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73 日本海の虹のように(かっこよかった) 赤塚さんへ


赤塚さん 昨日も今日も大きな虹を見ました。美しい虹が出ていました。北陸は今くらいから虹の季節です。太平洋側ではすっかり虹が出ない頃に、日本海側ではよく虹が出ます。
暗い日本海側の季節に、虹は希望です。希望の匂いがします。
あの日の京都でのライブのように。

サミイちゃんがFacebookに
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二日間、ミュージシャンやっててよかった、と思う幸せな京都でした。
お昼のお話と生弾き語りの会に来てくれたみなさん、
MCサクセション  
赤塚さん、出路さん、
DAIJYOUBUsのみんな、
かっこちゃん、
お客さん、
みんなありがとー!!
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と書いておられましたね。ずっと音楽をしてこられたサミイちゃんが、「やってて良かったと思う幸せな京都だった」と。

それくらい、あの時間は冬の日本海の虹のように、美しくて明るい楽しい、なによりもしあわせな時間でした。
土曜日のライブで、私は何度も、「かっこいいなあ」ってしみじみ思いました。赤塚さんの歌にも痺れたし、赤塚さんのMCの言葉も演奏も、どの瞬間も本当にかっこよかった。出路ちゃんの一生懸命な姿も歌もやっぱりかっこよかった。サミイちゃんも、本当になんてなんてかっこいい方なのでしょう。

もちろんいつも素敵なみなさん、いつもかっこいいみなさんだけど、ステージの姿に、みんな心揺さぶられ、心から楽しくてうれしいと感じられたと思います。みんなが笑顔になって、ワクワクして、大きな力をいただいた日でした。

そして、私も、大好きなみんなとステージに立てていることが信じられないような気持ちにもなりました。心の底から楽しくて、あまりに楽しくて、演奏中に笑いながらも涙が出そうになりました。赤塚さん、心から感謝しています。練習の時間を含めて全部楽しかったです。旅行中の練習も、合宿もみんな楽しかった。

そして、お客様も本当に楽しそうでした。

毎日いろんなことはあります。たとえば、家族のことや、仕事のことや、それから自分の病気のことで心配だったりもすることもあるでしょう。でもあの時間はそんなことをすっかり忘れて、楽しい!うれしい!しあわせと思えた虹のような時間だった気がします。そして、きっとどんなことがあっても、だいじょうぶなんだと思えた時間だったような気がします。

赤塚さん、赤塚さんやひろこちゃんやみなさんと一緒にいられる時間は、本当に楽しいです。好きなことを大好きと言いながら笑っていられる時間です。
好きなことは人生を作ると思います。言い換えれば、その人そのものでもあると思います。

なんだか突拍子もないことを言いますが、好きというのは遺伝子なんだなあと思ったことがありました。
養護学校に勤めていたときに、ほんのときどきですが、ナイロン袋をガシャガシャするのが大好きな子供さんに出会うことがあります。その子供たちは、重い知的な障がいがあって、言葉も出ないことが多いです。ちょっとしたことでよく笑い、寝ない日が続いたと思うと、すごくよく眠る日が続いたり、てんかんがあったり、ダンスが好きだったり、歩き方に特徴があったりして、顔もよく似ておられます。
エンジェルマン症候群のお子さんたちです。
私が驚くのは、なぜか、みなさん、飴よりも包み紙が大好きだということです。
好きが遺伝子で決まっているというのは、びっくりすることです。
だって、前にも書いたけど、好きというのは、その人自身を作っていると思うからです。
音楽が好きだったり、ダンスが好きだったり、食べ物の好き嫌いがあったり、車が好きだったり、そういうことが、実は、生まれながらの遺伝子で決まっているなんてなんということでしょう。
何度も書くけど、好きということは、私は人生を作ることだとよく思います。好きなことをしていたら、生き生きするし、好きなことで、出会う人や物やこともある。

やっぱりサムシング・グレートは遺伝子を使うことで、もちろんそれだけじゃないでしょうが、人と人を出会わせたり、ことを起こしたりもしているのでしょうか?

