66 飛んだらイスタンブールだ かっこちゃんへ
かっこちゃん、韓国の旅お楽しみさまでした。
かっこちゃんの旅を体験する現地のガイドさんは、みんな仲間になってゆくね。
ガイドさんは、いわゆる「旅のプロ」だから、数えきれないほどのツアーをこなし、
覚えきれないほどの人たちを案内しています。
それぞれの旅の目的を察し、ツアーのリーダーの想いを叶えるために走り回る。
ときには参加者の体調や心のケアまで気を配る。
それに加えて現地の旅行社の仕事・・・例えば、お土産屋さんに連れて行って買い物をしてもらうとか・・・ そう、「旅のプロ」だからあくまでもビジネスであって、心を開いて友だちのように振る舞うことはあまりないように思う。
海外旅行が近づくと、旅行社から旅のしおりが届きます。
そこにはいろんな注意事項と旅程が書かれています。
一般的なツアーでは、書かれた場所には必ず行かなければならないのです。
もしも、書かれた場所に行かないようなことがあったなら、クレームとなり、
ことによると旅行社が訴えられることもあるそうです。
だから、ガイドさんはその旅程を消化するために時間を気にして、旅の間気が休まることがないのですね。
かっこちゃん、ぼくらの旅は「予定通りでありません」と最初に言うよ。
旅程を消化するのではなく、一緒に二度とない旅を創造したいからね。
あ、ここでゆっくり話したい・・・
ここは早めに済ませよう・・・
参加している仲間の雰囲気で臨機応変に変えてゆく。
ガイドさんもいつの間にか一緒に旅を楽しむひとりの仲間となってゆく。
すると、表面的な観光案内を超えて、胸の内のほんとうを話してくれるようになる。
バラさんとの出会いは、まさに魂の触れ合う無上の喜びだったね。
バラさんは、かっこちゃんに「僕を仲間にしてくれるかい」って聞いた。
かっこちゃんは、「あたりまえだー!」って言った。
ぼくの記憶の中では、そんな風になっている。
誰かがリーダーで、その人に従うグループばかりだとバラさんは言ったよ。
教会の神父さんや牧師さんについてゆく信者の群れを見慣れていたバラさんにとって、
かっこちゃんのようなリーダーは初めてだったんじゃないかなぁ。
上も下もない、強いも弱いもない、偉いも偉くないもない。
みんながそのままで平らかに自分でいられる。
それでいて、仲間を思いやって誰かのために手を差し伸べる。
旅を通してやさしくなって、強くなってゆく。
もちろん、どこに行くかは大事さ。
でも、もっと大切なのが誰と行くかだ。
バラさんとは、12年間一緒にイスラエルを旅した。
たくさんの仲間をイスラエルに案内し、バラさんと一緒に歩いたんだ。
もうバラさんと一緒に行かれないけど、新しいガイドさんと組んで旅は続けている。
バラさんとの対話を楽しみながらね。
かっこちゃん、この手紙は新幹線の中で書いています。
明日の夜、イスタンブールに飛ぶのですよ。
いよいよ、かっこちゃんとの約束の旅「かっこちゃんをカッパドキアで気球に乗っけよう」ツアーが始まるのですよ。
どうですか。
決めたら実現するね。
気球で空から日の出を見るから、夜明け前に出かけるよ。
寒いから温かくしていこう。
僕がこの前カッパドキアに行ったとき、気球に乗れませんでした。
コロナの前だったけど、全国の経営者が集う旅で、主催者の來夢さんが
「万が一のことがあったら、日本の経済界の大きな損失になるからね」と、
乗せてくれなかったのです。
数えきれない気球が空に昇ってゆくのを見ながら、今度来るときは空からカッパドキアをみたい、と強く願いました。
かっこちゃんと一緒に来ようと思いました。
強く願ったから実現したよ。
東京に向かう新幹線の中で、もうすでにカッパドキアで気球に乗ってる気分さ。
5年前、そうちょうどイスラエル建国70年の時にイスラエルを旅しました。
友だちの舩井勝仁さんが主催してくれて、ゲストに本田健さんと久米小百合さんが参加してくれました。
本田健さんは、「ユダヤ人大富豪の教え」という大ベストセラーの作者。
ユダヤ人の本を書いているのにイスラエルに行ったことがないというから、
じゃあ一緒に行こうよと誘ったら、喜んで!って来てくれました。
久米小百合さんは、教会で賛美歌を歌ってるシンガーソングライター。
かつて、久保田早紀の名前で歌を唄っていて、
デビュー曲の「異邦人」は同世代の人ならだれもが知ってる大ヒットナンバーとなった。
かっこちゃんもわかるよね?
