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74  しあわせは自分の心がきめるのです。かっこちゃんへ


 かっこちゃん、お便りありがとう。
11月11日の京都ライブ、ずいぶん前のことのように思えるけど、
まだ2週間も経っていないんだね。
なんだか夢を見ていたような、そんな気がするよ。
毎日次から次へと新しい出来事が起こり、人と出会い、慌ただしい時間を送っているうちに、いつの間にか喜びを感じる心が疲れてしまっていたみたいだ。

 ライブの翌日、東京に移動して聖書講義。
それから、熊本~宮崎~鹿児島・・・もう一度熊本へ行って、聖書講義。
それから、大阪でも聖書のお話し会。
滋賀へ行って、ログハウスにお客様を迎えて、いま家に戻り、この手紙を書いています。

 改めて、かっこちゃんの手紙を読み返して、あのときの喜びがよみがえってきます。
そう、あのライブに向かうまでの練習の風景も。
カッパドキアのホテルのテラスで奏でたウクレレの音色。
少しひんやりとした風が吹きわたるトルコの空気。
ログハウスでみんなが集まって音を合わせてゆく時間。
 そして、あの日の京都ライブでスポットライトを浴びながら演奏したひととき。
あたたかな声援と拍手。
嬉しかったなぁ。
文字でも、話でも届かないところに伝わってゆく感覚は、音楽ならではだと感じたよ。
それをかっこちゃんは、「虹のようだ」と言ってくれたね。
希望のにおいがするって。

 「毎日いろんなことはあります。たとえば、家族のことや、仕事のことや、それから自分の病気のことで心配だったりもすることもあるでしょう。でもあの時間はそんなことをすっかり忘れて、楽しい!うれしい!しあわせと思えた虹のような時間だった気がします。そして、きっとどんなことがあっても、だいじょうぶなんだと思えた時間だったような気がします。」

 かっこちゃん、僕もそう思う。
幸せは、幸せと感じる心があるときに気づけるもの。
だから、「幸せになる」のではなく、いま、ここにあるもの。
幸せとは、「自分は幸せだ」と知ることなんだ。

 当たり前は、当たり前じゃない。
「当たり前は、ありがとうの反対だよ」と、いつも伊勢の中山靖雄先生が言っておられたね。

朝、目が覚める

空気が吸えて、言葉が話せる

目が見える

耳が聞こえる

ご飯を食べて、うんこができる

歩ける

そして、家族が、仲間がいる

 ・・・それなのに、絶えずアタマは「足りない・・・」と言う。
宝くじが当たって1億円欲しい、豪邸に住みたい、キムタク(古い?)と結婚したい、もっと儲かる仕事がしたい・・・
 じゃあ、神さまが
「当たり前一つと1億円を取り換えてあげよう」と言ったとしたらどうする?

 かっこちゃん、僕たちは大いなる幸せの海の中にいるんだよ。
当たり前は、当たり前じゃない。
どれひとつも100億円もらったってあげられないよ。

 熊本の阿蘇、風の丘美術館の大野勝彦さんは、僕の古くからの友だちです。
友だちと言っても15歳も年上だから、大先輩だ。
29年前に出会ったときから大好きで、今では毎月阿蘇に通って美術館で聖書講義をしている。
全国から50名近い仲間に集まってもらってね。

 いま79歳の大野さんは、義手で絵を描いて、美術館をつくった。
大野さんは、45歳まで絵なんて描いたこともなかった農家の強い男でした。
でも、45歳の夏の日、農機具に手を巻き込まれて、そのまま体まで入れば死ぬ。
それで、両手引きちぎって肘から先がなくなりました。

 死んだほうがまし・・・

そんな絶望の中から立ち上がることができたのは、家族でした。
お母さんが食事をしなくなりました。
「勝彦が可哀想ばい。
 自分が手を切ったらよかったのに。
 自分の手を切って、勝彦にあげたい」
と、ずっと泣いています。