私は今、大好きということと少し違うけれど、心が突き動かされることのひとつのことにも一生懸命になっています。

それは、思いを伝える、伝え合うということを大切にしたいし、するべきだということです。
宮ぷーが倒れたときに、ようやく一般病棟に入れたときでした。斜め向かいに入院されていたお父さんは、左脳出血のために、言葉が出てこなくて、思いが伝えられずにおられました。
文字や文章を正しく認識したり理解したりすることも難しかったともいます。深い思いはもちろん持っておられて、ただお話ができなくなったり、文字が読めなくなっているだけなのです。
家族の方が来られたときのことでした。
「あーあ、なんにもわからんようになってしまって、なさけない」と奥様がついうっかり言われたときに、お父さんはまるで暴れるようにして、ものを投げたりしておられました。
リハビリへ行くときも、トイレのことを言っておられたようなのに「行くのが嫌なのか?」と言われて、窓の方を向いてしまわれて、本当におつらそうでした。私も涙が出ました。
言語の場所と、絵で理解する場所は別なのです。それで、私、お父さんにノートを作ってみました。ノートのページを四角く区切って、その中に絵を描いて、指でさして思いを伝えるというものでした。
お嬢さんが来られた時に、もっと必要なことがあるか相談をしました。そして、簡単なおはなしノートをつくりました。それをすぐに使ってくださって、ご家族にも病院のみなさんにも、お父さんは思いが伝え合うことができました。私もお手伝いができてうれしかったです。お父さんは何度も私にお礼を言ってくださったけど、私はどうしても我慢ができなかったのです。思いが伝えられないと、人権というか、その人の尊厳まで失われることがあるなあって思うのです。それは、そばで見ていても、すごくつらく悲しいです。だから、私はいつも子供たちと出会ったときに、一番に思いを伝え合えるようになりたいって思います。私のしたいことで、突き動かされることのひとつです。

それで、考えました。病院のお父さんのような思いをされている方はたくさんおられる。どうしたらいいろうと思いました。イラストを描かれるお友達にいっぱい力をお借りして、おはなしノートというものを作ったのです。小さいお子さんも、それから障がいをお持ちの方も、外国の方にも使っていただけるように考えたものなのです。
https://ohanashi-daisuki.com/talk/note/index.html

宮ぷーがまだしっかりと思いを伝えられない時から作り始め、一年後にできあがりました。
ダウンロードできるのですが、もっともっと広く使っていただきたいと思うようになって、そんなときに、モナ森出版があるということが大きな力になりました。

赤塚さん、今ね、それを印刷しています。モナ森出版から、出版するの。
100ページ以上ある本だけど、550円にしました。できるだけ安く作って、多くの人に使っていただけるようにしたいのです。やっぱりみんながしあわせで、大好きなことをうれしくしあわせでいたい。
そしてね、安く作るのに、また10冊半額セールもするの。みなさんが、思い思いのところに寄付したり、プレゼントしたりしてくださったら、きっと広まる。広まったらみんながしあわせになる一助になるように思うのです。
お父さんが笑ってくれたように、笑ってくれる助けになる一冊にきっとなると思うのです。
赤塚さんもよかったら、広めてくださいね。

こんなことができるのも、やっぱり、赤塚さんやみなさんがいつも応援くださっているからです。

それでね。やっぱりこれは、虹なのです。あの京都の夜と同じなんです。だって、希望だもの。自分だけの希望じゃなくて、あの夜のようにきっと多くの方の希望に知らず知らずになる。だれかの好きなことやしたいことが、きっとあとでわかったら他の人の虹になるのですね。

今日の虹は特別大きくてきれいでした。木場潟公園の端っこから端っこまで二重の虹がかかっていたよ。

だからね、あの夜は私にとってとても大切な夜でした。

赤塚さん、またね。また会える日を楽しみにしています。   かつこ

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