは数多存在している。
実際問題、純粋芸術系の学科で抽象画やさきほど提示したヘタウマ的作風の純粋芸術表現だけをやってきた場合、少なからず商業アニメでのポートフォリオでは評価されないことが予想されるので、国内クリエイター就活において、やはり純粋芸術は虚学的性質が強いのは確かである。
では、なぜアート思考などがもてはやされているのだろうか?
これは、「もともと実学の立場をとっていた人が、そうしたアーティスト的アプローチを取ることで新たな発見があるかもしれない」ということなのではないかと個人的には考える。個人的な感想だが、つまりこのダニエル・ピンク氏の発言の真意は、”ビジネスマンがMFAを取れば、それはMBAと同等の価値があるかもね”ということなのだと思う。
ビジネスマン+芸術=スーパービジネスマン
なのであり、
芸術家≠ビジネスマン
という前提は覆らないのではないだろう。
だから、そうした意味で、商業アニメーター(=実学的)でありながら、純粋芸術的思考(虚学)ができれば、それをひっくるめて実学たりえる可能性は十分にありうる。
こむぎこ2000氏の存在
自主アニメ作家の権威ともいえるこむぎこ2000氏は、アニメ私塾の無料動画で商業アニメの手法を独学し、その後自主制作の分野において多大な成果を上げている。
以前より(当時の)こむぎこ2000氏の作風は先に提示した「ヘタウマ」に近いのではないかと考えていた。それは、上記のように、商業アニメ的手法を修めながらも、現場で求められるクリンナップなどを無視し、あえて粗い線で仕上げているからである。
アニメーターになるとまず動画マンとしてのキャリアがスタートし、そこではクリンナップという清書作業が必須となる。いくら絵がうまくとも、このクリンナップで挫折すると辞めざるを得ないというのが業界の通説であり、そうした観点で言うと(当時の)こむぎこ氏のタッチというのは、商業アニメの現場においては虚学的側面が強い。
しかしながら、先ほど提示した「ビジネスマン+芸術=スーパービジネスマン」という存在の最たる例と言えるのではないだろうか。商業アニメーター=ビジネスマンというのは、やや語弊があるが、世界全体を構築していくこむぎこ氏の姿勢は、アート思考のアニメ分野への応用である気がする。
そもそもとして、数学科出身のアニメ私塾の室井康夫氏自体、
実学的思考+art=innovation
の体現者と言える。その潮流の中にあるこむぎこ氏もまた、実学+artの存在と言えるのではないだろうか。
結論
もし、あなたがビジネスマンなのだとしたら、芸術的思考はむしろ実学足りえるかもしれません。逆に、あなたが純粋なアーティスト・虚学者なのだとしたら、実学を学ぶことによって更なる飛躍につながりうるかもしれません。
ダニエル・ピンク氏のお話は、領域を横断することで新たな価値が生まれるというのが実態であり、元々芸術をしている人がそれで身を立てるにはやはり実学を学ぶ必要があるのかなぁといった印象です。
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