7 「魔法の文通」今年は花桃がたくさん実をつけました。赤塚さんへ
「魔法の文通」今年は花桃がたくさん実をつけました。赤塚さんへ
赤塚さん、お返事ありがとうございます。
モナの森ができて初めて、花桃がたくさん実をつけました。いろいろな小鳥がいっぱい食べに来て賑やかです。
赤塚さん、東京のシャロームフォーラムは大盛況で、素晴らしかったとたくさんの方に伺っています。
どうかどうか、糸川先生の思いや糸川先生の素晴らしさを私たちやこれからの多くの方のために伝えてください。
病弱養護学校に勤めていたときのことです。そこには、慢性の病気を持っている子供たちや、なかなか地域の学校に行くことが難しいお子さんが通って来ていました。
「ねえ、かっこちゃん、なんで勉強せんといかんの? どうして理科とか数学とか、難しいもんもやらないかんの?」と子供たちが尋ねるのです。学校に長く通えていない子供たちには学習空白と言われる期間もあって、不安も多かったり投げやりになることもあったのだと思います。
子供たちの質問にはいつも一生懸命答えたいのです。
「私も考えたんだけどね」と子供たちとお話ししました。「みんなはこれからの未来を作っていくんだから、昔の人が勉強したり、発見したりしたことを土台に新しいこと考えたり発明したりしていく人なんだと思う。だったらこれまでの人が作ってくれた土台は知っといたほうがいいのかなあ。どう思う?」
あきらくんはなぜか笑いながら「かっこちゃんの考えはこれまでで一番いいわ」と褒めてくれました。
「これまでの答え?」と聞いたら「『高校受験のために必要』とか『大人になって困らんために』とか、『みんなそう思っても勉強してきたんやから』とか、そう言う答えを大人の人は言うもんなんや。それなんやと俺は思うわ。それやったら、『掛け算できなくても、携帯で計算できるし、何も困らんわ」って言えるけど、かっこちゃんの答えは、なんか夢があるな」みんなも頷いてくれました。
あきらくんは何度もいろんな人に聞いてきたんだなと思いました。そしてみんなも、学校に行くのが大変だったりしたから、いっそう勉強のことを考えたのかもしれません。
ねえ、赤塚さん、子供たちが糸川先生のことを知ったら、どんなに大きな夢につながることでしょう。いろいろなものに興味を持って、そして、材料がないとか、これまでした人がいないとか、もっともっといろいろな困難があっても、そんなことにはとらわれずに、その積み重ねで大きなことを成し遂げていく。困難が多かった子供たちにも、きっと届く話です。糸川先生の人となりは、晩年にずっと一緒にすごされた赤塚さんでないと伝えられない。だからね、赤塚さん、どうかずっとお話ししてね。いっぱいいっぱいお話ししてね。
赤塚さん、私も大好きな村上和雄さんのこと。ずっと伝えたいです。先生は「僕を存分に使って、サムシング・グレートを伝えてね」って私に言ってくださったのです。
考えれば、憧れの村上先生からお電話をいただけたり、私もかけたりできるようになったのは、先生の晩年の10年か15年かそれくらいです。赤塚さんと糸川先生のようにそばで時間を過ごすなんてことは、少しもなかったけれど、私はいつも先生がお電話などでおっしゃってくださった短い言葉を繰り返し考えていました。
村上先生のサムシング・グレートのお考えは、私はみんなを幸せにすると思えてなりません。いらないものもひとつもなく、いらない人ももちろんいない。みんなが自分を好きでいいし、起きることは必然で、きっといつかのいい日のためにあるし、誰とも比べなくてもいいし、羨まなくてもいい。そして、憎む必要もない。みんな平らかな存在だと、先生は知っておられたからこそ、誰に対しても優しくて、誠実に耳を傾けてくださいました。すごい方なのに、少しも偉ぶらなかったのは、心底、サムシング・グレートが本当であることをご存じだったからだと思います。そして、だからこそ、誰でもいつでも幸せなのだと伝えてくださったのだと思います。
そして、細胞が、ホルモンによってスイッチがONになるように、人やものやことと出会って変わっていけるのだということも本当に素晴らしいことですね。
赤塚さんが糸川先生と出逢われ、私も村上先生のことを伝えていけることを考えると、またうれしい気持ちでいっぱいになります。
赤塚さん 赤塚さんが歌ってくださったから、私はときどきあいみょんを聴いているよ。
またね。 かつこ
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「魔法の文通」(モナ森出版)の続きです。