部屋干しタオルと不機嫌な気持ち
乾燥機が壊れた。
こりゃ痛い、、、面倒だ、、、
アメリカに来てから既に3回の引越しを経験しているけれど
洗濯機と乾燥機は常にセットになっていて
濡れた洗濯物を乾燥機に入れる(投げ込む・・・的な)のに
すっかり慣れてしまったから。
大袈裟な感じもするけど超億劫。
仕方がないので、奥の方に追いやられていたハンガーや物かけを集めてきて
洗濯物の部屋干しを随分久しぶりにすることになった。
空気が乾燥している今の季節は結構直ぐに乾くので
部屋干しでも数時間で「濡れてない状態」にはなった。
日本に住んでいた頃のことを思うと随分早い。
でも
タオルや服がパリパリになった。
もっというと、
バリバリ、ザラザラ、ゴワゴワ。
痛い。
柔軟機能は柔軟シートなるものを使っていて、
乾燥機に入れるので、洗濯直後の生地は汚れが落ちただけ。
すっかり忘れてたけど
柔軟剤がないとこんなにざらざらして痛いんだな、、、
と、肌触りの悪さに柔軟剤の必要性に気付いた。
「気持ち」も同じだ。
イガイガしたり、ざらついた気持ちになる時もある。
そのまま誰かに関わると
その痛々しい感じの関わりになってしまう。
私はずっと感情に敏感な方だったのだと思う。
人事やコーチングといった「人の事」を対象とする仕事をしていると
相手や自分の心の動きを捉えるアンテナは割と開発された方だと思う。
でも、この仕事を始める前から
実はその質が強めなタイプだったのだと思う。
反抗期は結構キツめで
母も弟妹も泣かせた
後から聞いた話では、学校の先生も泣かせたらしい
(本当に涙を流させてしまったようで絶対に会いにいけない 恥)
いわゆる行動が荒れる、というよりは
気持ちが荒れる、という感じで
それは睨みつけたり、無視したり、
不機嫌さを態度で出すという形で表出していた。
自分のいがいがした気持ちを扱えきれず
ぐちゃぐちゃで自分でもよくわからない内面に
入って来させまいとしているような感じで
言葉がキツくなって
態度もキツくなって
攻撃的になって
針の先っぽを相手に向ける感じで
外傷ではなく、目に見えない内側に
ズキズキと鋭い痛みを相手に与えていた
周りの顔も暗くなっていく度に
こんなの(私)と関わってやるものかと
周りを困らせているなぁと薄々気付いているんだけど
そんな周りを見て自分もどんどん不機嫌の沼にハマる。
その時の自分は自分のことで一杯一杯で
周りのことを考える余裕がなさすぎた
反抗期は、誰もが通る道ではある(と言われている)。
それを私は思いっきり、存分に経験した。
今思えば、
あの頃の私は明らかに柔軟剤が足りていなかった。
一見大丈夫そうなのに
乾燥しきって、毛羽立っているタオルみたいな感じ。
あの時柔らかくなれていれば、
気持ちを落ち着かせて
何が起こっているのか観察できた。
まず自分不機嫌具合に気づくこと、
内面に起こっている複雑な感情に自覚して
反射的に反応しないこと、
これって感覚として痛いとに気づくこと、
本当はどうしたいのか考えること、
助けが必要なら助けてということ。
順に追ってできたのかも知れない。
気持ちの柔軟剤とは、
心の揺れに自覚的になって、
自分と周りのために責任持って選択すること。
実は大人になっても
それができない瞬間は多々あった。
というか、今もある。
なんか変だな、と思っても
内面に起こっていることと、本当はどうしたいのか
言葉に出すことが難しいこともたくさんあるので
部屋干しザラザラタオルな私のままで
周りに当たることもある。
それは全部1人でやろうと思わなくていいのだ。
柔軟剤みたいに、何かの仕組みや仕掛けを
使っていけばいいのだ。
話してみる
聴いてもらう
意見や言葉を交わす
というのはその一つかも知れない。
自分の感情と行動に責任を持って
自分と大切な人たちを大事にできる
選択ができるようになる
当たり前のようだけど
日々を回していると
ふとそんな在り方から離れた自分が出ていることにも
気づく。
それが、聴いてもらう時のサインかも知れない。
ふと、お風呂上がりの息子の肌が少し赤くなっているのをみて
タオルのザラザラ仕上がりが
敏感な人肌にどんな影響を与えるのか
目の当たりにして
外傷もあるやんっ(涙)
とわかって
これはなんとかして変えなきゃいけないなと。
今日は洗濯機用の柔軟剤を買いに行こう。