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私が愛してやまない〈家族〉
家族を愛しています。
そう言えるようになったのは、ほんとうにごく最近の話。
まだくすぐったいような、気恥ずかしいような、そんな感覚もある。
腹が立ったり、憎く思ったり。
信じられなかったり、孤独を感じたり。
時には手をあげてしまったり、怒鳴ったり。
そんなことを繰り返しながら、どれほどの月日を過ごしてきただろう。
I(アイ)とI(アイ)
思い通りになどならない、ということを体で感じながらも、伝えたいことは山ほどあって。
だけど、伝わるということだけが大切なわけでもないんだとわかったのも、最近のこと。
家族とはなにか。
人間も、我が家の猫さんも、一緒に住んでいない親兄弟だって、私にとっては家族。
家族とはなんなのか。
はっきりとした答えはないけれど。
そこにあるもののひとつが、愛なんだろうな、なのかもな、と思ったりする。
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だって、守りたいから。
そのために必要なら、私は戦えるから。
必ず守ると、誓ったのだから。
歯痒さも、苛立ちすら、愛。
伝わらなさも、愛。
そこに想いを馳せることが、愛。
私の欲しいものではなくとも、あなたの欲しい形で与えられていなくても、愛はある。
だからこそ、私が私を感じ、私について想う時も、そこに自分への愛もあるのではないかと、思う。
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アイのかたち
アーティストMISIAさんの曲。
もしもアイ(愛)というものが目に見えるものだったら、私たちはもう少し上手に心のやりとりができただろうか。
私の欲しかったソレは、私の欲しいカタチではなかった。
でも、与えようとした方は、ソレがアイ(愛)のはずだと信じている。
自分がほんとうに望んでいる愛ですらも、自分自身でわかっていないこともあって、自分を蔑ろにしたり無視したりすることだってある。
目に見えない想いというものは、伝わっていないことの方が多いのかもしれない。
アイ(愛)にはいろんなかたちがある。
アイ(I)にもいろんなかたちがある。
それぞれの、愛。
これからも私たちは、もがいていくのだろう。
歯痒さを抱えながら、喧嘩をしたり苛立ちを覚えながら、それでも諦められずにそこへ向かっていく。
捨てられないのは、背を向けられないのは、
やっぱり愛があるからなんだろう。
嫌いも憎いも、苛立ちもやるせなさも、その中には多かれ少なかれ愛がある。
かたちのない、目に見えない、愛。
愛に憧れ、追い求めながら、今日も生きる。
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