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【2025/自分で在ること】飛び込んだ先で見つけた、揺れと安心と、私だけの「これでいい」

時はすでに、2025年元旦。

2024年の年の瀬は、言わずもがな、家族のパンデミックで大騒ぎしていた。
まぁ、やることが山ほどあったわけではない。
私の「気持ちの問題」ってやつである。

(なんとなく、落ち着かない。)

これも私の気質…〈考えすぎてしまう〉という気質所以なんだろうなぁと思ったりする。

2024年を思い出してみる

過ぎたことというのは、なかなか思い出せないものだ。
「あー!そんなこともあった!」と言われてやっと思い出す程度だし、まして自分がその時どんな気持ちだったかなんてことは、思い出せようもない。

ただ、今振り返ってみると、
〈飛び込んだ〉年だったなぁ、とぼんやり思うのだ。

長年抱えていた「モヤモヤとした感じ」
その本質を掴むための、HSS型HSPさんの講座。
自分の可能性を新しい仕事に繋げるための、起業塾。
このnoteで「書く」ことを再開し、コミュニティに参加したのも、大きな一歩だった。


飛び込むということは〈揺れる〉ということ

〈飛び込む〉ことだけでも、〈勇気を出せた〉という達成感が得られて、自己肯定感が高められると思う。

ただ、飛び込んだ先で、その時の「やれるんだ!」という気持ちをずっと持ち続けられるわけではない。

…やりたいことをやっている人
…とことん好きを貫いている人
…素直に行動できる人
…もう結果を出し始めている人

当たり前のように目の前に突きつけられる、周りと自分との〈違い〉。
先々への不安が強くなりやすい、そんな気質も、感情の揺れを更に大きくした。

それでも持ち直せたのは、やはり「大丈夫」の力だったように思う。


安心はどこにあるのか

よく聞く〈安心〉という言葉。
安易に使っていたけれど、去年はこの言葉のこともよく考えていた。

安心・安全な場所。それは攻撃されない、批判されない場所だろうか。
誰かがいれば安心なんだろうか。
大丈夫と言ってもらえればそりゃ嬉しいけど、本当に私は「大丈夫」と思えているのだろうか。

周りからもらった優しさや「大丈夫」
応援されているというありがたさ
私にある可能性や厳しいことをも伝えてくれる人たち

そういう存在が「ある」ということももちろん大切。
だけど、「ある」ということを力に変えて、〈自分で動くこと〉でしか、安心は感じられないんだと、改めて感じるのだ。

…飛び込み、揺れ動き、また飛び込む。
その繰り返しの中で、自分で「在る」訓練をしているように思う。

何度も何度も、決めていいということ

「自分からだけは逃げないって決めたらいいんじゃないかな」

そう言われたことを、時々思い出す。

〈0-100思考〉に偏りがちな私たち。
決めたはずなのにできなかった=The End
オートマチックに流されて、私たちは自責のターンに入っていく。

だったらもう、その辛い方程式を捨てて、〈何度決めてもいい〉ってことにしていいんじゃないかな。
…そう、考えた。

人は忘れる生き物。決して万能じゃない。
何度も、何度も、「こうする」「こうする」と決め続ければ、いつの日にかその言葉が自分に染み渡っていくかもしれないのだ。

全て、ひとつじゃなくていい


私の可能性も、ひとつじゃなくていい

もしも今、好きもやりたいことも見つけられていないのなら、いろいろなことをやってみよう。
その先で、何かを見つけるかもしれない。

ひとつを深く追求するのが得意な人もそうでない人もいる。
そう。
私から輝いて見えている「アノヒトタチ」と、私とも「違う」
好きも嫌いも、感覚も全て、違う世界線を生きている。

だから、自分を責めるくらいなら、その決めごとも緩めていいんだ。


全て、変わってゆく。


今、なんだか苦しくて息が詰まりそうなら、何かが重くて傾きすぎているのかもしれない。

ひとつのことを追求できるのも、個性。
だけど、「長く続けること」や「深く追求できる」〈だけ〉が善ではない。

ひとつしかないわけじゃない。
ひとつだけしかやっちゃダメなわけじゃない。
それしかないわけじゃない。


2024から2025へ変わった。
時は流れ、人も変わる。
私も変わる。
今見えている道も、どこで行き先が変わるかもわからない。


ただひとつ。

それぞれの「幸せ」に向かうことを忘れなければ、変わっていい。緩んでいい。
そう思う、今年の始まりの日だった。

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