茶髪の子少し遅れて墓参
子どもの頃はお墓参りって
大切なことだとはわかっているんだけれど
なんだか何をしてよいかわからず
大人たちの後について歩いて
真似をして水をかけたり手を合わせたりするも
なんだかぎこちないような恥ずかしいような
そんな感覚があったことを覚えています。
両親が亡くなってからは
お墓は亡き人に会いに行く場所だ、
これは残った人たちのために
ある場所なんだなと
ようやく実感としてわかったような
わからないような?
そんな気がしています。
息子たちも度々参ってくれましたが
思春期の息子たちも
ゆるゆると後から付いてきていたなと
なんだかそんな事をふと考えた
季題「墓参」でした。
さて私が死んだ後は
別に墓など要らないので
まあ息子たちが考えて
煮るなり焼くなり埋めるなり(笑)
好きなようにすりゃいいと思ってます。
いや、煮られるのはちょっと・・・w
楽しい幸せな人生を送らせてもらったし
死んでからもできるだけ迷惑かけたくないので
死後の事にお金などかけずに
生きている人が使ってね!
あら、それは残すようなお金のある人が
言う事でしたねw
なんだか遺言のような
終活のような記事になってしまいましたが
こういう人に限って
長生きするねん、きっとw
(俳句生活 「墓参」 人選)
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