 大野さんは言いました、
「かあちゃん、見とって。
 かあちゃんに美術館ば作ってやるばい」

大野さんは義手で筆をもって絵を描き始めます。
字を書き始めます。
そして、自分に言うのです、

 「じょうずーーー!」

両手を切って15年、日本中を講演して絵を描き続け、
60歳のとき阿蘇の2万坪の敷地に風の丘・大野勝彦美術館は誕生しました。

 大野さんは言います、
「本当は幸せだったのに、
     失くしたときに気づくの」と。

 人の痛みが自分の痛みになってしまうかっこちゃんは、
大野さんに会って、ずっと泣いてくれましたね。
たくさん話さなくても、とても深いとこで出会ってくれたんだと思う。

 大野さんは、両手を切ってよかったと言います。
もし、5体満足で百姓をしてたら、こんなにもあたたかで嬉しい世界を知ることはできなかっただろう。
手を失ったおかげで、素敵な人たちといっぱい出会えた、って。

 一億円もらえるより目が見えて、大豪邸に住むより耳が聞こえて話せて、家族が元気で、仲間がいるほうが嬉しい。
それでも、ときどきふっと大事なことを忘れそうになって、家族や仲間にわがままなことを言ったり、人を傷つけることを知らず知らずのうちにやってしまったりするんだ。

 願いが叶うだけではしあわせは続かない。
だって、だれだって結婚式のときに世界で一番しあわせそうにしているのに。
半分のカップルが離婚するそうだよ、今は。

 かっこちゃん、僕は思う。
しあわせでいられるのは、「しあわせを見つける心」を持ち続けることなんだと。
僕は本当にしあわせだよ。
こうして魔法の文通を続けて、僕は「しあわせを見つける心」を持ち続けることができるのだから。
 雪絵ちゃんもしあわせの達人だったね。

聖書の中でイエスさまが言ってる、
「五体満足で地獄に堕ちるくらいなら、両手を切って天国に入れ」と。
初めて読んだときには、酷い言葉のように思えた。
でも、今はわかる。イエスさまが伝えたかったことが。
当たり前の中で、愚痴や不平不満を言っているのは地獄の中にいるようなものだから、
身体の一部を失っても、ありがとうに気づけた方がしあわせに近づけるから。

 かっこちゃん、京都ライブで僕が歌った歌、覚えてる?
今回初めて挑戦したG-FREAK FACTORYの「EVEN」

 歌詞を書くよ

「もしも明日耳が聴こえなくなったら
 あなたの声をどれだけ聴いたことになるだろう
 もしも明日この目が見えなくなったら
 あなたの顔をどれだけ覚えていれるだろう?

 変わりゆく苛立ちを並べ
 限られた時の中を
 汚れた手のひら差し出して甘えたままで

 Life is short time, time still goes by
旅路の終わりが見えても
 壊れないような
 清らかな子どものころの日々

 明日足が動かなくなったら
 あなたとの道のりをどれだけ歩けたことになるだろう
 それに例えば明日
 この声が出なくなっちまったら
 あなたに何をどれだけ伝えられたんだろう

 不器用な歌口ずさんで
 限られた時の中を
 しわの増えた手のひらを合わせて願い続けた

 Life is short time, time still goes by
旅路の終わりが見えても
覚えててほしい
がむしゃらな子どもの頃のように

もしも俺がもう少し強くなれたら
愛想笑い繰り返す無表情な毎日を
受け入れたままで咲き誇るあの花のように
心に咲いた大切が
戸惑いを追い越して
始まりに満ちた
晴れた日が必ず来るから

 Life is short time, time still goes by
いつかまた思い出すのは
目の前に咲いたソレが幸せと感じられる日のこと」

 かっこちゃん、ありがとう!
 
 魔法の文通は、読む人をしあわせにするね。
 もちろん、書いてる僕たちもしあわせさ。

さあ、冬だ。
  モナ森にも雪が降る。
 雪の下で眠る種たちは、やがてくる春を知ってる。
 僕たちもいつも喜んでいよう。

    またね。
            高仁
     

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