もうあの印象的なイントロがすぐに蘇る。
イスラエル建国70年のお祝いに、あの曲を歌ってもらったんだ。
大好きだった曲を、イスラエルで、本人に歌ってもらえるなんてすごくない!?
かっこちゃん、人生は素晴らしいね。
おっと、久保田早紀さんの話をしていたら本題に帰って来られなくなる。
話を戻そう。
本田健さんは、そのときのイスラエルの旅をたいそう感動してくれて、帰国後ボクにプレゼントがしたいと連絡をくれた。
それが來夢さんの個人セッションだったんだ。
來夢さんのことは以前から知ってはいたよ。
建築会社の社長だった頃、マーケティングを勉強していて、最も影響を受けたのが神田昌典さんでした。
神田さんが來夢さんと書いた「春夏秋冬理論」はとっても面白かった。
來夢さんは、アストロロジャーと名乗っていて、西洋占星学に独自の手法で人の運命を読み解く人でした。
一度会いたいなぁ、と思ったけど、來夢さんの会員になって個人セッションを申し込んでも、運が良くて4年待ちだと聞いて、会えることはないと思ってた。
本田健さんは、毎月來夢さんの個人セッションを受ける枠をずっと前から持っていたんだって。
「ユダヤ人大富豪の教え」も來夢さんのアドバイスがなければ出てなかったかも知れない。
もちろん、その人に依存するのはよくないけれど、知らないより知っている方がいいこともあるよね。
「赤塚さん、來夢さんの個人セッションをプレゼントするよ」
こんなことがあるんだね、かっこちゃん。
僕は、東京は原宿、表参道にある來夢さんのオフィスで出かけて行ったのさ。
そしたら、もう、なんと、
おや、まあ、あら、さて
來夢さん、もうびっくりするくらいそっくりで、泣きそうになった。
糸川英夫博士のパートナー、アンさんとそっくりなんだよ。
雰囲気も、声も、タバコの吸い方も江戸っ子の喋り方まで。
「あかつかさん」って話しかけられたら、まるでアンさんと話してるみたいになって・・・
初対面のぼくに、
「いま赤塚さん59よね、30年前に大きな出会いがあったでしょう。
星にそう出てるよ。
そのことが、これからの30年を導いていくからゆっくり思い出そうよ」
59の30年前・・・29歳・・そうだ、
糸川英夫博士と出会って、イスラエルへ初めて行った年だ。
かっこちゃん、目に見えない不思議なことはあるね。
だけど、不思議は詮索しない。
やがて來夢さんから電話があって、ぼくは4年待ちのはずの個人セッションを年に4回受けられるようになった。
來夢さんをイスラエルに案内もした。
その旅に神田昌典さんも参加して、仲良しになったよ。
トルコに行こうと來夢さんが言って、僕はカッパドキアに行ったんだ。
気球には乗れなかったけどね。
「あかつかさん、私には還暦は来ない」
そんなことを言っていた來夢さんが突然天に還って行ったのはコロナ禍の中。
59歳だった。
腰が痛いといって、医者に行ったときにはもう手が付けられない末期のガンでした。
「あかつかさん、私は思いっきり生きたから、
なんも未練も後悔もないよ。
あんたもいい子でがんばるんだよ。
じゃあね」
かっこちゃん、それが來夢さんとの最後の電話でした。
明日トルコに向かうとき、きっと來夢さんも来るね。
來夢さんも気球に乗ろう。
もっと高いところに昇っていったかも知れないけど、
誰と一緒かは大事さ。
ゲラゲラ笑ってる來夢さんをいまもすぐそばで感じる。
さあ、新幹線は新横浜に着く。
もうすぐ東京だ。
かっこちゃん、飛んだらイスタンブールだ。
羽田空港で会いましょう。
高仁